第1話 ヨメの知略
「あたくし、郭嘉さまとの婚約を破棄させていただきます!」
縁談の相手の女が言ったらしい。顔は知らないが家柄は上等だそうだ。だが冒頭で婚約破棄をかますくらいなんだから、残念な女には違いない――と、のちに曹操の参謀となる郭嘉は思った。
さてさて、この話の舞台は中国・後漢末期のいわゆる三国志の前半時代。
主人公はのちに魏の天才軍師と称えられ、曹操に一番かわいがられたという重臣、郭嘉。
字は奉孝といい、まじめに言うと「郭嘉さま」とか「曹操さま」とか「諸葛亮さま」みたいに皆がみな呼び合うわけではなかったのですが、この小説では分かりやすく郭嘉さまとか曹操さまとか諸葛亮さまという呼び方で登場人物同士が呼び合うことにしちゃいます。お許しくださいませ~。
さてその郭嘉、このとき27歳。ちょっと病弱でプライドの高い色男。曹操に出会う直前で、素行の悪い遊び人でありました。
三国志といえばご存じのように曹操の魏・孫権の呉・劉備の蜀の3国が相争って天下取りに夢中になった時代。
でもこの時代はまだ魏も呉も蜀もないただの後漢。
ときの皇帝は15~6歳の少年、献帝・劉協。幼いころから色んな人に利用されたかわいそうな後漢のラストエンペラー。
いまは曹操の庇護を受け、許に都を移したばかりでございます。
この時点での曹操のライバルは劉備ではなく袁紹という河北の覇者でして、三国志はまだまだ前半。
ちなみに主人公の郭嘉、三国志のメインイベント「赤壁の戦い」の1年前に38歳という若さで亡くなっております。
赤壁、郭嘉が生きてれば勝てたのにネ……(え?)
郭嘉は未来を言い当てる男。
先見の明のある優れた軍師。
その軍略は天下一品といわれましたが、プライベートには謎も多い。
奥さんが一体誰なのかも明らかではないようです。
このお話は、そんな彼の家庭の事情を勝手に想像した超ライトなお話であります。
「お嬢様はこのように言っておられます。『郭嘉さまはひどい遊び人。昼も夜も酒びたり、女びたりと聞きますわ。ゾッとします。あたくし、名門の袁紹さまのご子息に嫁ぎたいのです。そして三公の妻として贅沢に暮らしたいのですわ!』」
このころ、天下第一の大物といえばまず袁紹。使者が伝えた女の言い分は至極もっともだったが、郭嘉はカチンときた。
「……はあ? お前みたいなバカ女はいらん。袁家の三兄弟みたいな小物がいいならさっさと嫁いでしまえ。どうせ落ちぶれて死ぬだけだ。ざまぁ。帰ってそう伝えやがれ」
実は郭嘉はその袁紹に、先日会ってきたばかり。もちろん仕官を視野に入れて会ったが、「あんな奴、とても君主の器ではない。とんだ期待外れだ」と立腹して帰ってきていた。
そんな袁家を引き合いに出されてムカついた郭嘉は、病気がちでろくに鍛えていない細腕で使者をボコボコにして叩き出した。
もともと結婚する気などさらさらない。父上が持ってきた縁談だから従ったまでだ。こっちから破棄してやる――と、郭嘉は鼻で笑った。
そしたらなんと翌日、女の父親からお手紙がきた。
『郭嘉しゃま~。ごめんなしゃい。しょんなこと言わないでウチの三女をもらってくだしゃいよ。ウチの三女、ご覧の通りバカ女なんでしゅ。郭嘉しゃまみたいな百戦錬磨の遊び人しかもらっていただける人いないんでしゅよ。放っておくと、いかがわしい店でバイトしちゃうような女なんでしゅ。どうかお願いいたしましゅ~』
百戦錬磨の遊び人とは失礼な。郭嘉も父親にお手紙を書いた。
『いかがわしい店でバイトするような女なんか寄越すんじゃねえ(怒)』
そしたらまたお返事が来た。
