第2話 ヨメとの約束
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「だって……。だってお嫁にくるの怖かったのです。わたくし、父親の不逞の子でご覧の通り異民族とのハーフですから……。嫁いでも顔を見られたらゼッタイに追い出されると思っていたので……だから心にもない婚約破棄など……追い出されて傷付くくらいならばと……」
金髪の美少女はさめざめと泣くのだった。
「ハーフというけど50パーって感じじゃないよね?」
「はい。100パー向こうだろってよく言われるんですけどハーフなんです」
客人の荀彧は若い新妻に遠慮してすぐに帰った。
彼はただ遊びに来ていたのではない。無職でフラフラしている郭嘉に職を斡旋してくれに来たのだ。
なんでも曹操の幕僚に空きができたとかで、プッシュしてくれたそうだ。
「就職したいなら面接は明日だぞ」
と言い残して去った。
美少女はまだ泣いている。
「わたくし、この外見ですから、お嫁の貰い手がなかったのです。郭嘉さまに貰っていただけなかったら、いかがわしい夜の異民族バーで働くしか、もう行く場所がありませんでした」
「なんでオレ?」
「郭嘉さまは手の付けられない放蕩者で、いかがわしい店に夜な夜な出入りしていらっしゃるとお聞きしましたので……。異民族の女の扱いには慣れてるし、非常識で身辺もだらしないから、きっと偏見なくフラットに受け入れてくださる。ちょうどいいから嫁ぎなさいとみんなに言われて……」
「ひどい言われようだな。それにオレがちょうどいい嫁ぎ先とも思えんが……」
西方の異民族は確かに好みだった。知り合いもたくさんいる。
「だが気に入った。妻にする。お義父さまにはちゃんと御礼のお手紙を書いておくから安心しなさい。あと今晩、異民族がたくさんいる酒場に連れていってやろう」
郭嘉はニヤッと笑った。
「ま、まさかわたくしをそこで働かせる気ですか?!」
「そんなことはしない。お友達でもつくればいいだろう(ニヤニヤ)」
郭嘉はその夜、怯える美少女を引っ張って行きつけの酒楼を何軒か連れ回した。
◇◆◇
西方の異民族が経営する夜の居酒屋「チャクチャク」にて。
「いやーんもう郭さまったら。イキナリこんな可愛い子をウチに連れてくるなんて。ヒドイわ~。もう妬けちゃうワ♡」
これで何軒目か……。
酒楼を回るたびに女将や看板娘の黄色い声を浴び、ときにしなだれかかられて衣の中に手を回される夫。
若い新妻は口をポカンと開けて見ているしかなかった。間合いに入っていけない。自分の夫がこのうちの何人とどのレベルまで親しいのかなど想像もつかないのだった。
「なぁ女将。何軒回っても分からないことがあるんだけど、知ってたら教えてほしいんだ。ちょっとこの子の顔よく見てくれ。民族のルーツみたいなもん分かる?」
「あらぁ。この子、ずいぶんキレイなお顔してるのねぇ」
女将は美少女の頬を触り、その耳を長い爪でからかうように弾いた。新妻は目にいっぱい涙をためて怯えまくっている。
「見てよ、この尖ったお耳。とっても珍しいわぁ~。アタシも見たのは初めてだわねぇ。う~ん、そうねぇ。もしかして、北西にすむという森の民族、英流布族じゃないかしら?」
女盛り、ペルシア人の酒楼の女将が美少女の母の出身地を鑑定した。
「はあ? エィルゥフー族? ぜんっぜん聞いたことないけど。おかみのふるさとの近く?」
「い~え~ぜ~んぜん。もっと西でもっと北の方じゃないかしらぁ。エィルゥフーの森は謎だらけなのよ。遠い西の遠い北の、ずっとずう~っと遠く。魔物もい~っぱい。それにエィルゥフーたちも、普通の人間とは違って仙人みたいに摩訶不思議なワザを使うって聞くわねぇ」
「ふぅん……。そういえば新妻よ、そなたの名をまだ訊いてなかったな。なんていうんだっけ」
