3話 サウザンの街
そうして目の前に広がるのはまさに異世界情緒あふれる街並みであった。
隙間のある石畳の道と、それに沿うように並ぶ、傾斜の急な三角屋根の建物たち。
例えるなら、一生に一度は行ってみたかった、ドイツのローテンブルクの街並みによく似ている。
「おお…」
東京の都心部に住んでいて外国にさえ行ったことがなかった匡は、この街に来て初めて異世界だと実感したような気がした。地球で生きていても、緑がいっぱいの場所など見る機会はあった。
しかし、車もなく、電灯もなく、もちろん自動ドアもなく、行き交う人々が色とりどりの髪を持ち、フィクションでしか見ないような服に身を包む様子は、まさしく異世界であった。
匡は、なんだか観光にでも来た気分だと、少し心を軽くする。
果たして帰れるのだろうかという不安は、ひとまず胸の隅に追いやった。
ともかく、門を通してもらえたことに安堵した匡は一呼吸おいて、人々や馬車が通っている大通りを足早に歩き出したのだった。
少年の言っていた狩人ギルドは、存外すぐに見つかった。
大通りを暫く歩いていると、左手に、狩人ギルドの看板を掲げた大きな建物があったのだ。
ここに入ればいい、というのはわかった。
しかし、ドアノブに手をかけ、いざ入ろうとしたところで、躊躇いを覚える。
ギルドの者でもないのに堂々と入っていくのはどうなのか。
いっそ登録をここでしようかと言う考えも頭を掠めたが、今の自分にとても狩人としての働きができるとは思えない。
結果、ドアを開けて入っていく狩人たちに慌てて道を譲り、自分は入り口の前でウロウロするという醜態を晒すことになっていた。
入学して初めて一人で職員室を訪ねる時に作法に戸惑う。
コンビニや、入り口がガラス張りのモール、電気屋などは入りやすいが、入ってみないとなにがあるのかわからない居酒屋や2階など奥まったところにある不動産屋は入りにくい。
そう言う心理である。
誰にでも当てはまるものとは思わないが、少なくとも匡はそういう臆病な人間だ。
故に中の様子も見えず、何をするところなのかも知らず、中に入る理由もそれほど思い浮かばないこの建物はとてつもなく入りにくかった。
建物の側面に窓を見つけるが、位置が高すぎて覗くこともできない。
「世の中の転移系主人公は勇気と度胸に溢れてるんだな…」
ギルドの建物の外壁に寄りかかって、匡は一人ため息をついた。
周りが少し匡を奇異の目で見始めたころ、匡はようやく心を決めた。
「お邪魔しまーす…」
ギギギと不穏な音を立ててドアを開くと、そこはレストラン、いや、酒場のような空間になっていた。
「……」
匡は目を瞬かせる。
異邦人がいきなり踏み込んだらさぞかし目立つだろうと覚悟をしてきたが、むしろ周りの音が騒がしく自分の声など気にならなかったくらいだ。
見ると、正面奥に職員がいると見えるカウンターがあり、手前の空間は丸テーブルと椅子が並べられ、多くの狩人たちが大声を撒き散らしながら飲食をしている。
入り口のすぐそばにいた人たちは一瞬チラリと視線をよこすものの、すぐに自分たちの世界に戻っていく。
匡は張り詰めていた息を吐いた。
テーブルの間を縫ってカウンターへと進む。
向かって左から、相談、報告、受注受付、依頼受付、買取と、上に札が下がっていた。
この場合は相談だろうか、と、ちょうど並んでいる人も居なかったのでそちらへ進む。
「あの、」
「お?はいはーい」
声をかけると、後ろを向いてなにやら書類整理をしていたギルド職員が素早くやってきた。
赤髪を高くポニーテールにした、目のぱっちりとした女性だ。
「どうしましたー?」
高く、丸みを帯びた可愛らしい声は耳触りが良い。
「お、変わった服装ですね!外の人ですかね?」
彼女の様子に、どうやら歓迎されないことはないらしいと安心しつつ、要件を口にする。
「はい、その、外からきた旅の者ですが、フリーデの草原にてグレイトベアーが出たので知らせようと思いまして…」
少し言い方に悩んだが、一言で言うならばこれが適切だと思った。あの少年の話をするとどうしても長くなって理解が難しくなってしまう。
「なっっっ」
「な、?」
匡の言葉を聞いた途端、カウンターを叩いて立ち上がった職員に首を傾げる。
「なんてこと!!本当ですか!いつ頃ですか!今どの辺にッッ」
突然の大声に思わず身をすくませる。
「ちょ、ライラ、ちょっと落ち着きなさい」
赤髪ポニテの職員の名前はライラというらしい。
横からライラの方に手を置いたのは、となりの報告カウンターに座っていた茶髪の大人っぽい女性職員だった。
「シードルさん!でもグレイトベアーが、」
「いいから」
シードルと呼ばれた女性は、ライラを嗜めると匡の前までやってきて真面目な顔で尋ねた。
「それで、詳しく聞かせてもらえるかしら」
頷く。
◇
「なるほど、じゃあそのグレイトベアーは討伐されたってことでいいのよね?」
「はい、確かに首を刎ねられて、死体はその狩人が袋に…あの、質量ガン無視する袋って」
「袋?ああ、それは多分圧縮袋ね。魔法袋ともいうけど。大きい獲物を持ち帰ってもらうときなんかに、ギルドでも貸し出しているものよ」
「はあ」
どうやら一般常識だったようだ。
アイテムボックスに近いか…?
