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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
129/172

92

「周囲は不気味なまでの静寂に包み込まれていた。

 あれだけ鋭くなっていた感覚はなりを潜めていて、盲目になったばかりのわたしにとっては見知らぬ惑星を手探りで歩くようなものだった。カルノーを殺したときの、チョークで描いたような映像がまぶたに浮かんでくることもなかった。

 いまもそうだ……白線の視界が映る奇蹟的とさえ言える感覚を味わったのは、あの一度きりだった。


 ガラスを踏み砕く音を聞いて、自分が建屋まで戻ってきたことを知った。窓枠をまたいで部屋に入っても、誰かが動く気配はまったくなかった。

 爪先になにかが触れ、わたしはそれを持ち上げた。馴れ親しんだ感触は、レオから預かった拳銃のものだった。わたしはそれを握りなおすと、さらに部屋の奥へと進んだ。


『戻ってきたのか、小僧』


 前方からした声にわたしは思わず身をすくませた。紛れもなくピーノのものだった。だがその声は掠れ、ときどき耳障りなごぼごぼという音も混じっていた。


『畜生、レオの野郎。おれを撃ちやがった。飼い犬のくせなめやがって』


 黙れ、とわたしは声を張り上げていた。恐怖を打ち消すため、そしてレオを侮辱されたことへの怒りをしめすため。


『くそ、レオを殺してやったがよ。まだ足りねえ。おまえも道連れにしてやるぜ』ピーノはわたしの反抗を気にした様子も無くそんな言葉を並べ立てていた。


 目が見えず、怒りの感情にとらわれてはいたものの、わたしの頭の芯は冷静だった。声のする方向から、ピーノの居場所を見極めることさえできていた。

 白線で描かれたやつの姿を見るまでもなかったよ。冷静さはわたしに最高のお膳立てがされていることも気づかせてくれた。相手は瀕死で、護衛は誰も生きている様子がない。わたしの手には扱いなれた拳銃がおさまっている。


 頭の中でピーノとの記憶が去来した。

 気分次第で人を痛めつけるピーノ。幼い頃からわたしは何度もその餌食になっていた。あの日、大西洋上で受けた恐怖と屈辱を万倍にして返す機会がついにやって来たんだ。

 唯一の心残りは、わたしの銃弾を食らって苦しみながら死んでいくピーノの姿が見えないことだった。


 わたしはその方向に引き金をしぼった。銃声とともに拳銃が跳ねあがり、硝煙のにおいが鼻をつんと突く。

 だが、銃弾がとらえたのはピーノではなかった。


『こいつ、なに考えてやがる』そう言ってピーノが笑った。血泡を吹き出す音が混じっていた。


 次いでわたしの耳に届いた呻き声は、レオのものだった。


『そんなに小僧が大事か? おれはいつもおかしいと思ってたぜ。おまえらが想像以上に仲良しだって――』


 そこでピーノの声はふたたび銃声にかき消された。


『ピーノ、おまえのくだらんお喋りにはうんざりだぜ』


 レオの台詞とそのあとに香った煙草の煙で、わたしはピーノがとどめをさされたことを知った。

 それきり、やつの軽口を聞くことは二度となかった。


 気づいたらわたしはレオに駆け寄っていた。

 足をからめて転ぶことなど考えもせず、床を撫でまわすようにして手探りでレオに触れ、抱き上げた。彼の身体は血と汗でぐっしょり濡れ、ひどく軽く、そして冷たかった。


『気をつけろ。まだそばにひとりいる』レオはそう言った。『ロディのやつはとんでもない隠し玉を持ってやがった……サム・ワンだ』

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