第4話 予言? ふん、成就させればいいだけ
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郭嘉には分かっていた。自分には時間のないことが。
若い頃から結核を患っていた。言うまでもなくこの時代、結核は不治の病。
後世に残る郭嘉の名言――「兵は神速を貴ぶ」。
それは彼の命の期限でもあった。
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情勢の見通しが的確で、未来を言い当てるとまで言われた郭嘉。
三国志序盤のヤマ場、曹操が10倍の兵力差を覆してライバル袁紹を打ち破る、河北最大のイベント「官渡の戦い」では、こんなエピソードが有名だ。
【郭嘉、孫策の死を予言】
雷鳴のような勢いで江東(長江の東部分)を席巻した孫策。ご存じ呉の孫権の兄である。
このころ、南北に割拠する北の曹操と南の孫策は、ともに気鋭の英雄同士。
20歳前後で挙兵した孫策は連戦、連勝、向かうところ敵なしの強さで小覇王と恐れられ、曹操にとっても脅威だった。
そんな孫策。曹操と袁紹が河北をかけて官渡でやり合っていると聞くと、その隙を狙って北上し、手薄となった曹操の本拠地である許を襲って漢のラストエンペラーを奪おうと企てた。
曹操陣営は恐れおののき、孫策の動きを警戒。
でも郭嘉だけは平気でこう言った。
「大丈夫ですよ。どうせ孫策は許まで来れやしないから」
「郭嘉よ。なぜそう楽観的なことがいえるのだ?」
「オレの予測だと、孫策は近いうちに怨恨の線で殺られちまいますよ。だいたい、やり方が苛烈すぎるんだ。粛清といって殺しまくって、四方八方から恨まれてるらしいです。なのに身辺警護がゆるゆるだ。まるで自分から暗殺してくれって言ってるようなものですよ」
すると孫策、本当に狩猟で油断して一人になったところを刺客の弓に狙われてしまう。
彼を恨む者が放った矢が頬に刺さり、その傷がもとで命を落としてしまったのである。享年26歳。
「さすがだ。孫策の暗殺をピタリと当てた」
「まるで予言だ。郭嘉の情勢分析はすごいな」
郭嘉は深く計略に通じ、ものごとを把握する能力が秀でている――そんな天才軍師・郭嘉の名は現在にまでとどろいている。
ところが。
「ふん。予言だなんて……ばかを言っちゃあいけないよ? 予言でなんかあるもんか。いったん予測を口にしたら、実力行使で成就させちまえばいいだけの話よ。なあ、ルシエン?」
「はい。郭嘉さま」
10年たっても愛妻の外見は美しい少女のままだった。
金髪碧眼、耳の尖ったルシエンは意外にも弓の名手だった。西域の仙女かと思われるような軽やかな身のこなしで、樹上からの的当ては百発百中だった。
「英流布族は弓が得意なのだそうです。ハーフ英流布であるわたくしも、なぜか弓をとると体が疼きますわ」
ルシエンはうっとりと愛弓を抱き締めた。
「狙撃に長けたルシエンがいれば、仮に本物の刺客がしくじったって二段構えで必ず殺れる」
郭嘉は孫策暗殺の裏に、狙撃手ルシエンを送り込んでいた。
「罪はオレがそそのかして仕立て上げたホンモノの刺客になすりつけりゃいい。そしてオレ様が前もって張り巡らせていた情報網……。実行前に綿密な情報さえ手に入れば、暗殺成功の確率は上がるってもんだ」
「許から江東。距離が離れていても〝縮地〟を使えば思いのまま」
ルシエンは幼いころ母に教わったという英流布族特有の摩訶不思議な技がたまに使えた。
〝縮地〟とは一種の瞬間移動のようなもので、彼女の技量では遠い故郷を訪ねることは無理でも、江東あたりまでならば1週間程度で移動できた。
暗殺で戦の芽を事前に摘んでしまえば、曹操軍の被害は0である――。
正々堂々たる戦いとはいえなくても、それが郭嘉のやり方だった。
そして彼は常に情勢の大局を見ていた。
それはひとえに彼が構築した情報網がもたらす未来予測だった。
【郭嘉、袁紹の跡目争いを予言】
そんな郭嘉をはじめとした自慢の人材コレクションによるバックアップのおかげで、曹操は河北をかけた「官渡の戦い」で最大のライバル袁紹に10倍の兵力差をはねのけて勝つ。
打ち負かされた袁紹はその後2年あまりで、心労がたたって死んでしまう。
