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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
11/172

8

 現場をあとにしたわたしたちは、リッチーの車に乗って十九分署に戻ることにした。わたしのダッジはティムに面倒を見てもらうことにした。


〝レッカーで引きずりまわしてやるからな!〟ティムのそんな捨て台詞が思い出される。


 車に乗り込む前にふたりで現場の周辺を見てまわってみたが、室内のマートンを狙撃できそうな高い建物は隣接していなかった。

 そもそもマートンの家のリビングからはクライトンパークが見渡せるのだから、あたりまえといえばあたりまえだ。それでもリッチーはそのいい加減そうな見た目に似つかわしくない地道さで、抗弁するわたしをひきずるようにして可能性をひとつずつ潰していった。


「つまり犯人はヘリコプターかなにかに乗って、空中からマートンを撃ったんだ」


 署に戻ろうと車に乗りこんだリッチーは、開口一番そう言った。

 だとすれば、狙撃の難易度はさらにあがる。揺れるヘリコプターからでは、狙撃手が立つ位置そのものが安定しない。彼の推理に、わたしは犯人の狙撃技術を一流から超一流に格上げした。


 助手席の窓によりかかりながら、流れていく風景を眺めた。

 この街のどこかに、魔術のような狙撃をやってのけた人間が潜んでいるのかもしれない。


 わたしが車内へ視線を戻したのは、運転席のリッチーが悪態をついたからだった。

 彼はちょうど空になった煙草の箱を握りつぶしているところで、くしゃくしゃになったそれを後部座席に投げ捨てた。車の後ろはごみ溜めのような有様だったが、公道に投げ捨てないだけまだましだ。

 リッチーはふたたび悪態をつくと、車の灰皿から比較的原型を残している吸殻をつまみあげて火をつけた。


「そんなに煙草が好き?」

「リサは嫌煙家だからな」火をつけた煙草を真っ直ぐ伸ばしながらリッチーが言う。

「そういう問題じゃないわ。いまに煙草じゃ飽き足らずマリファナに手をだしちゃうんだから。わたしいやよ、あなたを逮捕するなんて」

「あんなもの、煙草とくらべりゃひどくて吸えたもんじゃない」


 まるで大麻やらなんやらを吸ったことがあるような言い草だ。

 もしそれが事実なら、彼がまだ警察官に就任する前、若さとあやまちの時代での出来事であることをわたしは願った。


「さっきの現場でのことだけど」

「なんだ、おれの名推理のことか」

「違う。あなたが死者を冒涜したこと」

「死者? おれがマートンになにをした?」

「したじゃない」


 わたしはじろりと睨んでみせたが、リッチーは涼しい顔のままだ。


「あなたは死者をまたいだわ。それに死体の頭をあんなふうに持ち上げるなんて……現場検証だってまだ終わってなかったのよ」

「マートンの墓の上を歩いたわけじゃない」言いながらリッチーはわざとらしく身震いしてみせた。

「辛辣なことも言ったわ。それも被害者の目の前で」

「現場をなごませるためさ。ほんの冗談だろ」

 わたしはこれを無視して、「おまけにあの推理ショーはなんのつもり? 仕事に対する真摯さってものがあなたにはないの?」

「やれやれ、後輩に説教されるとはな」


 リッチーはそういうと銜えていた煙草を、火も消さずに灰皿に押しこんだ。いつかこの車は火事になるわね、わたしは心の冷静な部分でそう思ったが、それ以外はかっかと熱くなりはじめていた。


「そんなことでいちいち文句を言うな」リッチーは続けた。

「わたしに命令するの?」

「いや、アドバイスさ。いいか、おまえさんはいま冷静さを欠いている」


「誰のせいだと――」

「なにがあってもだ」リッチーがわたしの言葉を遮る。「なにがあっても、警察官って生き物は冷静でいなきゃならん。クールに。飲みこんだ熱湯を氷のかたまりにして吐き出すくらいにな」


 わたしが思わず口を噤んだのは、ふとリッチーの横顔にかげがさしたように見えたからだ。いつもは眠そうに半開きにしている彼の眼が、なぜかそのときばかりは悲しげに見えた。


「それからな、おまえさんはこの事件からは手を引け」

「なに、言ってるのよ?」わたしは訊き返しながら信じられない気持ちでいっぱいだった。一度はおさまりかけていた怒りがふたたびくすぶりはじめる。「それともわたしの聞き間違い? いったいどういうつもりで――」

「そのままの意味さ。聞き間違いでもない。おまえさんは、おれがいま言ったみたいな冷静さを欠いているし、そいつをすぐに取り戻せそうにもない。そんなやつに今回のヤマは任せられん」

「わたしを見くびらないで。半人前でもわたしだって刑事よ」

「その半人前にいてほしくないんだ」リッチーはふたたび灰皿に伸ばしかけた手をハンドルに戻した。「死ぬぞ。リサ、親父さんみたいな最期を迎えたいのか?」

「黙って」わたしは言った。「父のことを口に出さないで」

「ああ、悪かった……」


 それから署に戻るまでおたがいにひとことも口をきかなかった。

 すぐに我慢の限界を迎えたのか、リッチーは運転をしながらふたたび灰皿からあさりだす。

 わたしはといえば、ある決意を胸に、窓の外に広がるニューオーウェルの街並みに視線を戻した。

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