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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
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「そうしているうちにさらに数日が過ぎたとき、ファミリーの人間がわたしを迎えにきた。彼らは反吐のにおいが染みついたベッドからわたしを引きずりおろすと、病院から連れ出した。

 医者たちは黙っているだけだった。当然だ、そこは堅気の病院のように警備員が詰めてもいなければ、患者を守ることに義務感と使命感を燃やすスタッフもいない。金さえ支払えば、誰も文句は言わないんだ。


 車に押し込められ、両脇を男たちに挟まれても、わたしはひとつも抵抗する気になれなかった。すべてが失われたという気持ちが、わたしから目的意識を奪っていた。

 ここがどこなのかも、いまが昼なのか夜なのかもわからなかった。


『あのレオの秘蔵っ子がこんなものとはな。仕事が楽なのはいいが、拍子抜けだぜ』


 男たちのひとりがそう言ったきり、目的地に着くまでの車内ではわたしを含めて誰も口を開かなかった。


 目は見えなかったが、連れていかれたのがピーノの邸宅だということは確信できた。

 賭けてもいい。目が見えなくなる前から、わたしの身体は無意識のうちにあらゆることを記憶していたんだろう。人間の感覚はある器官が失われたとき、ほかのものでそれを補おうとするんだ。

 わたしの鼻は長年馴れ親しんだ空気のにおいを嗅ぎとり、耳は風に揺れる木々のざわめきを聞きとった。それを証明するように、通された部屋の奥、ほんの数フィート先でピーノ本人の声がした。


『やってくれたな、小僧』ピーノは言った。拾われてから十年余り、上背を追い抜いてからも、ピーノにとってわたしは小僧だった。『余計なもんまで始末しやがって。殺しの仕事をファミリーに返上するだけじゃねえ、おれが兄貴にどやされるんだぜ』


 そう言ってピーノはわたしをさんざん殴りつけてきた。それから隣にいる誰かに小声でなにかを命じた。数十年経って盲目であることにも馴れたいまならその声も聞きとれたはずだが、このときはまだそうはいかなかった。


『ジョン』


 やがて正面からした声にわたしは慄いた。それがレオの声だったからだ。


『失せろと言ったはずなのに。どこまで馬鹿なやつなんだ』


 レオの声は平板で、普段わたしに見せていた厳しくも温かい雰囲気からもかけ離れていた。

 これこそがフラヴィオ・レオ。アルベローニ・ファミリーお抱えの殺し屋の本来の姿だったんだ。光を失って、はじめてわたしはそのことに気づかされた。


『目が見えないんだったな。だったら教えてやる』火をつける音が聞こえ、レオの銘柄の煙草のにおいが届いた。『いまおまえに銃を向けてる。おまえに預けたあの銃だ』


 レオが嘘をついていないことは声でわかったし、なによりわたしには記憶があった。

 あの日、カルノーを始末すべく出かけたわたしは、部屋に拳銃を置いていった。銃はいま、本来の持ち主が持っていた。

 ピーノはレオの手で……彼の銃でわたしを始末することでアルベローニへの落とし前をつけるつもりだったんだ。


『この銃を渡すとき、おまえに誓わせたことを覚えているか? それさえ忘れなければ、へまをすることもなかっただろうに……』


 もちろん覚えていた。怒りや功名心で我を失い、破りかけたこともあるが、それでも誓いそのものを忘れたことはなかった。

 同時にあらためてその誓いを思い返したとき、目の前の冷酷な殺し屋が大切な恩人に戻っていくのも感じていた。


 つまり……そう、レオはやはりレオのままだったんだ。


 どうなんだ? わたしが黙っているとレオはさらにそう訊ねてきた。

 わたしは覚えていると答えた。


『なら覚悟を決めろ。おれが次になにをするのかわかるはずだ。あの誓いは、おれもたてている』


 わたしの感覚は瞬間的に、極限まで研ぎ澄まされた。レオの言葉を不審に思ったピーノが口を開きかけるのまでわかった。だが、やつが声を出す前に銃声がすべてをかき消した。

 その瞬間、わたしは踵を返した。


『逃げろ、ジョン。ここはピーノの家の音楽室だ』


 怒声のような響きを持ったレオの言葉を背中に受け、わたしは記憶を頼りに庭に面した窓がある方向へと走った。途中、敷布を被ったグランドピアノに激突しなかったのは幸運以外のなにものでもなかった。


〝おれの銃でおまえが手を汚すことは許さん。こいつは身を守るためだけに使え〟


 拳銃を渡すとき、レオはわたしにそう誓わせた。だから目が見えなくても、レオの銃がわたしを狙わないと信じることができた。

 わたしを殺すことは、レオにとって手を汚すことと同義だったんだ。ありがたいことに。彼を信じることがてきなければわたしは銃声に身をすくませ、周囲にいたピーノの部下たちに取り押さえられていただろう。

 レオはわたしにだけわかるようサインを送ってくれたんだ……わたしを守るためだけに。


 わたしは窓を破って外へと飛び出した。病院着のまま靴も履いていなかった足にガラスが刺さった鋭い感触はあったが、不思議と痛みは感じなかった。

 背後では銃声が鳴り続けていた。それから断末魔と『やつを呼べ』というピーノの怒鳴り声も聞こえた。

 だがそれも、百ヤードほどを走るまであいだだった。

 銃撃戦の音は鳴り止み、残されたのはあえぐようなわたしの息遣いと、庭の葉の陰で虫が鳴く音だけだった。それではじめて、いまが夜だということがわかった。


 わたしは考えていた。

 レオがシシーの仇であることに変わりはなかったが、その事実がわたしの歩みを鈍らせることはなかった。

 シシーの最期をこの目で見ていなかったのもあったし、なによりレオは自分を窮地に立たせてまでわたしを守ろうとしてくれた。

 なにより、これまで長い間生活を共にしてきた彼をこんな形で見捨てたくはなかった。


 まるで子供時代に戻ったような感覚だったよ。実際にそうだったのかもしれないな、なにせここを立ち去るか邸宅に戻るか、またそんな決断を迫られていたからだ。

 だがわたしが下した選択はあのときと一緒だったし、そのことには少しも躊躇しなかった。


 わたしはまた、邸宅に引き返したんだ」

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