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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第二章
125/172

88

「わたしはその夜、レオが寝たのを見計らって自室のベッドの上で書類を開いた。

 普通の青春を送っていたのなら、枕に置かれていたのはポルノ雑誌のたぐいだったろうし、わたしは裸の女の写真を前に居住まいを正していただろう。だが、書類に貼られていたのは男の写真だった。


 トビト・カルノー。それが男の名前で、ファミリーのことを嗅ぎまわるフリーの記者だということも書類に書かれていた。そのほかには彼の年齢、自宅住所と周辺の地図、家族構成に生活パターンまでもが記されていた。

 わたしは書類を二度読んで内容を記憶するとすぐに書類を燃やしてしまった。こうしたやり方もレオから習っていた。


 それからベッドに座って、自らに決断を迫った。


 結論を出したのは空が白みはじめたころだった。こんなに時間をかけて悩んだのは、標的がマフィアや犯罪者ではなく、一般人だったからだ。

 わたしがレオに認められる千載一遇のチャンスではあったが、相手はまっとうな仕事と家庭を持つごく普通の男だった。そんな人物の命を奪うことを思い、わたしは葛藤した。

 それまでレオがしてきた殺しのなかには似たような境遇の人々も含まれてはいた。医者に探偵……それからリサ、きみは気を悪くするだろうが、警察関係者もいた。

 だが、私自身がそんな相手を標的にするなんてことは到底不可能に思えた。命の重さは平等なんかじゃない、そのことを身をもって知ったよ。善人の命は屑のそれよりもずっと重いんだ。


 だがわたしは決断した、カルノーを殺すことを。

 自分とレオの立場を守り、ファミリーに忠誠をしめすというお題目がわたしにそう選択させた。

 いや、言い訳にすぎないな。本当は自分の存在を歪んだ形で証明してみたかった。それが動機のすべてではないにしろ、心のどこかでそう思っていたのは確実だ。

 ともあれ、そこから行動に移るのは早かった。

 わたしは適当な用事を見繕うと、レオの目を盗んで持ち出したライフルケースを手に暗殺に指定された場所へと向かった。

 レオから預かった拳銃は部屋に置いていった。良心の呵責を感じての子供じみた贖罪の証だった。

 だがそれがなんになる? そんなことをしたからといって、わたしがこれから犯す罪が赦されるわけじゃないのに。


 指定された場所はニューオーウェル市内に建つとあるビルの屋上で、時間は夜の十時だった。

 道を挟んだ向かい側にはわたしが訪れたものよりも頭ひとつ分高いビルがあり、標的のカルノーはその最上階に妻子と住んでいた。

 簡単な狙撃だったよ。レオの言葉を借りれば『ちょっとした庭仕事』だと言えた。

 標的との高低差はほぼ等しく、距離さえ正確に測定できていればややこしい三角関数に頭を働かせる必要もない。風も穏やかで、月が昇る静かな夜だった。おまけに調査書の生活パターンどおり、カルノーは書斎で机仕事の最中だった。


 良きにつけ悪しきにつけ、ここでも運命はそう動いていたんだ。なにせ彼は突然舞い込んだ仕事で外国へ取材旅行に行くこともなければ、ほんの気まぐれから家族と外食することもなく、いつもの土曜日の夜と同じように机に向かっていたんだからね。

 だからわたしは、底冷えする屋上で待ちぼうけを食らうことも出直すこともせずに済んだ。日をあらためていたら、レオに依頼内容を盗み見たことがばれて、わたしの悪巧みも止められていただろう。


 わたしはケースからライフルを取り出した。

 量産されたレミントンM700で、自分用の特別な調整もしていなかった。いや……スコープ倍率と零点規正だけは標的との距離に合わせて調整済みだった。


 そいつを覗きこむと、すぐにカルノーの拡大された後頭部が見えた。

 それに事務机も。樫か合板か、材質はよくわからなかったが立派な机だった。あんな持ち物なら仕事がなくても日がな一日腰かけていられそうなほどのね。

 だが、当時のわたしはそれどころではなかった。これから訪れるであろう、いや自ら呼び込むであろう結果を前に震えが止まらなかった。

 それでも迷いはなかった。きみは軽蔑するだろうが、そこには恐れと同時に殺し屋としての矜持があったんだ。


 ――闇夜に霜の降るごとく。


 脳裏をよぎったのは狙撃手に古くから伝わるそんな心得だった。

 このとき別の……たとえばレオの言葉が浮かんでいたら、結果は違うものになっていたかもしれない。

 だがそうはならなかった。わたしは無意識のうちに、レオのことを頭から締め出していた。


 引き金をしぼろうとした瞬間……狙撃手にとって引き金は引くものではない、しぼるものなんだ……わたしは突然、例の目の痛みに襲われた。

 それも激痛なんてものじゃなかった。わたしは思わずスコープから目を離すと、痛みを打ち消そうとまぶたをかたく閉じた。だが、指は引き金に触れたままだった。


 痛みはなおも続いていたが、わたしはどうにか目をこじ開けた。

 はじめ、覗き込んだスコープが故障したのかと思ったよ。なにせ視界が真っ赤に染まっていたんだからね。まるで両目とも赤いセロハンを貼った不良品の3D眼鏡をかけているのかと思ったほどだ。レオと殺しの仕事をはじめたときからわたしはよく目をいじっていたし、慢性的な痛みも感じていた。

 そしてこのとき、わたしの視力は突如として限界を迎えようとしていたんだ。


 一面濃い赤色のなか、わたしはさらに驚かされた。

 カルノーがこちらを見ていたんだ。彼は両手でなにかを高く掲げていた。ちょうど優勝したレーサーがトロフィーを掲げるみたいにね。気づかれたと思うや、引き金に触れていたわたしの指が強張った。


 銃声は聞いていない。もしかすると、実際に耳にはしていても記憶からはじき出してしまったのかもしれない。同じことだ。


 無音の中、カルノーが掲げていたものから花が咲くようになにかがはじけた。それはわたしの赤い視界のなかで、さらに鮮やかな赤色を描いていた。

 そして直後に、それがカルノーの八歳になる息子だということにも気づいた。というより、調査書をすっかり記憶していたのに、息子の存在を直前になるまですっかり忘れていたんだ。


 窓ガラスが砕けるなか、カルノーは息子の身体からほとばしる血を全身に浴びていた。彼ははじめなにが起きたのか理解できていない様子だった。それからぐったりとする息子を前に目を見開き、わななきながら割れた窓の外を見たんだ。


 わたしはそこでスコープ越しにカルノーと目が合った。

 悲痛……いや、そんな安易な言葉じゃ表現できないような顔をしていた。なにせ自分の腕の中にありながら、息子の命が突然奪われたんだ。怒りや悲しみ、あらゆる感情がないまぜになった顔で、カルノーはわたしを見たんだ。


 そして、そんな父親の顔が、光を失う前にわたしが見た最後の光景だった」

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