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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
22/172

19

 そしていま記憶が鮮やかによみがえるとともに、ミスター・ウェリントンがわたしの目の前に立っていた。ただし、いまの彼にはあの夜のような温厚さはなく、緊張感がみなぎる手には拳銃が握られていた。


「誰だ?」


 向けられた銃口をよけるよう、静かに三歩、横にずれる。

 だが驚くべきことに、盲目であるはずのミスター・ウェリントンは、わたしの動きに合わせてぴたりと照準を動かした。


「わたしよ、ミスター・ウェリントン」

「刑事さん?」わたしの声を耳にミスター・ウェリントンがぴたりと動きを止める。彼が首をかしげると、サングラスの裏で眉根が寄った。「どうしてここに?」

「あなたこそ、なぜこんなところにいるの?」

「ここはわたしの家ですよ、刑事さん」


 ミスター・ウェリントンはあっさりと答えた。

 考えればすぐにわかりそうなことだ……しかし彼と話していると、どうも自分がとんでもなく間抜けになった気がしてならない。


「それ、おろしてもらえないかしら」


 おっと失礼、とミスター・ウェリントンが拳銃をおろす。それはシグ社のP210だった。すらりと洗練された銃身は、無骨なわたしのコルトとくらべるとさながら貴婦人のような外観をしている。


「どうやら話を整理する必要がありそうね」

「ええ、お互いにね」


 ミスター・ウェリントンは頷くと、事務室の右手、明かりの消えた暗い部屋へと引き返した。

 わたしがふたたび部屋の様子に視線を巡らせているあいだに彼は戻ってきた。両手にはそれぞれ、ふたつのマグカップと注ぎ口のついた小さな鍋を持っていた。


「あいにく温めた牛乳しかないんです」

「いただくわ」


 ミスター・ウェリントンはデスクをまわりこむと、わたしが手伝う間もあらばこそ、馴れた手つきでマグカップを置き、そのひとつに鍋を傾けた。彼が牛乳を注ぎながら空いた片手をマグカップの真上にかざすのを、わたしはじっと見つめていた。

 沸騰しかけた液体が指先をかすめていくにもかかわらず、彼の全身は彫像のように身じろぎひとつしない。


「あの、わたしがやるわ」

「いいえ、お客様の手をわずらわせるわけにはいかない」


 彼がそう言うのと牛乳を注ぎ終わるのとはほとんど同時だった。マグカップはきっかり八分目まで牛乳で満たされていた。


 ひゅう、とわたしは口笛を吹き、「お見事」

「湯気の濃さと温度で分量はわかります。馴れるまで火傷ばかりでしたが」

「冷たいものを飲むときはどうするの?」単純な興味から訊ねる。

「グラスを手で触れながら注ぎます。体温でほんの少し温まるのかもしれませんが、これも正確だ」


 ミスター・ウェリントンは言いながらもうひとつのマグカップにも同じ方法を使って牛乳を満たすと、空になった鍋を手に先ほどの部屋へと戻っていった。どうやらそちらはキッチンらしい。杖もなしにすたすたと室内を歩きまわる姿は、目が不自由だとはとても思えない。


「お待たせしました。どうぞ適当にくつろいでください」戻ってきたミスター・ウェリントンはデスクに近づきながら言った。


 わたしは部屋の壁際に寄せられていた籐椅子を見つけると、それを相手の正面に持ってきて腰かけた。わたしのたてた音を聞きとってか、ミスター・ウェリントンが腰かける。どうやらわたしが座るまで待ってくれていたらしい。


「まずは再会を祝しましょう」


 ミスター・ウェリントンがマグカップを持ち上げたので、わたしもそれにならう。

 古めかしくも静かで落ち着いた住宅街、その一室で二筋の湯気が天井近くで混じり合う。

 口にした牛乳はほのかに甘く、体を芯からほぐしてくれる。


 わたしはマグカップをアンティークデスクの端に置くと、「さて、それじゃあ仕切りなおしね。ニューオーウェル十九分署刑事、メリッサ・アークライトよ」

「リップ。ジョン・リップです」


 わたしが差し出した右手をミスター・ウェリントンは驚くほど正確な動きでもって握り返し、口の両端を友好的に持ち上げてみせた。

 彼の握りの力強さはあの晩のときと同じだったが、それ以上にわたしを驚かせたのは手にできた硬いたこの存在だった。


 なにかの競技をやっているのだろうか。だがわたしは違和感も覚えていた。たこは手の平ではなく指、それも付け根以外にも親指の腹と人差し指の側面を中心にできていたからだ。彼がどんなスポーツに打ち込んでいるのかはわからなかったが、少なくともラケットやバットを握ってできるものではないように思えた。

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