第20話 三人
王太子の結婚式が終わり、ルイーズはまた元の生活に戻ると、あっという間に夏になった。
ゼフィは相変わらず色々なところに偵察に飛んでいて、ルイーズはゼフィが村にいない日は、空を飛ぶ鳥につい目を向けてしまう癖がついてしまった。
夏の盛りの頃、5日ほど姿を見せなかったゼフィが南の空から飛んでくると、ルイーズは大きく手を振って出迎えた。
「お帰りなさい! アトラス様!」
「ただいま、ルイーズ。何か変わったことはないかい?」
「いいえ、いつも通りです。今日も7人ほどお祈りに来ましたよ」
「そうか」
ルイーズはふふっと笑って洗濯物を取り込む。
結婚式のあの日、奇跡を起こしたのはやはりアトラスだった。
城に連れていかれるルイーズを見て、追い掛けてきてくれたのだ。そうしてゼフィに魔法を使わせて、あの光の雨を降らせてくれた。
アトラスのお陰で恥をかかずに済んだと、ルイーズは心から感謝を伝えた。けれどそれだけではなかった。
あの一件以来、聖女の存在は広く知れ渡り、この教会に会いに来てくれる人が増えた。田舎ゆえにそれほど多くはないが、それでも一日に数人は来訪者があった。
「今日はなんと、お野菜を持ってきてくれた人がいるんです。ありがたいですよねぇ」
「食事はちゃんととれているのか?」
「もちろんです。それよりアトラス様はどちらにいらっしゃっていたんですか?」
アトラスの心配そうな声にルイーズは笑顔で答える。
実際はそれほど食べられてはいなかったが、それをアトラスに言えばさらに心配されてしまう。だからルイーズはいつも笑顔ではぐらかしていた。
「南の町の様子を見に行っていた」
「南ですか。王都から一番遠い町ですね。どうでした?」
取り込んだ洗濯物を抱え部屋に戻ると、ベッドに座り畳みだす。
ゼフィはドアから一緒に入ると、テーブルの上にふわりと降りたち答えた。
「カーティスの結婚式から5ヶ月、もう大きな町でも生活は破綻し始めているように見えるな」
「やっぱり……。税が払いきれずに逃げだす者もいると噂が流れています」
「町や村の警備をしている者まで戦線に送り込んでいるようだから、獣や魔物の被害も増えているようだ」
ルイーズは手を動かしながらもアトラスの話に耳を傾ける。
本当は鏡を持ってきてアトラスの顔を見ながら会話をしたいが、昼間お客の相手をしていると、どうしても家事などが溜まってしまう。
だからいつも仕方なくこんな風にアトラスと話をしていた。
「オルナンドとの戦争を止めることはできないのでしょうか」
「それは……、オルナンドにも戦う理由があるからな。話し合いの席を設けるようにシオンへ再三要求は出しているが、父上はその気はないようだ」
「そうですか……」
王族も貴族も華やかな生活を続けている。苦しいのは平民だけだ。その理不尽をルイーズは受け入れることができず、不満が募っていた。
暗い顔で黙り込んでしまったルイーズだったが、教会のドアを叩く音にハッと顔を上げた。
「聖女様! お客様ですよ!」
ドンドンとドアを叩く音に慌てて立ち上がったルイーズは、自分の部屋を出て祈りの間に入ると、入口のドアを開ける。
「隣町の教会の者ですよ。また食べ物を持ってきてくれたみたいです」
笑顔でそう言った兵士の手には、カゴいっぱいの果物が入っている。
「聖女様、お久しぶりです」
「アシュリー!」
ルイーズはアシュリーの顔を見て声を上げると、思わずその腕を掴んだ。
「アシュリー、もうずっと待っていたのよ!」
「すみません、色々と忙しくて。兵士の方に許可をもらったので入っていいですか?」
「もちろんよ!」
アシュリーが教会の中に入りドアを閉めた途端、ルイーズはその腕をぐいぐいと引っ張った。
「え、ちょっ、奥方様?」
「早く! 早くこっちに来て!」
突然自分の部屋へ引っ張っていくルイーズに驚きアシュリーが声を漏らすが、ルイーズはそのまま部屋のドアを開けた。
「アトラス様! アシュリーがやっと来ましたよ!」
「え? アトラス様……?」
ルイーズはゼフィの前にアシュリーを連れていくと、声を掛ける。
アシュリーは困惑した表情でゼフィを見た。
「奥方様、何を言っているんですか?」
「アトラス様よ! アトラス様が生きていたの!」
「え? え? どういう意味ですか?」
「だから、この鳥がね、ああ、違うわ! ちょっと待って!」
バタバタとルイーズは動くと、棚にある鏡をテーブルに置いた。
