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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
145/172

108

 顔を覗かせると、サム・ワンがこちらにライフルを構えるのが見えた。撃たれる、と思った直後、サム・ワンの真横から無数の弾丸が飛んできた。


 わたしは正面にサム・ワンを、左斜めにリッチーたちをのぞめる位置を確保していた。

 もちろん十字砲火をするのが目的ではない。そんなことをしても、ライフルに対してこの貧相な武器ではすぐに息切れを起こしてしまう。


 わたしは右手上方に視線をずらした。ホール正面玄関の壁には、四枚の大窓が備えつけられていた。署員や市民たちを出迎えてくれる大窓は、その空色の窓枠と、今日の抜けるような天気もあいまって、宙に浮いているようにさえ見える。

 そして大窓からは……これがもっとも重要なことなのだが……太陽を拝むことができた。逆光でなければ、道路を挟んだ向かいのビルの屋上にいるジョンの姿を見ることもできただろう。陽光は空から斜めに差し込んでおり、窓の形を切り取ってホールの床を照らしている。


 敵味方の銃弾はなおも飛びかっていた。わたしは見上げていた窓から視線をおろした。わたしとサム・ワンとのあいだに窓から落ちた陽だまりが視界に入る。

 そこにあったものを見て、わたしは息を呑んだ。


 陽だまりのなかにひとりの女性が倒れていた。流れ弾を受けたのだろう、東洋系のティーンエイジャーらしき彼女は血を流す大腿の傷を手で押さえていた。

 滲んだ脂汗で髪が貼りついた顔は苦悶の表情に満ちており、太陽の光を浴びる姿はさながら宗教画に描かれた殉教者のようだ。


「あなた!」わたしは女性に呼びかけた。「ここまで這ってきて!」


 英語がわからないのか、それとも応じる余裕すらないのか、女性は身振りをまじえてうったえるわたしをよそに、母国語と思しき言葉を絶えず口にしていた。

 言葉の意味はわからなかったが、救いを求めているのはわかった。女性までの距離はおよそ七、八フィート。机をまわりこむとなると、距離はさらにのびる。

 飛び出したわたしが女性を引きずってここまで戻るのに、どれぐらいの時間がかかるだろう。女性は小柄なほうだが、自力で動ける様子はない。

 サム・ワンを相手に、この救出が成功する可能性は絶望的だった。


 しかし女性を見殺しにはできなかった。ライフルの銃声が止み、署員たちが応戦する音が響く。

 算段をたてるよりも先に体が動いていた。

 わたしは机の陰から飛び出すと、女性に向かって駆け出した。


 命の危機にさらされたせいか、マイクの最期を目撃したときと同じ感覚がふたたび時間を引き延ばした。ただし、今回その渦中にいるのはわたし自身だった。

 鈍化した時間の流れに支配され、すべての動きが糖蜜のなかを泳ぐように緩慢だった。


 目の前に直立するサム・ワンの姿が見え、署員たちの放つ銃弾が視界の左から右へと過ぎ去るのも見えた。誇張ではなく神に誓って本当だ……もっとも、このホールに神さまがいらしたらの話だが。

 宙を駆ける弾丸の数はすぐに半分になり、四分の一になり、そしてぴたりと止む。

 サム・ワンはライフルで応戦したかと思うと、素早くわたしに向きなおった。銃口を向けられた眉間に、ひりついた殺気を感じる。その動作はまるで精密機械だ。あるいは思考し、行動し、殺戮だけに意思を注ぐ、骨と肉でできた冷酷な機械か。


 わたしはサム・ワンに銃を向けて引き金を引いた。その動作もまた、信じられないほど遅かった。

 銃を持っていないほうの手では、女性の襟首をつかんでいた。彼女がどんな服を身に着けているのかを確認している余裕はなかったが、その生地が丈夫で、仕立てがきちんとしていることを祈った。


 はたしてサム・ワンを狙った銃弾が命中することはなかったが、わたしの手の中に女性の衣服の切れ端だけが残されることもなかった。


 サム・ワンがわたしに向けたライフルの引き金をしぼる。

 瞬間、やつの腕が跳ねあがった。

 わたしの眉間を撃ち抜いていたであろう弾丸は大きく方向をそらし、背後の壁にめりこんだ。腕に受けた衝撃で、サム・ワンがライフルを取り落とす。

 わたしは視界の端でアルが散弾を放ちながら、なにかを叫んでいるのを聞いた。サム・ワンは、彼の銃撃を受けたのだ。


「くたばりやがれ、この化け物!」


 アルの叫び声をきっかけに、時間の流れは正常に戻った。

 わたしは無意識のうちにほんの数秒前まで隠れていた机の裏に女性をかくまうと、自分はその机を背にサム・ワンと対峙した。


 アルは空になったショットガンに新しい弾を装填しようとしていた。

 だが焦りがあるのか、ウィンナーみたいに丸い指は表面が滑らかなシェルケースをつかみそこね、いくつも床に取り落としていた。そのほかの援護もないことから、署員たちがみんな弾を撃ち尽くしてしまったことは明白だった。


「リサ! 早く逃げろ!」リッチーが叫ぶ


 逃げるわけにはいかなかった。わたしはサム・ワンに銃を向け、引き金を引いた。


 だが乾いた銃声のかわりに鳴ったのは、撃針が空の薬室を叩く頼りない音だけだった。

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