第3話 曹操との出会い
◇◆◇
郭嘉が目覚めたのはもう明け方近くだったが、異民族バーはまだやっていた。
「あれ? いつ寝ちゃったんだろ。気付かなかった。調子に乗って飲みすぎたかな……あれ? ルシエンはどこ? 帰っちゃった?」
気付けば新妻の姿はない。新妻がいたはずの隣の席には何故か見知らぬ漢民族のオッサンがいて、独りで酒を飲んでいた。
「オッサン、そこに異民族の可愛い女の子いたよね?」
「いや」
切れ長の目がちょっと涼し気な、背が低めのオッサンだった。
「ウソぉ。いたでしょ?」
「いなかったってば。でも金髪の醜女ならいたかな。でもあれ店員さんでしょ? それよりちょっと静かにしててよ。こっちはいい気分で詩を詠んでるんだからさ」
オッサンは紙と筆を取り出して、すごくきれいな字でサラサラ書いている。
「ちょっ、その金髪のカワイ子ちゃんどこへ行ったんだよ?!」
「店員さんならカウンターだよ! ハイこれ読んでみて。なかなかいい出来でしょ」
受け取って読んでみるとオッサンは字もキレイだし、詩も意外とうまくて格調高かった。使ってる紙も絶対に高級品だ。
「これオッサンが詠んだ詩? すごいじゃないですか」
「あんちゃん、その上から目線の褒め方♡ 嫌いじゃないよ」
郭嘉が褒めるとオッサンは喜んで朗々と歌い出した。艶のある声だった。
「人材♪ 人材♪ 人材コレクター♪ 我こそは中華一の人材コレクター♪」
興が乗ってくるとオッサンはテーブルの上に立ち上がってその重厚な刀を抜き、剣舞まで披露しはじめた。
「すごいやオッサン。なんか教養人だね~。歌に踊りに多芸多才! いよっ、遊び人!」
まだ酒の抜けてない郭嘉は手をたたいて囃し立てた。
「……ふむ。ただのオッサンではないぞ。聞けよ皆の衆。わが名は魏の曹操であるぞ」
オッサンは声を溜めて威風堂々と名乗ったが、店内の客は誰も相手にしなかった。
そもそも魏の曹操さまがお供も連れずにこんな場末のバーに来るはずがないのである。
「ねぇ。さっき言ってた人材コレクターって何なのよ? オッサン」
郭嘉はオッサンに酒を注いだ。
「聞きたい? じゃあ教えてあげる。ワタシ実は、優秀な人間をいっぱい集めるのが趣味なのね」
「へー、変わった趣味っすね」
「アナタに自慢の人間コレクション見せたいなー。いろいろいるよ。昔ワタシの命を狙ってきた豪胆な野郎とか。有能だけど倫理観の欠如したヤツとかね。よかったらアナタも入れてあげるけど、どう?」
「どうって言われても……みんなちゃんと生きてるんすよね?」
「当たり前じゃない。みんなワタシのために働いてくれているよ?」
「よかったっす。蝶の標本みたいになってなくて」
「聞いてくれる? ワタシがコレクションをはじめたきっかけ」
オッサンは身を乗り出してきた。
「え? あ、いいすよ」
「袁紹って有名なヤツ知ってるよね? アイツなんてさー。むかしはワタシの遊び仲間だったんだよ? でもさ、アイツいつも名門の出ってことを鼻にかけやがって……ずっと腹の中でワタシのことを見下してたわけ。ほら、ワタシって宦官の孫だから。身分が卑しいとか言ってバカにするのよ。たまんないでしょう?」
「え? ああ。ヤな奴ですね」
「そっ。でもね、ワタシ思ったの。会社って社員なのよ。いい社員が集まってるからいい仕事ができるわけ。企業ってね、やっぱり人材がすべてなのね。人は石垣、人は城。わかる?」
「信玄とか混ぜちゃダメっす。三国志なんだから」
「やっぱりこのご時世で袁紹みたいな名門のネームバリューに勝つにはねぇ。実力よ。人材の力ってやつよ」
「あー、そっすね」
郭嘉はまたオッサンに酒を注いだ。
「でしょ。家柄や親のツテにかまけてちゃ、この先、群雄割拠の中で頭角を現せないよネ。ワタシ、身分を問わず能力のある人が大好き。どんどんワタシのところに来てほしい。だからこんどアナタもウチへおいでよ」
「ちょっ!! 近いっすよ!」
郭嘉がホラ吹きのオッサンの愚痴をさんざん聞いて日の昇ったころに家へ帰ると、美しい新妻のルシエンは郭嘉の寝床ですやすやと眠っていた。
「亭主をほっぽって一人で帰りやがって。危ないじゃないか」
(……よかった。うちに嫁さんが来たの、夢じゃなかったんだ)
新婚初夜はこんな顛末だったけど、郭嘉はこの可憐な押しかけ女房を大切にしようと心に誓ったのだった。
◇◆◇
無職でフラフラしていた27歳の郭嘉はその日、曹操の重臣である荀彧の推挙を受け、曹操の幕僚として就職すべく面接会場へ行って驚いた。
「あれっ? ゆうべのオッサンじゃない?!」
「だーかーらー言ったでしょ。わたしはただのオッサンじゃなくて人材コレクターの曹操であると」
このとき曹操は郭嘉より14歳くらい年上の41歳くらい。厳粛な雰囲気の中での再会だった。
「まさか本当にあの曹操だったとは……」
「そう。そのまさかよ。正直に名乗ったって誰も真に受けなかった。これぞ兵法よ。わたしは背が高くないし、見栄えに威厳のないタイプ。だから誰も本物だとは思わない」
「で、ですが、あんな場末とはいえ事情通がひしめく酒場に、今をときめく曹操さまがお共も連れずに紛れ込むなんて……」
「兵法の極意は虚々実々」
嘘と思わせて真実。真実と思わせて嘘っぱち。
嘘かホントか分からなくなれば、人は惑う。
「孫武も言ってるだろう。上兵は謀を伐つと。(ちなみにココ、知略ポイントね)」
「(は? 知略ポイント?)」
「(企画のテーマだよ。言っといたほうが親切かなって……)」
余談だけど、この曹操。孫子の兵法の注釈を書いております。
「……まあ、何はともあれ曹操さまが本物でよかったっす。実は、ゆうべ飲み食いした飲食代。オレと嫁の分も曹操さまにツケておいたんですよ。ご馳走様です!」
「はっ? いつの間に?!」
「でもお陰さまで、ひとつ良いことが分かりました」
郭嘉は笑顔でこう言った。
「曹操さま。あなたは人が大好きだから、きっと人もあなたのことが好きになります。いい臣下たちに恵まれることでしょう」
「ち……ちょっと郭嘉ちゃん! そんな誤魔化したってダメっ。初対面の知らない人にタカるのって良くないよ? しかも嫁の分まで! 本っ当に素行が悪いんだから。そんなことばかりやってると、あとでウチの幕僚ですっごく真面目な陳羣というヤツに弾劾されちゃいますよっ」
この面接で天下のことを大いに議論した両名はすっかり意気投合。
郭嘉は人材マニアの曹操に気に入られ、参謀集団の筆頭格に大抜擢。
有名な「袁紹の十敗、曹操の十勝」の内容は割愛!
まるで未来を予見するような優れた洞察力で、曹操を支える重臣となったのです。