第19話 王太子の結婚式
ルイーズはベッドに入っても、まだ胸がドキドキしていた。
アトラスの声が白い鳥から聞こえてきた時は、何かの間違いじゃないかと思った。けれど鏡に映った姿を見て、本当に生きているのだと信じられた。
今までずっとアトラスのことはどこか遠い人のように思えていた。もちろん死んでいたから会える訳もなかったし、アトラスのことを知るにはいつも他者から間接的に知るしかなかった。
けれどまた話すことができて顔を見たら、会いたくてたまらなくなった。
(本当にここに来てくれるかしら……)
この苦しい生活を救いだしてくれるのがアトラスなのだとしたら、これほど嬉しいことはない。
今は敵国のオルナンド王国にいるというが、どうやってシオンに戻るのだろうか。
そこまで考えたルイーズは、ハッと目を開けた。
「アシュリー……。アシュリーに伝えてあげないと……」
このことを知ったらきっと泣いて喜ぶだろう。それにアトラスがこちらに来るための助けになるに違いない。
けれどルイーズはアシュリーとの連絡手段を持っていない。ルイーズは逸る気持ちを抑えると、またゆっくりと目を閉じた。
(早く来て、アシュリー……)
一体今はどこにいるのか分からないアシュリーの無事を祈りながら、ルイーズは眠りに落ちた。
◇◇◇
それからのルイーズの生活は、とても明るいものになった。
ゼフィという名前の白い鳥は、3日に一度は飛んできてくれて、ルイーズとアトラスは話をすることができた。
ルイーズにとってはそれが何より嬉しくて、冬の辛い日々を乗り越える糧になった。
そして、3ヶ月ほどが過ぎ、春の兆しが見えてきた頃、城から突然迎えの馬車が来た。
「城へ?」
「はい。カーティス王太子殿下とコンスタンス様がご結婚されます。結婚式にはルイーズ様も招待されておりますので、どうぞ馬車にお乗り下さい」
「わ、私は……」
行きたくないと言おうとしたが、迎えに来た兵士は「これは国王陛下のご命令です」と言って、ルイーズを無理矢理馬車に乗せた。
すぐに走りだした馬車から外を見ると、心配そうな村長や村の人たちと目が合った。
「皆……」
突然のことに不安が押し寄せてくる。城に行ってカーティスに会うのが怖い。今まで放って置かれたが、今度こそ何かされるのではないかとルイーズは両手を握り締めた。
不安ばかりが頭をもたげて俯いたままでいたが、ふと視界の中にある自分の手を見て、深い溜め息をついた。
節の浮いた細い指には、たくさんの傷がある。あかぎれになった皮膚はぼろぼろで、見れたものではない。
(こんな姿で城に行くのか……)
華やかな城の中で、どれほど自分が浮くのか、想像に難くない。
ルイーズは少しでも綺麗にしておこうと、馬車に揺られながら手櫛で髪を纏め、服の埃を払い、できる限り身なりを整えた。
街道を進むと、3つほど大きな町を抜けたが、どこもあまり活気があるようには見えなかった。
街道には王太子の結婚を祝うための花などが飾られて、表向きは華やかにしてあったが、町を歩く人々の表情は暗く、どこも重苦しい空気に包まれているように感じた。
この結婚式のためか、さらに増税がされたと聞いたが、きっとそれが重く圧し掛かっているのだろう。
夕方になって到着した城は結婚式のために見たこともないほど美しく飾り付けられていたが、それを見てもルイーズはまったく心を動かされなかった。
「ルイーズ様、今日はこちらの部屋にお泊り下さい。式は明日ですので」
「分かりました」
メイドに案内された美しい客室には、すでに豪奢な食事がテーブルに用意されていた。それを立ったままじっと見つめる。
(なんでかしら……、全然食べたくない……)
毎日お腹が空いて、あれもこれも食べたいと夢に見るほどだったのに、こうして目の前にあるとなぜか手が出ない。
