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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
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 翌朝、枕元で鳴り響く携帯電話のバイブレーションが、失恋を忘れさせてくれる眠りからわたしを引きずり出した。


「アークライト」はりついた唇をこじあけながらわたしは相手に名乗った。

「寝起きか、リサ? 彼氏が隣で寝てる?」

「ティム。それセクハラよ」

「ほんの冗談さ」


 同僚の軽口を耳に、わたしは目をこすりながらカーテンをあけた。朝日とともに街の喧騒が寝室に飛び込んでくる。


 振り返ったわたしは部屋のありさまを見てうんざりした。床にバケツサイズの徳用アイスクリーム容器とウィスキーの小壜が転がっており、中身がカーペットの上にマーブル模様の水溜りをつくっていたのだ。

 その中心に、手鏡ほどの大きさを誇るサーバースプーンが横たわっている。それを見て、昨夜自分がなにをしたのかを思い出した。


<ノアズ・パパ>からの帰り道、わたしは立ち寄った二十四時間営業のデリで、このアイスと酒を買った。自宅に着くなり壜の中身を半分かた煽り、残りをアイスと混ぜてがむしゃらに頬張ったのだ。

 失恋の痛手を癒やす不器用な女の荒療治。効果のほどはたかが知れているどころか、思い出したように二日酔いの波がどっと押し寄せてくる。今日はひどい一日になりそうだ。


 一度は手にとったスプーンを水溜りの中に放って戻すと、はねあがったアイスの飛沫がベッドのシーツまで汚した。わたしは深いため息をついた。


「リサ?」電話口からティムが訊ねてくる。

「なんでもない。場所は?」


 同僚からの電話でいちいち仕事の話かどうかを訊くほど間抜けではない。この携帯電話に飛び込んでくる着信は仕事関係か、そうでなければ故郷の母や恋人からくらいのものだ。母は年に一、二回電話をよこせばいいほうだし、恋人とは昨夜別れたばかりだ。


「アッパー・イースト七十九丁目、二四〇番地」ティムが答える。

「高級住宅地じゃない」

「たしかリサの家はロウアー・イーストだったよな」

「ええ、大学の近くよ」

「迎えは?」

 わたしは部屋の惨状を見まわしながら、「いい。三十分で行くわ」


 電話を切ると、わたしはまずシャワールームへ向かった。カーペットの張替えを考えなければならない。手をほどこすまえに階下の住人の頭に甘い雫が落ちないことを祈ろう。


 汗と一緒に残っていた酔いを洗い流したわたしは、乾燥機から直接とりだした白いブラウスと、ソファに脱ぎっぱなしにしていた黒のスラックスを身に着け、革製のホルスターをふたつ、それぞれ脇の下と腰につけた。脇の下のホルスターには制式貸与品のグロックを、腰には私物のコルトを差す。


「守ってね、父さん」


 コルトにそう呟いたのは、ふと心細さを感じたからだ。


 ベッドルームに戻り、クローゼットから靴箱を取り出す。中身のパンプスはいまの仕事に就いたばかりのとき、通勤用にと買ったものだ。靴ずれと動きにくさが災いして、半年と経たずにこうして一線から退いたわけだが。


 わたしがヒールを履いたところを見たことがない、と別れた恋人は言っていた。いま手にしているパンプスは踵部分がほとんど平らなものだったが、それでもスニーカーとくらべればよっぽどスマートな見た目だ。


 元恋人へのあてつけのつもりで選んだパンプスを、しかしわたしは五秒も履いていられなかった。結局、いつものスニーカーで自宅を出た。

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