『困るんでしゅ。ウチの三女、絶対秘密なんでしゅけど醜女なんでしゅ。もらい手がいないんでしゅよ』
もちろんお返事を書いた。
『いかがわしい店でバイトするような醜女なんかいらねえよ(怒)』
『本当に困るんでしゅ(泣)。だってワタシ郭嘉しゃまの御父上に借金してるんでしゅもの。ウチみたいな家柄の上等な娘を嫁にやるからお金貸してくだしゃいって』
『借金だと? どれくらいだ。オレがチャラにしてやるよ』
『天文学的な数字でしゅ。いいからウチの娘もらってくだしゃい。車に乗せて送り付けましゅから』
郭嘉は手紙を破り捨てた。
この時代、男は30までに結婚しないと何かと都合が悪かった。言ってみれば国や地方自治体が結婚しろと圧力をかけてくるようなところがあったのだ。
「おお、やっと結婚するんだ、郭嘉」
同郷で軍師の荀彧がたまたま遊びに来ていた。
荀彧は曹操のブレーンのひとりで、頭がよく名門出身の超エリート。しかも身なりの整った超イケメンである。年は郭嘉より7つくらい上。
郭嘉にはこういった傑物としか付き合わない傲慢なところがあった。
「ばかをいうな。ろくな女じゃないんだよ」
「家柄はよいのだろう。身を固めるにはちょうどいい。どうせ君は立派な奥方をもらったって大切にできるような男じゃないのだから、充分じゃないか」
「ふざけるな。女の車が来たら、野盗に襲われたことにして送り返してやる」
するとすぐ、夜を待たずに早くも嫁入り行列らしき車が来た。
しれっと家の門をくぐってこようとする。
「早すぎる。仕込んでやがったな」
郭嘉は家の者をかき集めて妨害し、門の前でちょっと小競り合いになったが、車を引いてきた男のひとりがどさくさに紛れて紙きれを郭嘉に押し付けると、人足たちは車を置いて、パッと一目散に逃げ帰った。
もちろん紙切れにはこう書いてあった。
『娘をよろしくでしゅ。パパより♡』
「やられたな」
荀彧が笑っている。
顔をしかめた郭嘉が車の中を確かめた。
だが、嫁らしき女の姿はない。
「なんだ。空っぽじゃないか。バカ女も一緒に逃げたんだな。どうせ袁紹のところへでも行ったんだろう。ちょうどいいや」
「嫁入り道具を放置していったようだが」
「しょうがない。借金のカタにでも頂いておくか」
さすが名門だけあって立派な調度品……かと思いきや、小さな鏡と、箪笥と、コ汚い使い古したような丸まった西域の絨毯しかなかった。
「こざっぱりしているな。さすが君の父上から借金しているだけはある。金がないのだな」
「うわっ、この絨毯汚ねえな。売れねえだろ。家に入れる前に燃やしちまえ」
郭嘉は庭で絨毯に火をつけた。
「――きゃあっ! ――アチッ、アチッ!」
丸められた絨毯の中から声が聞こえる。
慌てて火を消すと、絨毯が広がって裸の美少女が転がり出てきた。
長い髪は金髪ストレート。モデル体型のスレンダーで輝くような白い肌。二重まぶたで睫は長く、大きな碧い瞳はうるうるしている。
西方異民族の美しい顔立ちだ。そして尖った耳。
「……え? 尖った耳? それじゃまるでエル――」
「おまえ!! なんで全裸なんだよ?!」
荀彧の疑問を遮って郭嘉が全力でツッコんだ。
「だって。だってお嫁に来たんですもの。まさかお庭で燃やされるとは思わなくて……」
美少女は色々なところを手で隠してモジモジしている。
「全裸で絨毯にくるまってくるなんて、そんな嫁ぎ方がどこにある? お前はクレオパトラかよ?! 誰か服を持ってこい!」
こうして郭嘉は美少女の知略(?)にまんまとハマり、少女は服を着せられ、無事に嫁として家の中へ招き入れられたのだった。
知略じゃねえ!
まだ続きます。