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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
146/172

109

 しばらくのあいだサム・ワンは直立していたが、やがて腰のあたりから大きなナイフを抜き出した。切っ先が大きく内側に湾曲した鉈のような刃物……ククリ刀。遠心力を生み、命中した部分を容易に切断できる凶器だ。


 わたしはそれを目に、口の端を持ち上げてにやりと笑ってみせた。その表情は、相手の目に死への覚悟として映ったことだろう。


 サム・ワンが懐から抜いたのが別の銃だったら、わたしの人生はそこで終わっていたはずだ。

 だが当時のわたしは、サム・ワンがそんなものを持っているとは思えなかった。


〝だってそうでしょ? あんたは切り刻むことが大好きなイカレ野郎なんだから。ミヤギさんをそうやって殺したようにね〟


 わたしはそう思うと同時に、ジョンの言葉も思い返していた。

 それはハニーボール暗殺の数日後、わたしが作業室で標的リストを燃やしたあとに彼が言った言葉だった。


〝けど、あんたは戦いの途中で手を離れている武器を拾うような真似もしない。それは戦闘の基本だし、あんたはイカレ野郎だけどプロでもあるんだから。そうだったわよね、ジョン?〟


 事実、サム・ワンはそうしなかった。新しい銃火器を取り出すことも、床に落ちたアサルトライフルを拾うこともしなかった。

 ただまっすぐ、鋭く磨がれた分厚い刃物を手に、ゆっくりとわたしに近づいてくる。


 わたしは銃口をさげると、左手をゆっくり上着のポケットに差し入れた。取り出したのは新しい弾倉ではなく携帯電話だった。

 ジョンとの通話は切ってはおらず、つないだままにしていた。


「入った。ど真ん中よ」


 わたしが携帯電話にそう言った直後、空気を切り裂く音とともに大窓が割れた。


 吹き飛ぶガラスの破片を追い抜き、一発の弾丸が床にめりこむ。すぐに二発目が飛び込むと、サム・ワンのフードにあつらえられた毛皮をちぎり飛ばしていった。

 決定的だったのはその後だった。

 三発目がサム・ワンの右大腿をかすめると、その周辺の肉を大きく削ぎ落としていった。

 サム・ワンがバランスをくずし、床に膝をつく。最初の弾着から五秒足らずの出来事だった。


 弾丸を放ったのはもちろんジョン・リップだった。

 模型で予習した彼はわたしとサム・ワンのあいだにあった窓の位置を正確に割り出し、背中に当たる太陽の熱で射角を調整していた。

 わたしの役割は、標的を陽だまりの下までおびき寄せることだった。ジョンが弾丸を撃ち込む場所に女性が倒れていたのは想定外のことだった。だがリッチーの指示とアルの勇敢さによって、わたしと女性の命は救われた。


 自分を餌にしてサム・ワンをおびき寄せたのは、我ながら並大抵の度胸でできることではなかった。たとえリッチーのような冷静さやアルのような勇気をもってしても、それを成し遂げることはできなかっただろう。

 必要なのはジョン・リップの狙撃に対する絶対の信頼、ただその一点だけ。わたし以外に適任はいなかったはずだ。


「命中よ」

「了解」受話口から耳を離していたせいで、ジョンの声は幽霊の吐息くらいにしか聞こえなかった。

「まだ電話は切らないで。狙いもつけておいてね」


 わたしはそれだけ言うと、携帯電話をポケットにしまいながら立ち上がった。携帯電話と入れ替えるように、わたしは貸与品のグロックを手にした。


「観念しなさい」グロックの銃口をサム・ワンに向けて言う。


 サム・ワンはなにも言わなかった。ただ床に両手をついて、座りこんでいる。

 アルのショットガンによって怪我を負った右手は開いたまま床に着き、左手は追いつめられた悔しさからか、握りしめられている。


 悔しさ……


 わたしはふと違和感を覚えた。

 遭遇してから十分も経っていないこのサム・ワンという人物と、感情という概念とがどうしても結びつかなかったのだ。

 わたしの違和感はその瞬間疑問に変わり、ある記憶と直結した。それはほんの数分前、このホールが突如として戦場に変わる直前の記憶だった。

 マイクが「うまうまダイナー」の残骸とともに吹き飛ぶ直前、サム・ワンはなにかを握りしめていた。ポケットから出した手が握っていたもの、それは……


「みんな伏せて!」


 叫ぶと同時に、わたしは咄嗟に腕を持ち上げて頭を守った。


 サム・ワンの左手の中で、かちり、と乾いた音がした直後、正面玄関の壁が無事だった残りの窓もとろも吹き飛んだ。

 空気が瞬時に膨張し、叫ぶわたしを吹き飛ばした。


 受付カウンターに背中を打ちつけ、意識が遠のいていく。

 視界がぼやけ、音叉を鳴らしたときのような耳鳴り以外にはなにも聞こえなくなった。

「十九分署のうまうまダイナー」だけではなく、サム・ワンはホールの壁にもあらかじめ爆弾を仕掛けていたのだ。おそらく殺傷目的より、退路の確保と陽動のために仕掛けておいたのだろう、それでも爆風をまともに受けたわたしは、糸が切れた人形のように動けなくなった。


 起き上がれずにいると、目の前にサム・ワンが立っていた。そのフードの奥は完全な暗黒となっており、人相の判別さえできない。

 瞳に反射する光さえ見ることができなかったが、わたしはサム・ワンが視線を送ってくるのを肌で感じていた。


 サム・ワンはしばらくそうしていたが、突如くるりと身をひるがえすと、たちのぼる砂煙の向こうへと姿を消した。


 命が助かったという安堵よりも、相手を取り逃がしたことへの腹立たしさが勝っていた。

 だが、その感情すらもやがて淡い雪のように溶け、わたしは意識を失った。

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