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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
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 現場は混乱をきわめていた。

 わずか数分間の出来事だったにもかかわらず、サム・ワンとの銃撃戦は多くの死傷者を出していた。通報によってすぐにほかの分署から応援が、<ニューオーウェル記念病院>から救急隊が駆けつけてくれた。

 軽傷か、あるいはそれよりずっと少ないが、無傷で済んだ署員たちは、増援とともに銃撃戦と二度の爆発に巻き込まれた人々の救出に奔走していた。


 助け出された人たちは生死を問わず、分署の表側に停められた救急車のそばに運び出され、それ以外の人々は避難用に解放された向かいのビルのカフェテリアに移されていた。

 目覚めてすぐわたしが訊ねたのは、脚を撃たれたあの東洋系の若い女性が無事かどうかだった。わたしと同じくらい爆心地のそばにいたにも関わらず、彼女は一命をとりとめてカフェテリアで治療を受けているとのことだった。

 わたしが押しやった机が爆風に対して盾になってくれたらしい。彼女を助け出したことが無駄にならず、わたしは胸を撫でおろす思いだった。


 階段に腰かけたわたしは、二度目の爆破によってすっかり見晴らしがよくなったホールの内外を行き交う人々の様子を眺めていた。

 見晴らしがよくなった、というのは誇張抜きの表現で、サム・ワンの二度目の爆破は市民たちが幾度となく出入りした正面玄関とわたしたちの命を救ってくれた大窓ごと、建物前面にあるすべての壁を吹き飛ばしていた。


 目の前の光景にめまいがする。

 敵を退けることはできたものの、失ったものはあまりにも大きかった。

 めまいはそのまま頭痛に変わった。額の傷を押さえたタオルごしの指先に、脈拍が強く伝わってくる。


「大丈夫、頭の怪我は血がいっぱい出るもんです」若い隊員は簡単な診断をしたあと、どこか強張った笑顔とともにタオルを手渡しながらわたしにそう言った。「どこかで休んで、気分が悪くなったらすぐに声をかけてください」


 救助の陣頭指揮にあたったのはリッチーだった。彼は自分が受けた弾丸が腕から抜けていると知るや、応急処置だけを済まして現場に戻り、見事に署員たちと救急隊をひとつにまとめあげていた。


 ひとり救助活動に乗り遅れたわたしは、上着のポケットに手をのばした。その動作ひとつで全身がきしんだが、想像していたより不自由は感じない。

 爆心地に近かったにも関わらず、わたしは幸運にも打ち身と額の切り傷を負っただけで済んでいた。


「リサ、無事か?」取り出した携帯電話に耳をあてると、すぐにジョンが応じた。どうやら彼は無言のまま、わたしが電話口に出るのをじっと待ってくれていたらしい。

「ええ、なんとかね」口蓋にはりついた舌を動かしながら、わたしは掠れた声で答えた。「気を失っていたみたい。あれから何時間経った?」

「なに、ほんの十五分程度さ」

「そう……」


 言いながらわたしは階段に置いた尻を横にずらすと、壁際に頭をもたせかけた。

 エントランスホールは近づくサイレンの音が反響し、飛び交う人々の悲鳴や怒号あがって騒がしかった。救急隊員の見立てでは咄嗟に身を守ったおかげでわたしの鼓膜は破れなかったそうだが(「ドリーム・シアターのコンサートにしょっちゅう通う僕が言うんです、間違いありませんよ」そう説明するあいだも、若い隊員はその強張った笑顔をくずさなかった)、それでも右耳の奥では相変わらずひどい耳鳴りが続いていた。

 わたしは少しでも落ち着いた姿勢でいようと、電話を左耳と壁に挟んだ体勢をとった。


「ところで、よくあのタイミングで助けに来てくれたわね」

「それなんだが、じつを言うと今朝からこの場所にいたんだ。一階のカフェで朝食をとりながらね。いまは人で溢れかえっていて食事どころではないが……<ホワイトフェザー>が襲われた昨日の今日だ。なにか大きな動きがあると見越して馴染みの情報屋に電話してね。予想は的中。警察の動きが慌しいと聞いて、こうしてやってきたわけさ。仮にわたしが襲われたら道路を渡って警察署に逃げこめばいいし、きみが襲われたときはわたしが援護できる。だが、まさかあんな大胆な方法をとってくるとは……いったいなにがあったんだ?」


 わたしは手紙爆弾のことから話をした。

 わたしたちが持っているリストと同じものが、ニューオーウェル中の警察組織にリークされたこと。

 混乱のなかで事故死した移送中の囚人が、わたしたちの標的だった弁護士と幹部候補たちだったこと。

 アルベローニ・ファミリーとサム・ワンとのつながりに確証をつかめたこと。


「ふむ……」わたしの説明にジョンは電話ごしに頷いてみせると、「手紙爆弾の送り主がわたしときみのどちらでもないとなれば、残る可能性は……」

「マクブレイン署長ね」わたしがあとを引き継ぐ。「だとすれば、探りを入れられるチャンスは署内が混乱してるいましかないわね。調べてみる」

「頼む。わたしが署内をうろつくわけにもいかないからな。だが気をつけてくれ」

「任せて。なにかわかったら連絡する。なにもなくても今夜会いましょう、あなたの家に行くわ」

「わたしの家はやめておいたほうがいい。サム・ワンに場所がばれていないともかぎらないからな。朝日を見た場所を覚えているかい? 今夜九時、あそこで落ち合おう」


 ジョンがハインラインの名を伏せたのは、盗聴を警戒してのことだろう。


「わかった」わたしも必要最小限の返事にとどめた。それから電話を切ろうとするジョンを呼び止める。

「なんだ?」

「その……助けてくれてありがとう」

「気にすることはない。きみがいないと仕事がやりにくくなるからね。それより油断するな。これはまだ終わっていない」


 電話を切って顔をあげると、目の前にリッチーが立っていた。


「マイクは駄目だった」取り出した煙草を銜えながらリッチーは言った。「即死だったらしい」

「そう……」


 わたしの脳裏にマイクの最期の光景がよみがえる。

 特徴的なぎょろ目は、あのとき眼窩から飛び出さんほどのいきおいで見開かれていた。

 当然だ、自分の胸が蒸気機関車パッフィングビリーの煙突さながらに煙を吹いていたのだから。いまは彼が、恐怖と苦痛を味わうことなく旅立てたことを祈るばかりだ。


「だが、落ち込んでる時間はない。具合はどうだ?」

「大丈夫、いけるわ」


 わたしは立ち上がるとあてがっていたタオルを額から離した。血は止まり、肌にはりついていた繊維がばりっといういやな音をたてる。


「ねえ、リッチー」

「なんだ?」元相棒の口元で、火をつけていない煙草が上下する。

「その……いいえ、なんでもない」

「疲れてるなら休んでいいぞ」

「まさか、いけるわよ」


 リッチーは頷くと、廃墟のようになりさらばえた階下へと降りていった。

 わたしはその背中を見つめながら、ふたたび浮かんできた疑問を頭の中で転がす。


 マートン殺害からこちら、リッチーがわたしを事件から遠ざけようとしているのはあきらかだった。

 問題はその理由だ。単純に元相棒としての親心のようなものか、あるいはもっと複雑な事情があるのか。


 ただ、このときのわたしはリッチーを呼び止めることができなかった。

 できたのは、先ほど言えなかった問いを胸の奥で繰り返すことだけだった。


 ねえリッチー。わたしたち、まだ仲間同士よね?

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