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アリシア、エンカウントする

(――ツイてないにも程があるんじゃない?)


 アリシアはただでさえ早足な自分の歩をさらに早め、夕暮れの商店街を突っ切っていた。


 今日も平凡で穏やかで、けれど充足感のある1日になるはずが、ザカルトの登場で乱された。同僚のエリージアは優しく話を聞いてくれたものの、申し訳ないが釈然としないままだ。


 だから、乱れた心を慰めようと、なけなしの遊興費からポンムタルトを買おうとしていたのに。


「……今日に限って売り切れで、しかもオーフェちゃんの急病で早めの店じまい……」


 受け止めきれない現実につい小声でつぶやいてしまう。


 フレイン親娘の営むパン屋は目立たないけれど美味しいし安い。だから可能な限り積極的に通っていたし、合間合間に雑談もさせてもっらっていた。だからこそ。


「うう……無理強いなんてできないし……おねだりなんてもってのほか……」


 でも今日だけは、ちょっと我が儘を言いたかった。


 目の端に映る、色ガラスの灯りに彩られた店の中には宝石のような菓子店もあるし、鮮やかな赤が目にまぶしいハイヒールをディスプレイした服飾店もある。


 もちろん、それらを素敵だと思う心はあるし、買えなくはない。


(……でも、ちょっと、違うのよね)


 アリシアは唇をとんがらせながら考えた。


 自分の満足する形で、自分を癒したい。無理はしたくない。でも、ただ耐えるのもいやだ。


(……だって、私には、私しかいないから……)



 ふと気づくと、雑踏の中に水音が混じっていた。


(やだ、いけない。考えごとをしすぎて、中央まで来ちゃったんだ)


 ドゥエリアの街を大きく十字に分ける道の交点には、噴水広場がある。


 2段に噴き出す水の周りは少し高めのレンガが積まれていて、その外周には細かいレンガで囲まれた花壇が等間隔に置かれていて、そのさらに外側にはベンチがある。


 今の時間は、早めの夕食を終えた家族や、これから酒の出る店に繰り出そうとしている若い男女のグループでにぎわっていた。


(この町出身の学者さんが設計したんだっけ。……久しぶりに見るけど、やっぱり不思議できれいね)


 街の明かりを反射してきらめく噴水は、そこまでまぶしくないのに、アリシアはなんとなく目をすがめてしまった。



(……帰ろう)


 どのくらい眺めていただろうか。ふいに夜風が冷たく感じられて、1つ身を震わせると、アリシアはため息をついてくるりと方向転換をした。


 甘味は買えなかったが仕方ない。代わりに結構いいものを見た気持ちになれたし。そう、思った矢先だった。


「よっ、ぐうぜーん」


 今一番会いたくない男が、目の前にへらりと立っていた。



(……私は何も見ていない。うん)


 アリシアは目を閉じ、すぅっと息を吸うと、そのまま半目で歩き出す。


「……ん? おーい? アリシアちゃん?」


(……私は何も聞こえていない。だって結構人がいてうるさいし……)


 先ほどよりもさらに倍速の気持ちで歩を進める。後ろから聞こえてくる大きくて、しかしどこかのんきな足音のことは気にしない。


「おいー? アリシアちゃん? 急いでんの?」


(知らない、知らない……っ!)


「なあーってば。あ、もしかしてちゃん呼びが嫌いか? じゃあ、えーっと……アリー? シア? リーシャ? あ、アーシャなんてどうだ?」


 ぴたり。


 アリシアはついに、足を止めてしまった。


「お? アーシャがいい感じ? ついでに呼ぶのが俺だけならなお嬉しいけど……って」


 両足を突っ張って、拳を握って震わせて。自分がどんな顔をしているか考えたくないほどのへの字口で、アリシアはぐるんっと後ろを振り返った。


「……ザカルトさん」


 声の主は、もちろん、ザカルト・アーキッシュだった。


 アリシアの気持ちなど知らずに、嬉しそうに笑うとひらひらと手を振ってくる。


「ようやく気付いてくれた。ありがとな」


 こっちは、ようやく忘れかけていたのに。無駄遣いをしたいと思ったのも、結局欲しいものが買えなくて帰宅がこんなに遅れたのも、全部目の前の男のせいなのに。


「んで、どう? さっきの話さ。ギルドじゃちょっと恥ずかしかったよな? 今なら『うん』って言えるんじゃない?」


 圧をかけるでもなく、冗談めいてもなく。


 ただだた、純粋な笑顔でザカルトは訪ねてくる。


(……誰が……)


 唇まで震えそうになるのを堪えて、アリシアはゆっくりと口を開いた。


「……私が、あなたのあの突拍子もない申し出を受け入れることは、永遠に、ありません」


「……なんで?」


 心底不思議そうに首をかしげるザカルトに、アリシアは怒りを通り越して殺意を覚えそうになった。


(……ダメだ。話が通じないやつだ)