「チャンスですぞ。この勢いで一気に袁家を滅ぼし、河北を手に入れましょう」
曹操陣営はいきり立ったが、郭嘉はこう〝予言〟した。
「なぁに、急ぐことはありません。袁紹の息子たちは仲が悪い。放っておけばどっちが跡目を継ぐか、骨肉の争いになりますよ。さんざん疲弊した後にやっつける方が、わが軍の損害も少なく、お得です」
そう。袁紹は跡継ぎを指名しなかった。それがこの兄弟げんかの火種となっていた。
「ふん。袁譚VS袁尚か。せっかくの超名門が、跡目争いで崩壊してしまうぞ。まぁせいぜい利用させてもらうけどね。よし、ルシエン。流言飛語を用いて、とことん混乱させてやれ!」
郭嘉とルシエンは異国情緒あふれる華麗な西域の衣装をまとい、流れ者の旅芸人に身をやつして袁家領内の居酒屋を回った。
美貌のルシエンは艶やかに舞い、その艶やかな歌声には催眠や催淫の効果があった。
居酒屋の客の中には袁家のブレーン集団もいれば、反袁家勢力もいた。
そんな中で異国の色男・色女に扮したふたりは客の老若男女をいとも簡単に篭絡し、さまざまな秘め事を聞き出した。
また、こちらの流したウソの情報で両陣営を反目させ、かき混ぜ、ときには閨で刺客にもなった。
「せめてもの救いに甘美な腹上死を……ふふふ……んっ……」
「やっぱ寝取られは燃えるわwww」
まったく噂にたがわずの放蕩夫婦であった。
なので、同僚ですっごく真面目な陳羣というヤツに睨まれ、「素行が悪い」と罵倒されて、何度も弾劾された。
だが曹操はとことん郭嘉をかばった。同時に陳羣のことも大切にした。
だって郭嘉の裏工作のおかげで、袁家がグダグダになった後、曹操はわりと簡単に念願の河北を手に入れることができたのだから。
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そして妻のルシエンは近所での評判が悪かった。
「ね~え、郭さん家の奥さんて、名門の出だって聞くけど、ちっとも挨拶に顔を出さないのよネー」
夫とともに暗躍していて年がら年中家を空けていれば悪い噂が立つのも無理はない。
「やっぱ見たことないよね? どんな顔してんだか」
「見てみたいモンだわー」
「噂によると、すっごい醜女……」
「プークスクスwwwww」
「だから郭さんて、あんなに夜な夜な遊び回ってるのよ」
「あ~だから毎晩、郭さんたら金髪の遊び女を連れ込んでるっていうウワサなのねー?」
「え~売女を? あらヤダ家の中に?」
「いかに曹操さまお気に入りの軍師とはいえ、みっともないわねぇ~」
郭嘉は俗世間と付き合わなかったから、周りは言いたい放題だった。
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そんな噂はもちろんルシエンの耳にも入っていた。
「妻よ。苦労をかけるな」
「いいえ、旦那さま。ルシエンは楽しゅうございます。そしてあなた様のお役に立てることに誇りを持っておりますわ」
彼女は微笑んでいる。
「郭嘉さまの功績と名声はこのさき千年、そして更にいく千年も色褪せることはないでしょう」
「ありがとう。おかげで河北が手に入った。とうとうそなたとの約束が果たせたぞ」
「10年かかりましたわね……」
ルシエンは遠い目で北の大地を見詰めている。郭嘉は37歳、ルシエンは25歳になっていた。
「だが、そなたの外見は出逢ったころとまるで変わらない。ふしぎと15歳の時のままだ」
郭嘉はルシエンの白い頬に触れた。
結婚して以来、まるで聞いたことのない英流布という一族がどんなものなのか、西域の知り合いを使って調査してはいたが、分からなかった。
(弓が得意で、いつまでも美しく歳をとらず、不可思議な呪いを使う一族か……)
頼みの綱の義父に何度訊いてみても、
「ルシエンの本当のママ? 逃げちゃったんでしゅ」
としか言わない。
「息子の郭奕の外見は100パー漢民族なんだけどな……」
「あの子はクオーター英流布なのですけどねぇ」
ふたりは笑い合った。
歴史の修羅場をともにくぐり抜けた、いわば共犯関係ともいえる仲の良い夫婦だった。
(オレの死後は、そなたを実母の故郷へ帰してやりたい……)
死を意識していた郭嘉はいつの頃からかそう思うようになり、北方ルートの開拓に興味を持っていた。