郭嘉は妻に向き直った。
「何軒も連れ回しておいて、ようやく名前を訊いてくれましたわね。わたくしはルシエンと申します。年は15になったばかりです」
ちょっとふくれっ面でいるその様子があまりにも可愛らしいので、郭嘉はなんだか申し訳なくなった。この時代の女性の婚期はだいたい15~20歳くらいだが、こんな生娘をもらうのは罪ではないかと後ろめたく思った。
「郭嘉さまは毎晩、このようなお店でお酒を飲んでいらっしゃるのですか?」
ルシエンは碧い大きな目で店内を見回した。漢民族は少なかった。
客はシルクロードを旅する行商人が多く、みなエキゾチックな異国の民族衣装を着ている。
女将のようなペルシア人だけでなく、インドや西アジアのさまざまな民族が入り乱れて大声で挨拶を交わし合い、笑い、酒を飲み、互いに旅先で見聞したことを語り合っていた。
「まあね。こういう店はシルクロードの向こう側の話が聞けて面白いんだよ。たとえば250年前のエジプトのクレオパトラとカエサルの恋愛話とかね」
そう話す郭嘉を、女将が頬杖をつきながらジーっと意味ありげに見つめている。
そんなゴシップ話、彼がどのようなシチュエーションでどんな人物たちから耳に入れるのかなど、まだあどけなさの残るルシエンには分かるはずもないのだった。
「まぁこの中華の内側にはあまり関係のない話だけどな。だから、もちろん漢民族の酒場にも行くよ。玉石混交、英雄たちのいろんな噂話が聞けて情報収集になるからね」
「情報収集?」
もちろん新聞もテレビもネットもないこの時代のこと。
「だって世の中の動きがリアルタイムで分からないと、天下の趨勢が見極められないだろう」
「天下の趨勢ってなんですの?」
ルシエンは興味無さそうに聞き返した。さっきから少しプンプンしているが、郭嘉は杯を片手に気にも留めずにしゃべり続けている。
「河北の袁紹や許の曹操といった英雄同士の力関係のことだよ。いまは戦乱の世の中だ。漢王朝の力が衰え、各地で何人もの英雄たちが名乗りを上げて対立している。そんな中で、誰が一番天下取りに近いと思う? それを見極めるためには、面倒でも自分から色んな場所に行って積極的に情報を集めていかないとダメなんだよ」
急にルシエンが身を乗り出してきた。何かのキーワードに反応したようだったが、それが何なのか郭嘉には分からなかった。
「あらいけない、郭嘉さま。今は漢王朝の皇帝さまである献帝・劉協さまがいらっしゃいますのに、そのような不敬なことを口にして罪に問われませんか?」
「ふん。オレさまは非常識な男なんだ。力の衰えた権力者なんかどうだっていいんだよ。今後は誰でも力のあるヤツが皇帝になればいい。そんで早く平和な世の中にしないとね。行商人にも安全な旅をさせてやりたいし」
「では、あなたさまが皇帝になればよろしいのに!」
ルシエンの潤みがちな瞳が輝きを増している。
「ばかをいうな。政治家に必要なのはジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)の3つのバン……じゃなかった、そもそもオレみたいなヤツはリーダーの器じゃないんだってば」
「うつわ?」
「そう。リーダーってさ、いろんな個性を持った多くの人間を従わせたり心を掴んだりして、みんなに号令をかけたりしなきゃだろ? そいつの一言で、みんなが動くんだぜ。オレなんか、少人数をまとめることすらできないってのに……」
「郭嘉さま、あまり人付き合いをしないってウワサですもんね……」
「……で、この中華世界で皇帝をやるってことはだな。それこそ、そいつが土地から民から国内のものぜーんぶ私物化するってことなんだよ。漢が廃れてこれから誰かが新しい王朝を開くとなると、それなりにデカい器が必要になるだろうな」