「アトラス様、どうぞお話下さい」
「ありがとう、ルイーズ」
その声にアシュリーが持っていたカゴを床に落とした。
そうしてよろりと鏡に近付くと、鏡の縁を掴んで顔を近付ける。
「あ……、そんな……、どうしてアトラス様のお顔が……」
「アシュリー、お前が無事で良かった」
「アトラス様……、アトラス様……」
声を殺して泣くアシュリーに、ルイーズは優しく背中を撫でる。
「どういうことですか? こんなことって……」
「アトラス様はオルナンドで生きているの」
「オルナンドで?」
アシュリーは泣き顔を隠すように涙を拭うと、姿勢を正した。
「オルナンドの船に助けられたんだ。治療を受けて、今もオルナンドにいる」
「敵国に……。酷い扱いは受けていないんですか?」
「大丈夫だ。客人として丁重にもてなされているよ」
「良かった……」
安堵した顔で小さく息を吐くアシュリーに、ルイーズはイスを勧める。鏡の前に二人並んで座ると、アトラスは改めて話しだした。
「ルイーズからこれまでの経緯は聞いた。ずっとカーティスたちのことを調べ続けてくれていると」
「はい。私一人ではなかなか調べが進まず、あまり成果はありませんが」
「そんなことはない。今は謀反のことが書かれた誓約書のことを調べているのだろう?」
アトラスの言葉にアシュリーは徐々に冷静な表情になって答える。
「はい。騎士庁舎に保管されている命令書の束を手に入れました」
「盗みだしたのか?」
「いいえ。アトラス様の味方になる文官と話してどうにか。接触するまでにかなり時間を費やしてしまいましたが……」
「それで何か手掛かりはあったのか?」
「はい。奥方様の予想通り、この中に一枚だけ足りない書類を見つけました」
「やっぱり……」
自分の予想が外れていないことにルイーズがホッとすると、アトラスは眉間に皺を寄せて考える。
沈黙が続き、少しするとまた口を開いた。
「ルイーズの方でも一つ重要な手掛かりを見つけている」
「あ、そうなの。バルザス侯爵のことを調べたんだけど、悪いことを請け負っている男がいるらしいの」
「奥方様が調べられたのですが!?」
驚くアシュリーにルイーズは笑顔で答える。
「村の人が手伝ってくれたのよ。あなたと私が話しているのを聞いちゃったダンって人がね、町に行って調べてくれたの」
「私もバルザス侯爵の周辺は探ろうとしましたが、あまりにもガードが固く難しかったのに一体どうやって?」
「ダンは若い頃悪さをしていたらしくて、そういう人たちが集まる酒場に入って聞き込みをしてくれたの。そこでバルザス侯爵の下で働いているギーグって男と話せたって」
アシュリーは感心して頷きながら前のめりに訊ねる。
「その男はどういう仕事をしていたんですか?」
「文書の偽造よ」
ルイーズの言葉にアシュリーは目を見開き、バッとアトラスの方を向いた。
アトラスは大きく頷き、説明の続きを話した。
「侯爵領は他の町と比べて相当潤っている。ギーグ以外にもバルザスから仕事を受けている者が不正を手助けしているんだろう」
「やはりバルザス侯爵も関わっているのですね」
「たぶんな。アシュリー、お前はダンという老人が手に入れた情報を詳しく調べてほしい」
「分かりました」
「無茶はするなよ。それから、ルイーズのことを支えてくれて感謝する」
「そんな……」
アシュリーは噛み締めるように呟くと、弱く首を振る。
「奥方様を巻き込んでしまったのは、私がただ弱かったからです。一人ではどうしても押し潰されてしまいそうで……。誰かに味方になってほしかった。無理に結婚させられた奥方様には何の関係もなかったのに……」
「アシュリー、私はあなたを責める気持ちなんてないわ」
「奥方様……」
ルイーズはアシュリーの目を見つめ微笑む。
「確かに最初は戸惑ったけど、今はあなたと同じ気持ちよ。あんまり役に立ってないけどね」
「そんなことはありません! 奥方様のお人柄があってこそ、村の者も手助けしてくれるのでしょう。私もどれだけあなたの笑顔に助けられたか……」
アシュリーの言葉にルイーズはにこりと笑うと、ポンと肩に手を触れた。
「一緒に頑張りましょう」
「はい、奥方様」
「二人とも、私のためにありがとう。私は近いうちに必ずシオンに戻る。それまでどうにか無事でいてくれ」
二人が大きく頷くと、アトラスはそこでようやく笑顔を見せた。




