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ザ・ブラインド  作者: 千勢 逢介
第一章
10/172

7

 検証してみよう。言いながらリッチーは窓に沿って歩くと、床のある一点を見つめた。視線を追ってみると、そこには穴がひとつ空いていた。


「ここから弾丸が見つかったのか?」リッチーが班長に訊ねる。

「ああ。床にめりこんでいてな。取り出すのに苦労したよ」

「なるほど」


 言いながらリッチーはふたたびわたしに例の微笑を向け、通りすがりの鑑識官を呼び止めた。それは奇しくも、リッチーに吸殻をよこされたあの若い鑑識官だった。


「ちょっと、そこに立ってくれ。ああ違う、もう半歩前だ。そう……よし、そこでいい」

「ねえリッチー」わたしは腰に手をあてて呼びかけた。いくらなんでも、彼は現場で自由に振舞いすぎている。「コロンボにでもなったつもり?」

「かもな」リッチーは床の弾痕と鑑識官(正確にはその首筋のあたり)とを見くらべながら、「だがコロンボなるよりもセルピコのほうがいい」


 こうなったリッチーにはなにを言っても無駄だった。それを知っているわたしは、おとなしくなりゆきを見守ることにした。

 彼は若い鑑識官にその場を動かないように言うと、別の鑑識官に用意させた脚立を窓際に置いた。


「マートンの身長は六フィート以上あるな」

「六フィート二インチだ」班長が言い添える。

「ありがとう班長。それじゃあきみ、これからちょっと撃ち殺されてくれるか?」


 死んだ当人のすぐ横でリッチーがまたしても不謹慎な発言をする。若い鑑識官もこれには苦笑を浮かべていたものの、それ以上反感を抱く様子もない。

 彼の茶番に巻き込まれる人たちは、いつだってそのことがまんざらでもないように見える。わたしにはそれが不愉快でならなかった。


「班長、弾丸はマートンのどこから入ってどこへ抜けたんだ?」

「射入口は額の左、眉の上あたりからだ。射出口のほうは損傷がひどいが、第三頚椎と第四頚椎のあいだと推測できる」


 リッチーは頷くと、ちょっと失敬、と言いながら若い鑑識官の持っていたメジャーテープを手にとった。のばした端を床の弾痕にあてがい、本体をわたしに投げてよこす。

 彼の意図はすぐにわかったが、気乗りしないわたしは渋々と脚立にのぼり、テープが若い鑑識官の額の左側にあたるよう腕をのばして調節した。


「リサ、どうだ」かがみこんだリッチーがこちらを見上げる。


 わたしがのばした腕の先には開かれた換気用の窓があり、その先には凄惨な殺人など意に介さないほどさわやかに晴れ渡った冬空がどこまでも広がっている。


 これもいちいち確認する必要のないことだ。

 そう思ったが、リッチーの刑事としての信条に反することは知っていたので意見するのはやめた。それに、ありえないと一蹴したこの事実への裏づけは、わたしを黙らせるのに充分だった。


「犯人は……」立ち上がって若い鑑識官に頷いてみせたリッチーは、それから班長と脚立から降りたわたしに言った。「犯人はあの換気窓からマートンを狙撃したんだ。部屋は施錠されていたし、銃も残ってない」

「犯人は合鍵を持っていたのかも」わたしは言った。

「こんな高級住宅だ。合鍵ひとつ作るのにも手間がかかるだろうし、足もつきやすい。おれが犯人ならそんな危ない橋は渡りたくないね。そもそも家に忍びこめたとして、わざわざ狙撃銃を使う理由はなんだ? それなら拳銃で事足りるじゃないか。弾道だって不自然だ。弾は被害者の頭頂部付近から斜め下に抜けてるんだからな。それとも犯人はこう言ったのか。『マートン、ちょっときみを撃ち殺したいからそこにひざまづいてくれ』と。さっきおれがあの若造にいったように? おまえさんの言葉を借りれば、そのほうがよっぽどありえないね」


 わたしはふたたび黙りこんだ。これ以上リッチーとやりあっても形勢が逆転するとは思えなかったし、そもそもこれではわたしが犯人をかばっているようではないか。


「帰宅したマートンは、ここでゆっくりとくつろいでいた。暖かい部屋、うまい酒。眼下にはニューオーウェルの夜景とクライトンパークの静かな眺め。これ以上ないくらいの贅沢だ。そんなマートンめがけて弾丸は飛んできた。夜風にあたりたかったのか、それとも単に窓を閉じ忘れていたのか。あるいは犯人が窓や暖房に細工をしてたのかもしれない。そのあたりはなんとも言えんが、マートンがそのことを気にする必要ももうないだろう。窓から一直線に部屋へと入って、脳天を貫いた弾丸のせいでな」


 それでもにわかには信じがたい話だ。


 犯人がわずかな隙間からマートンの頭がのぞくのをとらえたとして、狙撃に許された時間はどれだけあったのだろう。


 数秒? それともまばたきをすら許されないほどもっと短い時間?


 マートンがただ棒立ちになっていただけならいざ知らず、ほんのわずか身じろぎしただけで彼の身体は窓ガラスの向こうに隠れてしまう。

 弾道にしてもそうだ。以前、市警の特殊部隊員から聞いた話では、高速で飛ぶ弾丸でさえ物理法則の支配から逃れることはできないという。そのため弾道は厳密には直線ではなく放物線を描くそうだ。それに距離、角度、風向きまで考慮しなくてはならない。銃身の内側に刻まれたライフリングという螺旋状の溝によって弾丸は回転方向にそれるし、距離によっては地球の自転の影響を受けたりもする。


 こうした計算と技術、それに経験から標的を正確に撃ち抜ける能力を持つ人間を狙撃手と呼ぶのだし、マートン殺害をやってのけた犯人の腕前は素人目にも間違いなく一流だということがわかる。

 だからこそ、わたしはそんな人間がこの世に存在するとは思えなかった。


「ありえない」わたしはふたたび呟いた。

「リサ、言っただろう。刑事にとってそいつは禁句だ」わたしの失言に対して、リッチーはある種の冷たさをもってそう言った。

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