「器って何ですの」
「人を受け入れる度量というか心の広さというかカリスマというか……そりゃ、褒められたことばっかりじゃないよ。清濁併せ呑むポジティブさというか何というかね。実のところ、オレには人の上に立つヤツらの心の中なんてよく分からねえ」
「でもどうして、ご自分のことを器じゃないなんて言うんですの?」
「だってオレ様なんかちょっと傲慢だし、そもそも参謀タイプの人間だから皇帝には向いていないよ」
「皇帝になりたい方なんて、世の中にはたくさんいらっしゃると思いますけど……」
「オレは他人を直接支配することになんか興味ないからね。天下の政治については興味あるけど」
「ふうん……?」
「オレ様がやれるのは皇帝クラスの大きな器の人物を見つけて、そいつのブレーンとなって事を成すのがせいぜいだな……人の上に立つよりかはな」
酔っ払って話すうちに、郭嘉はきょう会ったばかりの新妻とだんだん親しくなってきたような気がした。ルシエンの杯に酒を注ぐと、なんだか遠い目をしている。
「……郭嘉さま。ルシエンは天下のことには興味がありませんけど、河北へは行ってみたいのです」
「ああ、河北。栄えてるよね。今は袁紹の支配下にあるけど」
「覚えていらっしゃいます? ルシエンが最初、使者を通じて申し上げたこと。河北の袁家に嫁ぎたいと」
「ああそうだった。オレに婚約破棄を突き付けて、袁家の息子に嫁ぎたいとか何とか言ってたけど……悪かったな。結局ウチなんかに来てもらっちゃって。借金のカタみたいにさ」
「いいえ。じつは、風の噂に聞いていたのです。実母が河北にいると。でもあまりにも広大な土地でたった1人を探すことなど不可能でしょう。なので袁家に嫁ぎたかったのです」
「母って、英流布族のお母さん?」
「ええ、そうです。幼いころ、いくつかの呪いや薬草の煎じ方を教えてもらいましたが、ある日突然いなくなってしまって……」
「そうか。ルシエンはきっと母君にそっくりなのだろうな」
「ええ、とても」
ルシエンのあどけない碧い瞳には、いつしか涙がいっぱい溜まっていた。
「母の故郷はずっと北西の最果てにあるそうです。帰りたいといつも言っていたのを思い出します」
「なるほど。母や故郷の手掛かりは北方にあるのか……。だけどあのケチな袁紹がお前の望みを叶えるとは到底思えないな」
「袁家は息子が3人いるから、誰か1人くらいはお願いごとを聞いてくれるかも……」
「三兄弟を渡り歩くのかよ? だったら俺の情報網で母親の消息をつかんでやるよ」
「あ……ありがとうございます……」
ルシエンの目から大きな涙の粒が、ポロリとこぼれ落ちた。
「でも情報網って、郭嘉さま……。こういうお店とか……ああいうお店とか……ああいったお店とかのことでしょう……?」
涙が次から次へと、ポロリポロリとこぼれ落ちる。
「え? あー……、えー、えーと。……ごめんなさい……。でも情報網って、こういう店ばかりじゃないから。寺院とかさ、いろいろあるんだよ」
郭嘉は今更ながら、この出逢ったばかりの新妻に夫が女とイチャつく姿を見せすぎたことに気付いた。ちょっと無神経だったかもしれない。
「ま、お前の実母はオレにとっても義理の母だ。必ず消息をつかんでやるから心配するな。まずはオレの知略で、袁家を滅ぼして河北を取ってやろう」
「郭嘉さまったら、まだ主君に仕えてもいないのにそんな大言壮語を……」
ルシエンは泣きながらクスクスと笑った。郭嘉も笑ったが、ちょうど酒が回ってきた。
(あれ……? きょうは酔いが回るの早いな。この程度で酔いつぶれるオレじゃないのに……足早に何軒もハシゴしすぎたせいかな……)
ルシエンの憂いある碧い瞳と見つめ合ったのを最後に、郭嘉は酒で記憶が飛んでしまった。