豪華な部屋もふかふかのベッドも、たくさんの美味しい料理も、村人たちにはまったく手にできないものだ。
「皆と一緒に食べたいな……」
自分一人がいい思いをしても、ちっとも嬉しくない。
それでも今はお腹が空いているのだから食べないとと、ルイーズは仕方なくイスに座り、柔らかいパンに手を伸ばした。
◇◇◇
次の日――。
メイドが用意した白い神官服を着たルイーズは、結婚式の行われる場所へと案内された。
そこは城下町の市民に向けて国王が演説をするための場所で、すでに市民たちが詰めかけて今か今かと式が始まるのを待っている状態だった。
てっきり教会で式を挙げるのかと思っていたルイーズは、やはり教会が蔑ろにされている状況は変わらないのかとがっかりした。
しばらくすると美しいウェディングドレスを着たコンスタンスとカーティスが出てきて、市民から盛大な歓声と拍手が沸き上がった。
教皇の前で誓いの言葉を言い、指輪を交換するとキスをする。そのおとぎ話のような光景を、ルイーズは冷めた目で見つめる。
(コンスタンス、幸せそう……)
これ以上ないという笑顔でコンスタンスが市民に手を振っている。カーティスもいつものイライラとした表情は鳴りをひそめ、笑顔で隣に立っていた。
ルイーズは自分が呼ばれた意味なんてないと思いながらぼんやりとしていると、ふいにコンスタンスがこちらを向いた。
「お姉様、今日は来てくれてありがとう」
「……おめでとう、コンスタンス」
「ありがとう! ねぇ、お姉様はこの頃、田舎の方で聖女だって噂になっているそうじゃない」
「そんなことないけど……」
こんな場所でコンスタンスは突然何を言い出しているんだろうと困惑して答える。
「教会でずっと祈りを捧げているなら、奇跡を起こすことくらい簡単でしょ? 私に祝福を与えてよ」
「は?」
「聖女だっていうなら、そのくらいやって見せてよ」
「なに言ってるの?」
コンスタンスは意地の悪い笑みを浮かべると、突然市民に向かって声を上げた。
「皆様、ここにいる聖女が奇跡を起こし、わたくしと王太子様に祝福を与えて下さるそうです!」
「ちょっと、コンスタンス!」
何を言っているんだと声を上げたが、それは市民から上がった大歓声に掻き消された。
全員の視線が自分に集まりルイーズが動けずにいると、教皇が困った顔で歩み寄ってきた。
「教皇様、これはどういうことですか!?」
「ルイーズ、言う通りにするんだ。逃げることはできない」
「でも、奇跡なんて無理です!」
「祈りを捧げるだけでいい。そうすれば後は私が何とかする」
教皇に言われ、仕方なくルイーズが二人の前まで行くと、その場は水を打ったように静まり返った。
ルイーズは緊張しながら膝をついて手を合わせた。
(このために私を呼んだの? 私に奇跡を起こさせるため? いいえ、違うわ……)
二人はルイーズが聖女じゃないことを知っている。奇跡など起こらないということも分かっている。ということは、ここで奇跡を起こさせないということが目的なのだ。
(私が聖女じゃないと市民たちに分からせたいんだわ)
この一年ほどでルイーズが住む村周辺では、聖女の噂が広がっているのは事実だ。アトラスの妃だということも相俟って、会いに来てくれる人もいる。けれどそれはせいぜい隣町程度の範囲での話だ。
決して王都までルイーズの噂が届いているということではない。それなのにこんなことをさせたいということは、二人に何か不都合なことがあるということだ。
単なる嫌がらせでこんなことはしないと思いたい。とはいえどちらにしてもいまさら逃げることはできないと、ルイーズは両手を合わせて目を閉じ俯いた。
恥をかかさされるくらい別に平気だと、しばらくそのままでいると、静かだった市民から歓声が上がった。
(何を騒いでいるの?)