「とにかく、伝えてくれてありがとう。グレイトベアーに襲われたことも災難だったわね…。
あの地域は戦闘に不慣れな人たちも行き来することが多いから、正直その情報は助かるわ。そのあたり警備を強化するよう要請しておくから」
シードルがそう締め括るころには、あわわわと顔の原型をなくしていたライラも復活して柔かに頷いていた。
「いえ、俺はその、頼まれただけなので」
思った以上の感謝を述べられ戸惑う匡。
それに追い打ちをかけるように、カウンターにはドンと皮袋が置かれた。
匡は、すっかり存在を忘れていた課題の提出を迫られたかのような表情を浮かべる。
「………」
「今回の情報料よ」
「…え、いや、、え?」
そんなものを全く予想していなかった匡はただただ呆然とそれと二人の顔を見つめた。
「あの……大丈夫ですから」
ようやく絞り出した匡の台詞に、職員二人は不思議そうな顔をする。
「そうはいかないわ。情報にも対価があるもの」
「いや、でもほんとに俺はなにも」
「なにももなにも、こうして教えてくれたじゃないですか」
ライラも横から口を出す。
うっ。
「………ありがとうございます」
負けた。
白髪の少年に、いったいなにをしたらこの借りを返せるだろうかという思いが、ほぼ灰になった脳の片隅で渦巻いていた。
受け取った皮袋がどうにも重い気がする。
重すぎない?大丈夫?
「ちなみにこれ、いくらですか」
「金貨4枚と銀貨40枚よ」
絶対多い。
価値はわからないけど多い気がする。
「…多くないですか、?」
中を覗くと、百円玉くらいの大きさの銀色の硬貨(おそらく銀貨)が数十枚と、五百円玉くらいの大きさの金色(おそらく金貨)の硬貨が何枚か入っているのが見えた。
「いや、通常確認されないはずの魔物の報告はそれくらいが相場よ。あとはどれくらい異常かと、発見から報告までの時間を考慮して料金を支払うの。今回は通常魔物が出ることさえ珍しい地域でのグレイトベアーの出現情報、そして発見後の魔物の状態も含めて、極めて迅速に知らせてくれたことから多少上乗せされてるわ」
「なるほど…」
言われてみれば確かに、情報というのは大事で、遠距離での通信手段がない時代では、一つの情報が未来を左右することだってあったのだ。
それならば、普段では考えられないようなことが起こった時に即座に対応できるように、情報はいくらでも欲しいだろう。
そして、情報を提供する者は、自分の身を危険にさらして得たものである以上、適切に報酬が得られる場所に提供したい。
納得のいくシステムだった。
そしてグレイトベアーは魔物、と。
いよいよ異世界らしくなってきたな。
今回の場合はもう倒されてるんだからいいじゃないか、とも思えるが、今回現れた個体が重要なのではなくて、普段現れない魔物が現れたことが問題なのだ。おそらく。
環境が変わったのか、現在一時的に条件を狂わせる何かが起きているのか。
人々の安全を守るために、調べなければならないことが山ほど出てくる。
何も知らないまま、たまたま通りかかった人が新たなグレイトベアーに襲われて死にました。となるのを防ぐために。
そうはいってもやはり、この情報料を得るべきなのはあの少年だと思う自分の心に変わりはない。
伝達だけをやった自分が全てを受け取るには、大きすぎるのだ。
まあ、いつか返すしかないか。
色々思うところはあるが、結局のところ、これだ。
ごくりと唾を飲み込んで、匡は袋を受け取った。
「わかりました、ありがとうございます」
「ええ」
と、そこで匡はここで聞いておくべきことを思いつく。
「さっき言った白髪の少年に心当たりはありませんか?できればお礼をしたいのですが…」
「そうねぇ、残念だけどうちのギルド員ではないと思うの。そんなに目立つ容姿で強い人がいたらそうそう忘れないと思うし、この街の人でもないんじゃないかしら」
「そうですね、私も白髪の人自体見たことないですし…」
「そうですか…」
ガックリと肩を落とす。
「あ、でも」
「?」
ライラが思いついたように続けるので、目線を上げた。
「見たことはありませんけど、マグベルに白髪の有名な冒険者がいると聞いたことがあります…。もしかしたら、その人かもしれませんよ!」
「マグベルってここから相当な距離あるじゃない」
「でも、わからないじゃないですか!」
白髪から連想したのだろうか。悪魔でも可能性の話なのだろうが、冒険者というなら納得できる。
彼が強いことは素人目に見てもわかった。
というか、冒険者ってあるのか!
これはどうにかして調べなければ。
「あまり伝えられることがなくてごめんなさいね。でも見かけることがあったら伝えておくわ」
ライラも頷く。
匡としては十分に収穫があったので、首を振って、頭を下げた。
「ありがとうございます」