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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
43/172

6

「ジョン・リップ……いいえ、<ザ・ブラインド>。マーク・ハニーボールおよび、エリック・マートン殺害の容疑で、あなたを逮捕します」


 言いながらジョンに向けた銃は小刻みに震えていた。ステンドグラスの複雑な光を受け、銃身に万華鏡のような模様が浮かんでいる。


「片方には心当たりがないな」ジョンが肩ごしに振り返ったまま立ち上がろうとする。「それに、その通り名を人の口から聞くのはずいぶん久しぶりだ」


 ジョンは自分が<ザ・ブラインド>その人であることを……少なくともそう呼ばれていることを否定しなかった。


「わたしの許可なく動かないで。へたなことはしないほうが身のためよ。両手を上げてゆっくりこっちを向きなさい」

「わかった。言うとおりにしよう」


 ジョンは言いながら立ち上がると、こちらに向きなおった。彼の動作はすべてが遅く、時計の短針でもながめているようなじれったさだった。わたしは相手の動きを注意深く見張ったものの、すぐに苛立ちが集中力を削いでいくのを感じた。

 だがわたしの注意を逸らしたのはジョンではなく、突如外で鳴り響いた車のクラクションだった。壁越しにくぐもって聞こえるクラクションは、エントランスの中を落ち着きのないネズミのように跳ねまわった。


 思わず背後の玄関を振り返ってしまう。それがまずかった。


 慌てて向きなるわたしの目の前で、ジョンがシグ社のP210……例の<貴婦人>を構えていた。

 一瞬の油断が命とりになった。相手は盲目でありながらも凄腕の殺し屋なのだ。ほんのわずかな隙でこうなることはわかっていたはずなのに。だが後悔してももう遅い。

 銃口を向け合いながら、わたしは怯みそうになる気持ちを必死に奮わせた。


「わたしがマートン殺しの犯人だといいたいのか?」ジョンが訊ねる。

「そうよ。あんなまねができる人間なんて。そういないわ」

「マートンが殺された状況ならわたしもマクブレインから聞いている。だからあえて言わせてもらうが、きみはとんだ思い違いをしている。決定的な見落としがあるんだよ」

「いいから、銃をおろしなさい」

「いいだろう。意固地になっていればいい。おたがい引き金にかかった指は驚くほど軽いはずだ。それこそタップダンスのステップを踏めるくらいにね。それで最後はどうなる? 出来の悪いマカロニウェスタンよろしくふたりとも血まみれになって倒れるか? そのうち誰かが見つけてくれるだろうか。もっとも、そのときわたしたちは煉獄で神の慈悲を請うているころだろう。気にもならないがね」

「なにが言いたいの?」


 叫びながら、わたしは自分自身の指がはずみで引き金を引きそうになるのを必死でこらえていた。なるほど、たしかにジョンの言うとおり、これなら指でタップダンスができそうだ。ほんの一時間前、ビルの屋上で銃を撃つことにあれだけ躊躇していたのが嘘のように。

 これもひとつのトロッコ問題なのだろう。ただし、いまのわたしはジョンと仲良く同じレールの上に立っていて、切り替えポイントのレバーに結びつけた縄の端を握っているのかもしれない。

 それともわたしたちは暴走するトロッコに乗っているのかも。片方には大勢の男たち、もう片方はレールが途切れて谷底にまっさかさま。


「銃だよ」


 ジョンの声にわたしは我に返った。あろうことか、わたしは殺し屋と銃を向け合ったまま、とりとめのない物思いに耽っていた。


「なんですって?」

「ライフルだ」ジョンが繰り返す。「署長から遺留品のことを聞いた。いわゆる証拠物件Aというやつだ。現場にはシャイタックの弾丸が落ちていたそうだね」

「そうよ。でもそれとあなたの容疑が晴れるのとなんの関係が――」

「わたしが使っているのはウィンチェスターだ。どうしても標的をはずしたくないのなら、どうしてマートンに同じ銃を使わないんだ?」

「あなたがウィンチェスターを使っているからといって、シャイタックを使っていないという証明にはならないわ」

「きみも強情だな」ジョンはため息をついた。「では証人の出廷を要求しましょうか、裁判長。わたしのアリバイの証人だ」

「ふざけないで」

「本気さ。わたしのアリバイは証明できる。証人がいるからね……きみだよ」

「なにを――」


 そこでわたしは言葉を失った。

 ティムから第一報があった前夜、つまりマートンの死亡推定時刻、恋人と破局したわたしは……そう、わたしはあの夜、ジョンを路上強盗から救っていた。正体も名前もわからないミスター・ウェリントンとわたしは出会っていたのだ。


 あの裏路地から殺害現場であるアッパー・イーストまではかなりの距離がある。わたしと別れてからあらかじめチャーターしたであろうヘリコプターに乗ってマートンを殺すこと自体は、もしかしたら可能かもしれない。


 だが、わたしはその行動とジョンの性格とのあいだに違和感を覚えた。強盗にあったことが想定外の出来事だとして、ジョンがそのあとに無理を押して大事な仕事をするのは不自然に思えたのだ。逆を言えば、そんな大事な仕事を控えている殺し屋が、行きつけの店で暢気に夕食をとるだろうか。


「でも、ハニーボールは……」わたしは話の向きを変えて今朝の一件にすがった。手にした拳銃が力なく揺れているのがわかる。

「あれは警察も認めている仕事だ。繰り返しになるが、きみがハニーボール殺しでわたしを立件することは逆立ちしたってできっこないんだ」


 わたしはとうとう、銃口を下げてしまった。

 ジョンの説明にうちのめされていた。はずみで自分の足を撃ち抜かなかったのが奇蹟とさえ言えよう。敗北感が、わたしを引き下がらせていた。


 ジョンは小さく頷くと、自分の銃を腰に差しなおした。かさばるダウンコートをものともせず、彼は一瞬にしてあそこから<貴婦人>を抜いたのだ。まるで魔法だ。

 わたしがここでこうして呼吸を続けていられるのも、ひとえに彼がかけた情けのおかげなのかもしれない。もしもわたしが彼の殺しのリストに載っていたら、この場を一秒たりとも生きながらえてはいなかっただろう。


「今日の仕事は終わりだ、帰ってくれ。だが明日から毎日ここに顔を出すこと。一日三十分だけでもいい。緊急時には電話もするが、くれぐれも着信はとらないでくれ。コール三回で切るからね。それが合図だ」


 わたしが顔を上げると、ジョンは口元にかすかな笑みを浮かべてしっかりと頷いた。

 そこには冷酷な殺し屋<ザ・ブラインド>の姿はなく、いつもの穏やかで紳士的なミスター・ウェリントンが立っていた。

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