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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
15/172

12

 マートンの葬儀が終わると、参列者たちは誰ともなく墓地をあとにした。当直のためそのまま署に戻る同僚もいた。

 非番だったわたしは家に帰ろうと、馴れない貸衣装のワンピースの喪服とヒールに悪戦苦闘しながら小高い丘の上から駐車場へと続くごつごつとした石段を降りていった。


「ここは暖かいな」


 階段の途中で背後から声をかけられる。

 振り返ると、石段の上にマクブレイン署長が立っていた。彼はわたしに頷いてみせると、その巨体にわたし以上の苦戦を強いられながらこちらへと降りてきた。着ている喪服が、普段の背広とおなじく上等な生地を使っていることが遠目からでもよくわかる。


「スカートだと見違えるな。ああ……その、そういう意味で言ったわけじゃない。わかるだろう?」怪訝そうに見つめるわたしに署長が弁解する。

 わたしは頷いてみせると、「ほんの挨拶、ですよね?」

「そうだ。やれやれ、デスクワークばかりですっかり身体が鈍ってしまっているな」


 きみも車だろう。言いながら署長はわたしの腰に軽く手をそえた。

 普段は部下に横柄な態度をとり、ねぎらいの言葉ひとつさえもくれない彼が、この日ばかりはわたしに笑いかけ、紳士的な振る舞いすらしてくる。


 マートンの死が署長を感傷的にさせているのだろうか。彼の人柄からすれば想像しにくいことだし、もし本当にそうだとすれば、おのずとふたりの関係がなにか特別なものかと勘ぐってしまう。いずれにせよ、わたしは署長の態度にどこか胡散臭さを感じた。


「事件の進捗はどうだ? 最近はどういう捜査方針を?」


 リッチーとのコンビを解消してからというもの、わたしは単独で捜査にあたっていた。

 とはいえ刑事としてまだまだ半人前の身では、署内で捜査報告書を漁ることくらいしかできない。そうして朝から晩までオフィスにこもりきりになっているわたしを、署長も目にしているはずだ。

 そんな居場所を無くした新米刑事に猫撫で声で話しかけてくる、わたしが感じた胡散臭さの原因はそれにもあった。


「あの、署長」わたしは立ち止まり、署長に向きなおった。石段の途中からだと、わたしのダッジの青い屋根がよく見える。「わたしになにかご用でしょうか?」


 切り出したわたしの視線から目をそらすように、マクブレイン署長は空を仰いだ。事件のあったあの日とおなじく、相変わらず澄み渡った晴天が広がっている。


「ベンソンと別行動をとっているらしいな。わたしに許可もなく。きみがオフィスに直談判にきたとき言ったはずだ。わたしにも考えがある、とな」

「リッチーと決めたことです」とはいえ、実際はわたしがリッチーに見捨てられたも同然ではあったが。

「独断専行だ。これがどういうことかわかっているのかね、アークライト刑事? 本来なら服務規程違反扱いにされても弁解の余地はないぞ」

「ですが――」

「ここでバッジを取り上げればわかるかね?」


 目の前に突き出されたグローブのように巨大な手の平を前に、わたしは口を噤んでしまった。かりそめとはいえ、署長の親しさは完全に消え失せていた。


「銃と手錠もだ。いいか、これが無法者はびこる西部開拓時代ならまだしも、きみは現代の警察組織に属している。組織には規律が必要だ。きみはそれを乱そうとしているんだぞ」


 墓地を吹き抜ける風が、それまでの暖かさを吹き飛ばしていく。

 淡々と告げる署長に対して、わたしはなにも言い返せなかった。


「しかしながら」言いながら署長は差し出していた手を自分の背中にまわした。「きみが優秀な警察官だということは、経歴を見てもあきらかだ。とくにあの武装強盗逮捕の一件は大きな功績と言えるだろう」


 マクブレイン署長はふたたびわたしの腰に手をあて、駐車場へと歩を進めた。


「明朝わたしのオフィスにきたまえ。きみに新しい辞令を出す」

「マートンの捜査は? わたしをはずすんですか?」


 わかりきった結果だったが、わたしは訊ねずにはいられなかった。そこには警官を辞めさせられずに済んだという安堵よりも、戦力外通告をされる恐れが先立っていた。


「そうだ」


 署長はそれだけ言うと、呆然と立ち止まるわたしを残して石段を降りきり、さっさと自分の車に乗りこんだ。重低音を響かせるエンジンが、薄いヴェールで包んだような不明瞭さでわたしの耳に届いてくる。

 マクブレイン署長はまわした車を階段の途中に立つわたしの真下で止めると、運転席からこう言った。


「九時だ。従ったほうが身のためだぞ」


 車が走り去るなか、わたしは駐車場にひとり立ち尽くしていた。

 わたしの悪い予感は遠からず当たっていたわけだ。歩み寄ってきたマクブレイン署長は背中に鋭いナイフを隠し持っていた。とびきりとは言えないものの、顔に親しみ深い笑みをはりつけながら。


 告げられた言葉がようやく頭に染みこんでいく。

 これからなにが起こるのかは皆目見当がつかなかったが、自分がよくない状況……ともすれば悪い状況に巻き込まれつつあることはよくわかった。


 風が強くなりつつあった。

 墓地を吹き抜ける風鳴りが、死者のすすり泣きに聞こえた。

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