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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
130/172

93

「その名を耳に、なによりその名を口にするレオの声色に、わたしは思わずぞくりとさせられた。

 サム・ワンのことは殺し屋稼業に関わるなかで、わたしもよく耳にしていた。

 誰でもない誰か……誰にでもなり得る誰か……わたしとレオの立場を危うくさせた商売敵は、よりによってそいつだったんだ。


『カルノーの件のへまで、おれたちはとうとうお払い箱になっちまったみたいだな。まったく、ピーノの言うとおりになるとは、いまいましいったらないぜ』


 レオの言葉に、わたしは思わず自分を責めた。その結果を招いたのは他でもない、わたし自身だったからだ。

 それでもレオはわたしを責めようとはしなかった。


『いまは言いっこなしだ。目の前の敵に集中しろ』


 そう言う彼の声音は、ふたたび師としての威厳を取り戻しつつあった。


 そのとき、部屋の片隅でかさかさと音がした。

 人間の走る音というより、巨大なヤモリが壁を這うような音だった


『焦るな、引き付けろ』レオは言った。口調ははっきりとしていたものの、同時に熱に浮かされた病人のように虚ろな声だった。『おまえならできる。おまえなら……』


 わたしはレオから片手を離すと、拳銃を握りなおした。

 周囲は暗闇に包まれていたのだろうが、わたしにとっては関係なかった。

 わたしには敵の姿を見る方法はなかった。だが見えない敵をとらえる方法は、もうこのときには会得しつつあった。


 やつが飛び出してきたのはピアノの陰からだった。

 わたしは空中に銃口を向けると、ありったけの弾丸を撃ち込んだ。

 ほぼ同時に、弾丸がなにかにめり込む音がきこえた。それから、相手が空中で後ろに吹き飛び、わたしが割っていないほうの窓をぶち破る音も。


『やったか?』


 レオがそう訊ねながらよろりと身を起こした。その拍子に、彼の血がわたしの腕をさらに濡らした。


 月明かりが出ていたとしても中庭に続く窓枠は高くしつらえられていたから、レオはサム・ワンの姿が見えなかっただろう。わたしはといえば……もとより目そのものが見えていなかった。

 それでも、窓の向こうから配管のつまるような音が断続的に聞こえていた……ごぼごぼという音が。

 カルノー親子のような激しい死に様ではなく、ゆるやかに命が流れ出していく音。その感覚は徐々に長くなってゆき、やがて止まった。


 ミヤギさんからマートンを殺した銃弾がサム・ワンのものだと訊いたときは正直驚いたよ。いや、薄々そんな予感はしていたが、正直信じたくはなかった。ほかでもない、わたしがこの手でやつにけりをつけたんだからな。


『死んだか』しばらくしてレオはそう言った。『やるじゃねえか、ジョニー・ボーイ。やつに一発かましてやったんだ。その腕前をもっと早く見せてくれればな。ちくしょう。おまえ、恩人であるおれを撃ちやがって』


 盲目ではあったが、レオに言われる前から、わたしも起きたことのすべてを理解していた。

 わたしの銃弾はピーノではなくレオに当たっていた。彼はピーノの前に飛び出していたんだ。

 もちろんピーノの身を守るためじゃない、わたしに誓いを破らせないために身を挺してくれたんだ。


 レオはこう続けたよ。


『くそ、おまえだけでも早く逃げればよかったんだ』と。『なのにのこのこあらわれやがって』


 わたしはそこではじめて、抱きかかえたレオの身体のあちこちが大きく腫れあがっていることに気づいた。筋肉とは違った異様な隆起を、指先の感覚がはっきりと伝えてきた。

 わたしが病院のベッドで陶然と不幸を味わっているあいだ、レオはピーノたちから拷問を受けていたんだ。

 わたしが犯した失態の責任を負わされていたのかもしれないし、わたしをどこの病院に匿ったのか詰問されていたのかもしれない。いずれにしても、わたしのせいであることに変わりはない。それでもレオは口を割ることも音をあげることもしなかったんじゃないか。

 だってレオは強い男だったし、優しくもあったし……それに……それに……


 すまない。


 それからわたしはレオに詫びようとした。だが何度も言葉が詰まってね。もっとも、言葉にしたところでわたしの罪が帳消しになるとは思えなかったが。

 レオはこう答えた。


『だがまあ、これも運命か。おまえに殺されることがおれの運命だったんだ。悪かった、おれはおまえの恋人を――』


 言いきる前にレオが激しく咳き込むと、わたしの頬に生温かいなにかが飛び散った。


 わたしはレオに返事をしようと口を開いたが、空気が吐き出されるだけだった。感情がそのままかたまりとなって、喉の奥でつかえているみたいだった。


『なにも言うな』レオは泣きじゃくるわたしをそう遮った。『おれは自分でやるべきことをやったまでだ。その涙はあの親子のためにとっておけ。それより、どうして戻ってきた?』


 わたしはそれにもうまく答えられなかった。ただ意味のない単語を繰り返すだけで、最期までレオになんの謝罪も、感謝の言葉さえも口にすることができなかった。


『まあいいさ。思い返してみれば、悪い人生じゃなかった』


 それからレオは、わたしが一生忘れることができない言葉をかけてくれた。


『おれは炎を持ち続けることができたんだ。こんなくそったれな世界で、ほんの短いあいだだけでも。ジョン、おまえも炎を持てよ。いまじゃなくてもいい。いつかでいい。だが、約束しろ。必ずだ』


 手放さずにいてよかった。

 レオは最期にそう言うと、それきり黙りこんだ。


 わたしは冷たくなっていく彼の亡骸を抱きながら、その場を動けなかった。同じように息子の亡骸を抱いて恐慌に襲われたカルノーのことを考えれば、わたしに大切な人の死を悼む資格なんてないのかもしれない。

 だが、レオは違う。少なくとも、彼はこんなところでひっそりと生涯を終えていいような人じゃなかったんだ。


 どれぐらいの時間が経っただろう。わたしはレオの亡骸を離すと、形見となった彼の拳銃だけを手にピーノの邸宅を出た。

 わたしの足は自然と、馴れ親しんでいたニューオーウェルに向かっていた。レオとわたしの家がある場所に。


 リサ、わたしが殺しをしくじったことは二度あると話したな。

 一度目はカルノーの息子、そしてこれが二度目の顛末だ。目が見えているときに一度、目が見えなくなってからもう一度、わたしは間違いを犯している。だがその二度でもうたくさんだ、充分すぎるほどにね。


 それからどれだけの期間、どうやって生きてきたかは覚えていない。

 きっと目が見えないことで同情を買って、行きずりの人からの施しでなんとか生き延びてきたんだろう。だが、そんなおぼつかない路上生活では冬を越すことも難しかった。寒さと飢えに襲われ、盲目のわたしはクライトンパークの片隅で死にかけていた。


 そんなとき、ひとりの男がわたしの前で足を止めたんだ。


『失礼、あなたがミスター・リップかね?』


 大柄な男だということは、その足音と野太い声ですぐにわかった。一日中建物の隙間で物乞いをしていたおかげで、耳に入ってくる情報だけで相手の人となりがわかるようになっていたんだ。


 男はこう続けた。


『わたしはニューオーウェル市警のカール・マクブレイン。あなたを探していたんだ。ぜひとも我々の街の犯罪撲滅に協力してほしい』」

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