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天使 バグナム3

 

 迫ってきた魔物の爪が、両手で構えたザイの剣を、根本からへし折って弾き飛ばす。慌てて後方へ逃げたにも関わらずだ。

 刃の折れた剣を、持っている手が震える。


 強い。動かない。できない。

 何もーー。


 ドン、と押されるような感覚がして景色が塗り替わる。


(えっ、これはやば…)


「ぅ」


 衝撃とともに、ザイの体が硬い大地に沈む。

 何をされたのかわからない。痛みさえ感じない。

 ただ気分が悪い。気持ちが悪い。


 微かに、開いた右目の視界に赤が見えた。


「が、はッ……」


 次の瞬間、無理矢理身体を捻じ曲げられるような心地がして、口から空気と血が吐き出される。


 腹に穴が空いたのだと気づいたのは、枯れそうな呼吸の中で見た、深々と突き立てられたあの巨大な爪からだった。


「…は……これは…終わ、」


 僅かに持ち上がった気がした右手の、力を抜いた。


 そこで魔物はザイに興味を無くしたようで、爪を引き抜いたザイの体を無造作に投げ捨てる。

 岩に打ち付けられ、そのまま滑り落ちたザイは、少し離れたところで、千切れてグチャグチャになっている自分の右手を見て、そんな気がしていたと、どこか他人事のように感じていた。


「ザイッッ」


 虚ろなまま閉じようとしていた目が、僅かに開く。


 ダルクの声。


 反射的に視線をやろうとするも、視界がもううまく機能していないことを思い出す。だが、こんな状況に出くわした時の、ダルクの蒼白な顔面は想像に難くなかった。


「…は」


 マジか。ここに来るのか。


「ザイ!!生きてるか!!?」


 すぐ近くに、気配を感じる。


 いやいや、逃げろよ。俺じゃなくて前を見ろって。


 ダメだ、霞んで何も見えない。今目が開いてるのかもわからなくなってきた。


「おい、ザイ、聞こえるか!すぐシアルを呼んでくる。すぐに、だから…死ぬなよ!!」


 呼ばなくていいからさっさと行け。

 お前まで死んだら誰がギルドに伝えるんだよ。

 大体、シアルの評価が台無しじゃねぇか。


「…るせ、よ」


 ダルクが息を呑む。


「…ッさと……逃げ、ゴボッ…」


「いい、いいから喋るな。待ってろ、いいな?見捨てろとか死んでも言うんじゃねぇぞ」


(…馬鹿が)


 足音が遠ざかる。

 魔物は今どこに居るんだ…

 ダルクに気づかなきゃ、いいけど…


 ◆


 (ちょっと前)


「ザイー!曇ってきたからそろそろ終わるぞ」


「ザイ?」


 ダルクは、ザイが狩りを行っていたであろう場所を行き来して、次第に顔を強張らせる。


 あまり移動しないように、との約束だったはずだが…。


 そして、ふと目線を下げたところで、それを見つける。


「何だこの岩、跡…?」


 その時、少し遠くでドゴォン…と言う音が響き、急いで目線を振り上げた。


「……」


 ダルクの中に、言いようのない不安が生まれる。

 その感覚に逆らわず音のした方へと足を向け、ダルクはすぐに走り出した。


 …


「ザイッッ」


 たどり着いたダルクが目にしたのは、血に塗れ、ピクリとも動かない親友ザイの姿と、その目の前でガシガシと地面を削ってから、ザイの脇をすり抜けて駆けていく見たことのない魔獣。


