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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
6/172

3

 エレベーターの中は、象牙色を基調とした高級感のあるたたずまいだった。

 思わず自宅の薄暗いエレベーターと比較してしまう。あちらはツタの葉をあしらう洒落た装飾のかわりに、『F』ではじまるお上品な四文字言葉がスプレーででかでかと描かれている上に、酒に酔った大学生が粗相までするのだ。

 そうした現場に居合わせたときは、ただちに掃除をする必要があるほど事態が深刻であることを管理人に訴えてから、非常階段を使って自宅のある階までのぼらなくてはならない。

 そんな益体もない比較をしているうちに、わたしを乗せた箱は目的階で静かに止まった。到着を告げるベルの音までもが、優雅さと気品をたたえていた。


 相棒のリッチー・ベンソンは開いた扉の向こう、廊下の壁にもたれかけてわたしを待っていた。


「遅いぞ」

「これでも急いだのよ」


 屋外と比べて建物の中はいくらか暖かく、わたしはほどいた髪を指で撫でつけた。濡れたままの髪は氷のように冷えており、触れるたびにきしきしと音をたてた。


「この奥だ。行くぞ」言いながらリッチーは懐から煙草の箱をとりだした。

「ここ、禁煙なんじゃないの?」


 訊ねるわたしにリッチーは別のポケットから手にとった携帯灰皿を振ってみせた。彼の理屈では、これさえ持っていれば殺人現場だろうが大統領執務室だろうが煙草を吸ってもいいらしい。


 リッチーはくしゃくしゃの箱から煙草を一本抜くと、砂色の無精ひげだらけの口に銜えて火をつけた。緩慢なその動作はいかにもものぐさで、壮年男性ならではの渋みのかけらもない。着ているシャツやスーツはしわくちゃだし、かつては上等なブランドものだったであろうダークグレイのトレンチコートは年じゅう着たきりのせいでみるかげもない。

 身も心もアイロンがけが必要な男やもめ。そんな親子ほど歳の離れた相棒は、歩くそばから廊下に新しい煙草のにおいを漂わせていた。


「まだ鑑識が仕事中なんじゃないの?」廊下を大股で進むリッチーの背中を追いながら言う。

「もう終わってるよ、現場に入って五分かそこらでな。おまえさんが来るよりずっと前に目処がたっちまった」

「そんなに簡単な現場なの?」

「事件に難しいも簡単もないさ。ただ事実が転がってるだけだ。まあ、妙な現場ではあるがな。簡単、というより単純すぎる。鑑識の連中も手をこまねいてるみたいだ。なんにしろ、面倒なことさ」


 面倒、というのがリッチーの口癖だ。事件にしろ日常生活にしろ、なにかにつけて彼はよくこの単語を口にする。


「またそんなこと言って……人が亡くなってるのよ」わたしは周囲を見回した。白亜の廊下に敷かれた深い赤い色の絨毯もまた、自宅にあるアイスクリームまみれのものとは比べ物にならない。「こんなところに住んでいても、この街の市民のひとりなんだから」

「おまえさん、下にいる坊やからなにも聞いてないのか?」わたしの言葉にリッチーが足を止め、振り返る。

「ティムね。その坊やはわたしのことが嫌いなのよ」

「おれにはそうは見えんがね」

「なんですって?」

「まあとにかく、知らないならあらかじめ教えといてやる。被害者は刑事だ」リッチーはそう言って咥えた煙草の横から煙を吐き出した。「警官殺しだよ。こりゃしばらく荒れるな」

「ちょっと待ってよ。刑事ですって? いったいどこの署員なの?」

「うちさ。エリック・マートン。ここはやつの自宅だ」

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