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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
29/172

26

 夜はまだ完全には明けていなかった。それどころか、街全体が眠りにつく夜明け前のこの時間帯、もっとも深い闇が世界を覆っていた。


 わたしとジョンは街灯が照らすうら寂しい通りを南に向かって歩いていった。目が見えないにもかかわらず、ジョンは力強い歩調でわたしの前を進んでいった。


「いったいどこに向かっているの?」


 なかば小走りで追いすがるようにしながらわたしは訊ねたが、ジョンが口を開く様子はない。


「ああそう、着いてからのお楽しみってことね」


 この負け惜しみにもジョンは無言だった。わたしは観念すると、それきり口を噤んで彼のあとについていった。


 黙りこんだまま歩いていると、わたしたちはいつしかニューオーウェルの南端に位置するジュール街へと足を踏み入れていた。

 ニューオーウェル、ひいてはアメリカと世界の経済の中心地のひとつであるここには、多くの金融と貿易関係のオフィスビルが建ち並んでいる。歴史ある証券取引所では、時価総額十六兆ドル以上という、一介の警察官では想像もつかないような莫大な金額が動いている。


 ジュール街の中心に近づくにつれ、スーツを着こなしたビジネスマンたちの姿が少しずつ増えてきた。彼らはビルから突き出た星条旗がはためく下をきびきびと歩いている。

 ジョンもまたビジネスマンたちと同じような歩調だったため、わたしはさらに遅れてしまった。

 さらに普段とは縁遠い場所をきょときょとと見回していたせいもあったのだろう。わたしは前を歩いていたジョンが急に立ち止まったのにも気づかず、彼の背中に顔面をぶつけてしまった。


「ここだ」鼻をおさえるわたしに、ジョンは短くそう言う。


 そこは乱立するオフィス街の谷間、日陰に身を潜めるようにこじんまりと建っているビルの正面だった。とはいえ、ほかの建物が巨大すぎるだけで、わたしたちが訪れたビル自体も十階以上の高さがある。


「ここになにがあるの?」


 わたしのこの質問にもジョンは答えず、さっさとビルに入ってしまった。


「はいはい、まだ秘密なのね。わかりましたよ」ぼやきながらわたしもビルに入る。


 建物の中はがらんとしたエントランスホールだった。改装中なのか、人どころか調度品の類も一切置かれていない。


 立ち止まることなくその中を突っ切っていくジョンに続いて、わたしもエントランスを進んだ。

 打ちっぱなしのコンクリートの床を反射する足音が、冷たい空気をどこまでも響いていく。


 突きあたりまでくると、ジョンはエレベーターを呼び出した。点灯したボタンを見て電源が生きていることに驚かされたが、手探りもせず一回でボタンを押し当てたジョンの動作にはさらに目を見張った。その所作は目の見える人間とそうかわらない。だがあの色素のない瞳を見るにつけ、彼の目が機能していないことに疑いはなかった。


「何階?」


 あとから乗りこんだわたしが訊ねたが、ジョンは答えもせずに最上階のボタンを押した。


「それもだんまりなのね。じゃあわたしの職務ってのは、さしずめあなたのポーターってところかしら」言いながら肩にかけたリュックを大仰に背負いなおしてみせる。

「きみには重要な役割がある」

「それにしたって、さっきからなにも教えてくれないじゃない」

「歩くので精一杯だったからさ」

「そうは思えなかったけど?」

「それは目の見える人間が口にできることだ。盲目のわたしが道を歩くためには、記憶と歩幅に頼らなくてはならない。文字通り一歩間違えたら最後、この巨大な街に迷い込んでしまうからね。

 わたしは普段からちょうど二フィート半の歩幅で歩くように心がけている。わたしの家からここまでは最短距離で約三千五百ヤード、つまり一万と五百フィートだ。歩数にして四千二百歩でたどりつける計算になる。それから何歩目にどの角を曲がるのか、上り坂や下り坂で歩幅にどれだけ誤差が生まれるか、そうしたことも考えながら歩いている。だからきみに声をかけられたところで、その返事をする余裕なんてないのさ」

「ならタクシーを使えばいいじゃない。ここまでわざわざ歩く必要もないでしょ?」


 わたしは道を連なって河のように長い行列を作る客待ちの黄色いタクシーを思い浮かべた。

 ニューオーウェルではおよそ一万三千台のタクシーが行き交っており、それをつかまえるのは子供だってできる。右手をあげてドライバーに笑いかけるだけだ。


「リサ、きみも薄々感じてはいるはずだよ。わたしたちの仕事の……つまり特殊性というやつを」

「ええ、特殊性ね」わたしは生返事をした。

「そうした仕事に携わっていれば、人目を避けたくもなる。誰にも見られたくないんだよ。タクシーに乗るなんてもってのほかだ」


 そのときエレベーターが最上階で止まった。ジョンは開きかけのドアの隙間に身を滑り込ませるようにして外へ出た。


「そう、ご高説どうも。特殊性もなにも、わたしはこの仕事のことをなにも知らされてないんですからね」


 言いながらわたしもついていく。

 廊下にはドアが並んでいたが、ジョンはそのどれにも目もくれず進んでいき、突きあたりの階段の一段目に迷うことなく足をかけた。

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