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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
17/172

14

 ベッドフォードストリート七十七番地、かつて教科書倉庫兼事務所として使われ、その後も多くの人たちの手にわたった三階建ての建物。その最上階がわたしの行き先だった。


 十字路の角に建つ焦げ茶色のレンガ造りの建物を見上げると、通りに面するすべての窓にアーチ型の白い窓枠がしつらえられていた。

 わたしはしばしその外観を見つめると、車の往来がほとんどない道路を渡って入口へと向かった。


 短い階段をのぼって正面玄関から中に入ると、そこはテニスコート半分ぐらいの広さがあるエントランスだった。


 右手には上半分に擦りガラスをはめこんだ天井まで届く間仕切りが、左には漆喰で塗り固められた壁あり、それぞれに木製のドアが一枚ずつ設けられている。

 突き当りには漆喰の壁の角に沿って階上へと通じるL字型の階段がのびていた。わたしが立つエントランスにも階上にも、人の気配はなかった。


 階段の下の小さなカウンターテーブルにはステンドグラス風の笠を被ったランプがあり、暗がりのなかに色とりどりの光を投げかけていた。無人の室内に灯ったその光は、安堵よりもむしろ寂しさを募らせるようで、わたしは七色の光を横目に階段へと向かった。


 階上に向かう足どりが重い。

 たとえこれから会う人物がとんでもない悪人だとしても、わたしは相手の命令に従わなくてはならないのだ。そしてマクブレイン署長の知人である以上、わたしはその人物が好人物でないような気がしてならなかった。


 階段は狭く、踊り場も人とすれ違うためには肩をこすり合わせなければならないほどだった。それをのぼりきると左右に廊下がのびていたが、そこにも人はいなかった。立ち並ぶドアの奥からは物音がひとつもしないし、そもそもこの階に用はない。わたしはさらに階段をのぼった。


 三階も同じように廊下が左右にのびていたが、ドアは右手奥のひとつだけだった。

 廊下の壁が部分ごとに違っていることから、かつてここにあった他のドアはみんな漆喰で塞がれてしまっているのがわかる。


 廊下の、ドアがあるほうとは反対側の突き当りには大きな円筒型のごみ箱が身を寄せ合っていた。中にはなにか黒いものがうず高く積まれており、その上にあみだに被った帽子のように蓋が乗っている。

 薄暗い中で目をこらすと、それは履き古した大量の革靴だった。どうやらここの住人はよほど物を捨てられないのか、おかしな収集癖でもあるらしい。


 靴のほうから目を逸らしたわたしは廊下を進み、ただひとつ残されたドアの前に立った。

 数回ノックしたあとにしばらく待ったが、中からはなんの返事もない。

 反応を待ちながら頭上を見上げると、ドアの上に設けられた換気用の窓が室内に向かって斜めに開いていた。

 ふと、マートンのことが脳裏をよぎる。彼もいまのわたしと同じような光景を見たのだろうか。人生の最期、そのときとわかる瞬間まで……そう考えてしまい、わたしの背筋を冷たいものが走った。


 そわそわしながらさらに待ち続けたが、やはり返事はなかった。

 しびれをきらしてとうとうノブに手をかける。するとドアはすんなりと開いた。

 わたしは開いたドアの隙間から室内の様子を窺うと、身体を滑りこませるように部屋の中へと足を踏み入れた。


 手狭な廊下や階段とは打って変わって、ドアの向こうは広々とした書斎だった。

 正面の窓際には来客を出迎えるように大きなアンティークデスクが鎮座し、わたしがくぐったドアの両脇にはふたつの書棚が従者のようにひかえている。いずれの調度品も室内とおなじく暗めの茶色で統一されており、古靴が積まれた廊下と違ってこざっぱりとしていた。

 書斎の両隣はさらに別の部屋に続いているようだったが、左手はドアで閉ざされていた。反対側は扉のないドア枠だけだったが、そちらも暗くて奥の様子がわからない。


 だが室内でもっともわたしの目を引いたのはそうした内装や調度品ではなく、書斎の中心に据えられた巨大な模型だった。

 それは立ち並ぶビル群のミニチュアで、ニューオーウェル市を模していることがすぐにわかった。未完成なのか、どのビルも塗装されておらず、窓から差し込む光を浴びて白く輝いているようだった。


 わたしは好奇心からしばしその模型を眺め、わたしの家や十九分署、それからいまいるこの建物の場所を探し当てていた。こうして土台に載せられた街並みを見下ろしていると、さながら自分が大西洋沿岸からあらわれた巨人のように思えてくる。


 違和感に気づいたのはそのときだった。縮小されたニューオーウェル市の一角、本来そこにあるはずのビルがすっぽりとなくなっていたのだ。

 面積でいえばビル二棟分ほどだろうか。制服警官時代、文字通り穴が空くほど地図を見た経験のおかげで、そこが空き地などでないことはよく知っている。


 右手の奥、扉のないドア枠の向こうから人の気配がしたのはそのときだった。

 視線をあげたわたしは、はたして目の前にあらわれた人物を見て息を呑んだ。

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