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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
7/172

4

 告げられた事実にわたしはふたつの意味で驚かされた。

 ひとつはただの刑事がこんな高級住宅に住んでいるということ。そしてその刑事というのが身近な人間だったということ。

 

「殺されたって死ぬようなやつじゃなさそうだったのにな」


 刑事としての弔意はひとしきり示しているものの、リッチーの口ぶりには同僚が殺されたことへの怒りも悲しみも感じられなかった。それは彼が冷淡な人間だからというわけではなく、ひとえにマートンという男が得体の知れない人物だったという理由からだ。


 エリック・マートンは、わたしが勤めるニューオーウェル市警十九分署で共に働く署員であり、なにより同じオフィスに机を並べる殺人課の刑事同士だった。

 当然ながらわたしも彼とは面識があったものの、その間柄はただの同僚止まりという淡泊なものだった。わたしだけではない、十九分署の誰もがマートンとはほとんど親密な接点を持ってはいなかった。


 マートンはときおりふらりと署を訪れては、知らないうちにまたどこかへ出かけてしまう。

 わたしが署内でマートンと顔を合わせたのもたったの一度だけ。廊下ですれちがったのだが、銀縁眼鏡の向こうからのぞく冷たい目からはわずかな感情も見えてこなかった。スーツをそつなく着こなすそのスマートな姿は、刑事というより辣腕をふるうやり手の弁護士のようだったが、無感情で冷たい薄灰色の瞳を見たわたしは、彼に対して幽霊のようだという印象しか抱くことができなかった。


 廊下に並んだドアのどれがマートン宅に通じているのはすぐにわかった。そのドアだけが開け放され、中から多くの人の気配が伝わってきたからだ。

 そのほかのドアはすべて閉ざされていた。住民たちは近隣で起きた殺人を恐れてか顔を出していない。あるいは仕事に出かけているのかもしれないし、単に無関心なのだけかもしれない。


「入るぞ」ドアの前で振り返ったリッチーが念を押すようにわたしに言う。「みんな殺気立ってる。覚悟しとけよ」


 わたしは無言で頷いた。


 警官が殺されるというのは、わたしたち警察官にとってもはやただの殺人事件ではない。

 仲間の無念を晴らすため、警察の面子を守るためなど理由は様々だが、そこには共通して警察官としての闘志のようなものが存在していた。


 犯人は警官殺しという最悪の形で、わたしたちに挑戦状を叩きつけてきたのだ。だから鑑識は鑑識が、制服警官は制服警官が、そして刑事は刑事がそれぞれに課せられた職務をより強い信念で全うしなくてはならない。


 それは単純に帰属意識がはたらいたというわけでもない。

 極東の島国では『武士道』という理念があるらしいが、わたしたちにとって問題はもっと個人的なものに集約される。

 わたし自身、マートンとはほとんど接点がなかったが、顔見知りの刑事が殺されたということに戦慄し、同時に治安の守り手の命を奪った犯人を一秒たりとも野放しにしておくわけにはいかないという使命感にふつふつと燃えていた。


「リッチー」わたしは規制テープをくぐろうとする相棒を厳しい口調で呼び止めた。

「なんだ?」黄色に黒い太字で立入禁止を警告するテープを握りながら、リッチーが中腰で振り返る。

「なんだ、じゃないでしょ。いいかげん煙草はよしてよ」


 リッチーはため息をつくと、背筋をのばして例の携帯灰皿を取り出した。留め具のボタンがはずされると、どうやってその小さな空間にしまいこまれていたのか、中から吸殻が数本こぼれた。まるでヘビのおもちゃが飛び出してくるびっくり箱だ。

 しゃがみこんだリッチーは何事かをぼやきながら落ちた灰と吸殻を拾い集めた。

 こんなことを現場でしでかそうものなら、全員から白い目で見られるのは確実だ。そんな巻き添えを食らいたくない。


 吸い殻を両手に抱えたリッチーが立ち上がると、ちょうどドアの向こうからひとりの若い鑑識官がこちらへと足早にやってきた。仕事道具だろう、肩には大きなバッグを担ぎ、手には証拠品を入れるための空の袋を数枚手にしていた。


「ちょっときみ」リッチーは規制テープをくぐってこちら側にやってきた彼を呼び止めると、「こいつを頼む」


 言いながらリッチーは鑑識官が持っていた空の証拠品袋に灰と吸殻を流しこみ、ついでに携帯灰皿の中身まであけてしまった。

 突然のことに若い鑑識官は吸殻で満たされた袋を手に呆然と立ち尽くした。それを尻目に、リッチーはなにくわぬ顔で規制テープをくぐっていった。わたしも鑑識官の肩を軽くたたき、相棒のあとを追う。

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