「……とにかく、正式にお断りします。友人関係になるつもりもありませんので、今後ご用の際は冒険者ギルドまでお越しください」


 可能な限り冷静かつ毅然とした声でそう告げると、アリシアはまた踵を返して歩き出した。


「や、まあ俺も友人になるつもりは全然ないけど……あ、ちょっと待ってよ」


 こっちは女の事務員、あちらは鍛え上げた男の冒険者。アリシアがどれだけ早足で歩こうとも、ザカルトはまるでスキップをするような身軽さで後をついてくる。


「なあって……分かったよ。よく聞く、もう少しお互いを知る、っていうやつやろうぜ」


「…………」


「ん~……今帰るところだよな。じゃあアーシャの家で話すか」


「…………」


「返事をしないのは、ありよりのあり、ってことでいいか?」


「…………絶対に嫌です。あとアーシャって呼ばないでください」


 聞くだけで腹立たしいのだが、黙っていると何を承諾したことにされるか分からない。アリシアはひたすらに前を向いて、ほぼ競歩のようなテンポで進みながら返事だけすることにした。


「え、愛称だめなんか。……まあ、いいや。じゃあ、今から一杯飲みに行くのは?」


「行きません」


「まあもう、酒癖の悪いやつだらけになる時間だしな。んじゃ、宿屋の個室……」


「もっと行きません」


「や、まあそれはそう……なのか? でも他に……また明日ギルドに行っても、この話は聞いてもらえないんだろ?」


「業務外のことは受け付けかねます」


「だよな。んぁー……とにかく、サシで話す時間がほしいのよ。けどあんまし時間はなくてさ。仲間を待たせてるし、いまいいメンツ揃ってるから次の受注せずに解散はもったいないしよ」


 知るか、とアリシアは思った。そんなに時間がないなら、ただ報告して次の依頼を受注して、またいつもみたいに去っていけばいいではないか。冗談みたいに求婚なんてしなくても、いつだって彼のそばには女性の影が絶えないわけだし。アリシアのようなタイプの女をからかって、貴重な時間を浪費しなくたっていいはずだ。


(でも……)


 このあっけらかんとして、冒険が好きで、仲間を大事に扱うところが、このザカルト・アーキッシュという男だ。そこだけは、アリシアは知っている。なぜなら、自分はそういう姿を目の当たりにしてきた、冒険者ギルド職員なのだから。


 そこまで考えて、アリシアの足が止まった。


 もう数メートルで自分が住むアパルトマンの入口だ。アリシアはこの目の前のこじゃれた、しかし細長いアパルトマンの3階、屋根裏部屋に住んでいる。


 でも今そのドアに手をかけるわけにはいかない。


「……ん、どした? 腹でも痛くなったか?」


 後ろをついてきたザカルトも足を止めた。そのまま、こちらを覗き込もうとする気配があったが、途中で止まった。


「あー……もうすぐ家か? んじゃ、今日はここまでかな」


 アリシアはゆっくりと後ろを振り返った。


 目線だけで、これだけしつこくついてきたのになぜ家に上がろうとしないのか、そんな疑念を読み取ったのだろうか。ザカルトは優しく苦笑いして頬をかいた。


「無理強いはしねぇよ……」


「…………」


「ほんとだって。……でもな、話したいのは本当の本当なんだ。だから……明日朝、そうだな……7時にさっきの噴水広場で待つ。それなら仕事前に少し話せるだろ?」


「……7時じゃ間に合いません」


 それも嫌です、と断ることもできたのに、つい、まともに答えてしまった。自分の声を聞いてからそのことに気付いて、アリシアはいよいよ口をへの字に曲げる。


「ん、そうなんか。じゃあ……6時半だな。悪りぃけど、それより早くは俺が起きられそうもないわ」


 アリシアはうつむいて、じっと道を見つめた。おおまかに舗装された道の上に、土や砂で汚れた革靴が乗っている。


「…………」


「それもいやか……?」


 嫌なのか、そうではないのか。アリシアも自分の気持ちが今一番よくわからなかった。ただ革靴のキズや、何か色濃くなった染みに目をやる。


「……わーったよ」


 つむじにため息が届いたような気がした。


「明日朝、6時半、噴水広場だ。7時までは絶対に待つ。来てくれたら……助かる」


 革靴がゆっくりと持ち上がると、アリシアにかかとを向けて動き出した。


「送らせてくれてありがとな。早く家に入って、しっかりカギかけて寝な」


 ゆっくり、一定のテンポで遠ざかっていく革靴を、アリシアは微動だにせず見ていた。


 靴が視界の端からも消えて、靴音が聞こえなくなったころ、アリシアはゆっくり体の向きを変えた。


 最初の一歩は重かったが、徐々に小走りになると、アパルトマンのドアにたどり着き、滑り込むように中に入ると、ドアを後ろ手に閉めた。


 階段もうるさくならないように駆け上がった。


 部屋のドアを開け、中から錠を閉めると、アリシアはその場にしゃがみこんだ。


 なんだかひどく疲れていた。何もせずに、眠りたくなった。



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