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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
133/172

96

 これでわたしの話は終わりだ。そう言ってジョンは腰をあげた。


 わたしは座ったままだった。思わず頭上を見てしまう。まるで天井と床を透かして、階上の書斎にあるジョンの……そして過去にはカルノーという新聞記者が使っていたアンティークデスクが目に映るかのように。


 手にしていたコーラの壜には体温が移り、すっかりぬるくなっている。わたしは炭酸の抜けた中身を飲み干すと、立ち上がった。


「ねえ、気晴らしに行かない?」ジョンが眉根を寄せるのをよそに、わたしは続けた。「出かけましょうよ。正直ここで昔話をするのにもいい加減うんざりしてきたわ」

「ああ、だが……」

「決まりね。ちょっと支度してくる。ひとまず家に帰りたいから、三十分後にエントランスで会いましょ」


 わたしはそれだけ言うと、ジョンの返事を待たずにさっさと射撃場から引き上げた。

 歩いて家に向かっている途中、たまたま拾うことができたタクシーに身を落ち着け、深く息をつく。


 ジョンの過去を聞くべきではなかった、とまず思った。

 そして自分の生い立ちを話すこともしなければよかったとも……


 午後八時。太陽は完全に沈み、窓の外を過ぎ去るニューオーウェルの街並みには明かりが灯っている。

 日常に帰ってきた、そう思った。

 現実でも思い出話の中でも、今日は凄惨な出来事ばかりを見聞きしてきた。いまようやく、死や暴力とは無縁の穏やかな世界に帰ってくることができた、そうも思えた。


 運転手に声をかけられて窓の外を見ると、車は自宅の前で止まっていた。ほんの十分足らずの時間にもかかわらず、いつのまにか眠りこけていたらしい。

 料金を払って車を降りようとしたが、考え直して運転手にこう言った。


「ほかにも行きたいことろがあるんだけど、ちょっと待っててもらっていいかしら?」

「さてね。料金はもうもらったし、ほかの客がきたらそっちを乗せちまうかも」そう言いながら振り返った拍子に、運転手の見事なドレッドヘアが揺れる。

「五分で戻るから。チップもはずむわよ」


 わたしはそう言い残して自宅へ歩いていった。

 タクシーが行ってしまったら、そのときはそのときだ。


 家の中は真っ暗で冷えきっていた。明かりをつけると、キッチンのテーブルにわたしとジョンが飲んだままのビールが変わらず置かれている。

 家を出て半日も経っていないのに、半年もそこを空けていたような気がした。


 わたしは飲み残したビールをシンクにすっかりあけてしまうと、足元の戸棚の奥から一本のワインボトルを取り出した。

 十二年ものの赤ワインで、恋人と過ごした去年のクリスマスに未開封のまま生き残ったしろものだ。ワインをあまり飲まないからと断るわたしに、彼はこれをむりやり持たせてくれた。

 わたしの言葉どおり、ワインは栓も抜かれずにこうして埃をかぶっていたのだが、今日までこうして残っていたことにも、少しは意味があったのだろう。


 わたしはワインと棚から出したふたつのグラスをテーブルに置くと、寝室のクローゼットへと向かった。

 両手で掘り返すようにクローゼットをあさると、散らかった中からぼろぼろになったキャンバス生地のリュックを取り出す。実家を飛び出してから今日まで手元に残った数少ない持ち物のひとつで、もうほとんど使っていないにも関わらず、わたしはこれをいつまでも手放せずにいた。

 リュックの中身は空ではなく、ほつれたストラップと錆びた金具ごしにずしりとした重みが伝わってくる。

 わたしはリュックを肩にかけるとキッチンへ引き返し、ワインボトルとグラスを手に自宅を出た。


 一方的に約束した五分を大きく過ぎていたが、タクシーはそこで待っていてくれた。

 礼を言って行き先を伝えると、運転手は手馴れたスイッチバックでいま来た道を引き返した。

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