「ザイ…」


 呟くように繰り返し、死んでいるとは思いたくない心が、前へ進む足を鈍らせる。

 しかし、それでも、ダルクはザイに駆け寄った。


「ザイ!!生きてるか!!?」


 ほとんど嘆きのようなものだった。

 声を出していないと、呼吸を忘れてしまいそうだった。


 そして、ザイの眼球が、僅かに開いた瞼の下でダルクの声を探るように彷徨うのを見て、忘れていた呼吸が戻ってくる。

 しかし、その瞼が緩んで、閉じていくのを見てまた焦りが濃くなっていく。


「おい、ザイ、聞こえるか!すぐシアルを呼んでくる。すぐに、だから…死ぬなよ!!」


 そう言うしか無かった。

 あの魔物がどれだけヤバい奴なのかわからないし、いつ戻ってくるかもわかったものじゃない。

 シアルならザイの怪我を治せるという確信があったのは救いだが、シアルが来るまでの間ザイが持つかどうかは定かではない。

 勿論、こんな状態のザイを移動することなんて不可能だ。

 考えていてもダメだ。とにかく急いでシアルをーー。


「…るせ、よ」


 ダルクはハッと顔を上げた。


「…ッさと……逃げ、ゴボッ…」


「いい、いいから喋るな。待ってろ、いいな?」


 ザイが情報を持ち帰らせようとしているのはわかる。

 自分を諦めろと言っているのもわかる。


 だが、わかるのと承服するのは違う。


 後で死ぬほど殴っても、罵ってもいい。

 二度と口を聞いてくれなくてもいい。

 自分も死ぬことになってもいい。

 だから、


「見捨てろとか死んでも言うんじゃねぇぞ」


 自分でも聞き慣れないほど、本気の籠もった声でそう投げて、走り去る。

 全力で走れば、そう遠くないはずだ。


 …


 ハァ…ハァ…


 シアルが待っている場所の近くまで来ると、なんとか息を整えて声を出した。


「シアル!いるか!?」


 するとすぐに白い尾を引いて目の前に降り立った少年が不思議そうな面持ちで尋ねる。


「ダルクさんだけですか。どうしました?なにかーー」


 その瞳が何を捉えたのかはわからない。

 ただ何かを感じ取ったシアルが、ダルクを無視して凄い勢いで飛び出していった。


 ◇


 シアルは、ダルクの視界から消えたところで瞬間移動を繰り返し、上空から目視で目標を探し出すと、すぐにザイの元へと飛び降りていく。


 その勢いのままザイの身体へ両手を押し込み、限界まで、シアルがこの世界で行使しても良いと定めた限界まで魔力を込めて、治癒魔法を施していった。

 ちなみに、シアルの魔法がこの世界とは違うものだとしても、死んだ生き物を蘇らせることはできない。

 これは理論上の話ではなく、倫理上の話である。

 だから、既にザイが事切れていたならば、無意味なことであった。


 治癒というのは、時間が経てば経つほど同じレベルの魔法でも効きにくくなってくる。

 これは、シアルがこの世界にくるまではほとんど知らなかったことだ。勿論理屈では知っていたが、全員が魔法を使える魔法界や神界では、治癒が間に合わないなどと言うことは万が一にもなかったからである。


 だからこそ、命に関わる部分から急いで治癒を施していたし、なんとか臓器の修復を終えようとしたところで、前方に大きな魔力の気配を感じた時には、完全な治療を諦めたのだ。

 超速で傷を塞ぎ、腕の途切れた部分も止血をするべく塞ぐ。


 その傍ら、その輝く瞳の前に、無詠唱で障壁を展開していく。範囲は、ザイを覆えるほどだ。

 何が飛んできても反応できるよう、気配からは絶対に意識を逸らさない。


「……あ、れ、俺」


 意識を取り戻したザイが、血に濡れた瞼を押し上げて僅かに上体を起こすも、また岩に寄りかかり、ハー…ハー…と荒い呼吸を繰り返す。唯一動く左手で自分の胸を押さえ、腹部を撫でると、助かったのを確認するようにその手を持ち上げて、手の平を眺めた。

 そこで、息を詰まらせ、咳き込みだす。

 その腹には未だ見るに耐えない大きな穴が空き、服は血塗れだった。


「ザイさん、聞こえますか?」


「あ……ああ…」


 渇いた、しかし、きちんと力のある声に少し安堵して、シアルは続ける。


「遅くなってすみません。僕が気づけずにザイさんに怪我を負わせることなってしまって、すみません。」


「……誰がお前のせいなんかにするかよ。」


 ザイが、少し不満気に目を伏せた。


「それで、本当はゆっくり治療を施したいところなのですが、そうも言っていられないようです。」


 ザイを護る障壁を確認してから、シアルは立ち上がって剣を抜く。


「…まさか、」


 ザイが軋む体を起こし、シアルの見据える方向をその目に映すと、多くの魔物たちがこちらへ駆けてくるところだった。


「ッ…シアル、いいから逃げろ!」


 ザイの必死な声に、シアルはいつもの調子で無感情に告げる。


「大丈夫ですよ。ザイさんはそこで休んでいてください。絶対に生きて帰りましょう。」


 魔物たちが迫ってくる。

 ザイは歯を食いしばったまま、非常に不本意だとでもいうように大きく舌打ちをすると、低い声で呟いた。


「……絶対だぞ」


 命の危機を脱したとはいえ、傷が完璧に癒えた状態ではない。疲労や痛みは相当のはずだが、それでも彼の心は弱音を吐いたり、仲間を信じるのを止めたりはしないらしい。

 あるいは、目の前にいるのが彼を救ったことのあるシアルだからかもしれない。

 シアルは口元が緩むのを感じながら、彼にとって、辛い要求を重ねるべく口を開く。


「ええ。ただ…」


「ただ?」


 そこで、シアルは迫ってきた中級の魔物の群れを全てを斬り伏せて、素早く剣から振り払った。

 その一瞬の出来事を見て、呆れたように息を飲むザイに、シアルは先程の言葉を続けた。


「非常に心苦しいのですが、右腕は諦めてください。」


 それを聞いたザイは、少しキョトンとした後、「お前には参った」とばかりに口を緩めてシアルを見上げる。


「安心しろ、明日より惜しい腕はない」


「…そうですか。」


 シアルは剣を構えつつ、微笑んだ。


 ◇


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