どんどん歓声が大きくなってきて、ルイーズが手を合わせたままそっと目を開けると、コンスタンスとカーティスが顔を顰めて空を見上げている。
ルイーズもそれに釣られて上を見ると、青空にキラキラとした光のようなものが見えた。
「奇跡だ! 光の祝福だ!」
市民のあちこちから声が上がる。壇上の貴族たちも、もちろん国王も教皇もポカンと口を開けて空を凝視している。
光の滴は雨のように降り注ぎ続ける。ルイーズが思わず手をかざすと、光は手のひらに乗った瞬間、爆ぜるように消えた。
「う、嘘でしょ……」
「どういうことだ……?」
コンスタンスとカーティスは、困惑した表情で顔を見合わせる。
ルイーズも何がなんだかよく分からなかったが、光に隠れるように白い鳥が微かに見えて、ハッと目を見開いた。
(アトラス様?)
あまりにも高い位置に飛んでいるためゼフィかは分からなかったが、ルイーズはこの機会を逃さなかった。
「王太子殿下、王太子妃殿下。この光はディエラ神の祝福でございます。この国の平和のため、お二人が尽力することを願います」
ルイーズが手を合わせてそう言うと、コンスタンスとカーティスが憎々しげにルイーズを睨みつける。
「なんということだ……。やはりそなたは聖女の血を引くもの。神に愛されているのだな」
教皇は笑ってそう言うと、ルイーズを立たせた。
「国王陛下。ディエラ神の祝福により、二人は末長い幸せを約束されました。おめでとうございます」
「おめでとうございます、国王陛下」
教皇の言葉に便乗しルイーズが続けると、市民からも一斉に「おめでとうございます!」と歓声が上がる。
困惑した表情だった国王はさっと表情を変え笑顔になると、大きく頷いた。
(なんとか誤魔化せたわね……)
鳴り止まない歓声の中、結婚式は大成功で終わった。
ルイーズはどうにか役割を果たしたと肩から力を抜き、安堵の息を吐いた。
貴族たちが退出を始め、自分も戻ろうと城内に入ると、コンスタンスが険しい表情のままつかつかと近付いてきて、ドンとルイーズの肩を押した。
「どういうこと!? なんなの、あれは!?」
ヒステリックに喚くコンスタンスに、ルイーズは真顔を向けて肩を竦めた。
「あなたが奇跡を見せてみろって言ったんじゃない」
「そ、そんなこと……、どんなからくりなの!? どうせ何か仕掛けがあるんでしょ!?」
「はぁ? 私はあの場で初めてあなたにやれって言われたのよ。そんな時間がどこにあったのよ」
「私に口答えしないで!」
貴族たちの視線などお構いなしにコンスタンスが声を上げると、そこに国王が割って入った。
「コンスタンス、やめよ」
「陛下! でも!」
「祝いの場でそんな声を出すんじゃない。ディエラ神に祝福を受けるなんて素晴らしいことではないか。何を怒っているのだ」
「そ、そうですが……」
「ルイーズ、よく来てくれたな」
国王が優しく声を掛けてくれて、ルイーズは少しホッとした。
今の現状を思えば、もしかしたら国王もカーティスのように自分のことを邪魔に思っているのかもと心配していたのだ。
「教会の住み心地はどうだ? バルザス侯爵が管理する教会だから安全だとは思うが不便はないか?」
「陛下、あの教会に私を移すというのは、陛下がお決めになったことなのですか?」
「ああ。カーティスから遠ざけるためにな。それにいつまでも城の中に閉じ込めておくのも忍びないと思ってバルザスに頼んだのだ」
「そうですか……。あの、陛下――」
「父上、夜の晩餐会のことでご相談があるのですが」
ルイーズが国王に窮状を訴えようとした時、カーティスがその言葉を遮った。カーティスはぎろりとルイーズを睨みつけると、その前に立ち国王と話し始めてしまう。
そのまま二人が歩きだしてしまい、ポツンと取り残されたルイーズに、コンスタンスがもう一度近付いてきた。
「辺境の村で聖女だともてはやされているからっていい気にならないで。早くあのぼろぼろの教会に帰って!」
コンスタンスはそう言うと、ふんと顔を背けて廊下を去って行った。
ルイーズはその背中を見つめ、大きな溜め息をつく。
(これでお役御免ってことね)
その後、ルイーズはまた馬車に乗せられると、カゼール村の教会に送り届けられた。




