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1話 転移

主人公・匡

 

 信号は赤へと変わり、立ち止まると同時にふぁ、と欠伸を噛み殺す。


 特に提出の課題がないからと、久しぶりに調子に乗って徹夜でゲームをやってしまったツケだ。


 身長が1・6メートルを越えるほどの小柄な少年、ただしは、少々長く伸びて右目を覆いそうな前髪を煩そうにいじりながら都心を歩いていた。

 足元から、黒いショートエンジニアブーツ、真っ黒のぴったりとしたスラックス、上半身はワイシャツに、青みがかった灰色のダボっとしたパーカーを重ねている。

 そして背中には、黒い無地のラウンドリュックを背負っていた。

 匡のいつもの登校スタイルだ。


 小柄な体型と幼さの漂う顔立ちからはそうは思われにくいが、比較的自由な服装と、弄りだしたスマートフォンからわかる通りこれでも高校一年生の男子である。


 夏休みが明け、さらに期末考査も終えた、秋に一歩近づいた季節、周囲を抜ける風は比較的穏やかで心地良い。


 信号が変わり、人々が一斉に歩き出す。

 匡もスマホをポケットにしまって、足早に横断歩道を渡った。

 信号を渡ってすぐ右折し、立ち並ぶビルの間に少し不似合いな古い居酒屋を認めると、その建物と隣の銀行との間の細い道へ入っていく。

 学校への近道だ。

 実際には距離は然程変わらないが、人の多い通りを歩いていくのより断然歩きやすくて匡は気に入っている。

 いつものようにスタスタと進んでいくと、急に視界がぼやけた。


「えっ」


 次いで激しい目眩を感じ、目を開けていられなくて閉じてしゃがみ込んだ。

 世界が歪んで、ぐるぐると回っているように感じる。

 ゲームのしすぎか…?

 と弱った脳みそで考えて反省しているうちに、今度は謎の浮遊感に襲われた。


 なんなんだ一体…


 ◇


 永遠とも思えるような時間が過ぎて、ようやく頭の中が平常に戻る。


「…ぅ」


 ゆっくりと目を開けて、立ち上がると少しフラフラするものの、特に問題はなさそうだった。

 自分に関しては。


「……は」


 目を開けて数秒。

 思わずそんな声が溢れる。

 その黒い瞳に映るのは、毎朝目にする路地裏のそれではなく、青青と木々が生い茂る森の中の風景だった。

 ハッとして足元を見ると、アスファルトを踏んでいたはずのブーツは少し薄汚れた草の上にあった。

 つい足踏みをして、その感触を確かめる。

 少し柔らかく不安定な地面は、森の中の、雨上がりの大地のようだった。

 よく見ると、周りの草木も少々濡れている。


「いやどうした!!?」


 頭の中を凄い勢いで、同時並行に流れていく幾つもの思考に酔いそうになって、匡は大声で叫んだ。


 なんだろう。自分は頭がおかしくなったのだろうか。

 匡は顔を引き攣らせながら瞬きを繰り返すが、見える景色に変わりはない。

 都会慣れしている人間にとっては珍しい、新鮮な空気。

 耳慣れない葉の擦れる音や小動物の声。

 少し前方にある、ギャップからの差し込む光。

 修学旅行へ行った際のハイキングコースを彷彿とさせる光景である。

 ただ、登山のときのような急激な斜面はなく、平地か緩やかな丘に木々が密集している歩きやすそうな森ではあった。


 だがそんなことはどうでも良い。

 どうでもいいのだが、状況を考えたくなくてつい観察してしまう。

 匡は混乱していた。

 確かに、いつも通りに目を覚まし、眠気と戦いながら学校へ行く支度をし、いつものバスに乗ったはずだ。

 そして終点で降りて、長い信号を待ち、いつもの近道を歩いていたはずだ。

 そこは確かに都会のど真ん中で、どう頑張ってもこんな光景に辿り着くことはないのだ。ないはずだった。

 しかし目の前に広がる光景は本物だ。


「いや…いやいや……」


 茫然とした表情のまま小さく首を振るも、匡の頭は一つの結論に達していた。

 思い出すのは、つい昨日も新作を読破したばかりの、気に入っているジャンルの物語。




「異世界、とか?」




 そう思いはしたものの、そう簡単に受け入れるわけはなく。

 この辺りに出現したのは理由があるのだろうから、ウロウロしていたら戻れたりしないだろうか。

 と考えて周りを歩き回ったり飛び跳ねたり、草木を観察したりしてみるが、再び何かが起こる気配はない。

 変わらず森が広がるのみである。


 遅刻するだろうなぁ。

 と苦笑いを浮かべる。


 ただでさえ時間ギリギリのバスで通っているのだ。


 まあそれも、数時間で戻れたらの話であったが。




 どうしたらいいかわからず、とりあえず森を抜けようと匡は足を踏み出した。幸い、深いところではなかったようで、すぐに木々が途切れる場所が視認できたのだ。

 かっこよさ重視で買ったエンジニアブーツだったが、この日ほどこれを履いていて良かったと思った日はない。

 お陰で足元を然程気にせずに歩くことができた。

 運動靴だったらこうは行かなかっただろう。

 ハイキング中に枝を引っ掛けて破れた運動靴を匡は忘れていない。


 慣れない森歩きで服や鞄を汚し、やっとの事で森を抜けて草むらを歩いていると、どうやらここは丘の上だということがわかった。

 下の方に街らしきものも見えたので、他に目標になりそうなものが見えない以上彼処へ行くしかないと思い、歩き出す。が、急に背後から現れた黒い毛皮の大きなクマに驚いて、腰を抜かしてしまった。


 そのクマは幸か不幸か、すぐには襲ってこないで、じっとこちらを観察している。

 涎を垂らす、その口から漏れる荒い息遣いに、匡は久しく感じたことのない恐怖を感じた。


「ヒグマ……?」


 都会っ子の匡は実物を見たことさえなかったが、それでもわかる。匡の低身長を考慮しても、大きいのだ。

 たちまち冷や汗を流し、その存在感に震え出す。

 逃げなければと手に力を入れて立ち上がろうとするが、力が入らない。いや、力が入りすぎて動かし方を忘れてしまったかのようだった。

 願わくば、このまま居なくなってくれないだろうか。

 そんな願いも虚しく、クマは徐々に迫ってきてその目を光らせる。

 ただのヒグマでも十分に脅威だが、そのクマはなにか違っていた。唸りをあげるその口からは大きな牙が覗き、目は鋭く赤色に光っている。

 そう、たとえば、ゲームのモンスターだと言われたら納得できるような、そういう存在に思えた。

 完全に匡を獲物だと認識しているのだと、気づいてからはもう呼吸さえ満足にできなかった。

 ドキドキと鳴る心臓の音聞きながら、どこかへ行ってくれと必死に願うのみ。

 匡は、スポーツをやっているわけでもない、いつも教室の隅でゲームをやっているような平凡な学生だ。

 当然、続きを考えることも、動くことがもできずに尻餅をついたまま徐々に後退る。

 クマが前足を振り上げる。匡は咄嗟に右手で顔を庇うようにするが、恐怖は強くなるばかりで。


 死んだー。


 そう思った瞬間、右手の甲を鋭い爪が抉った。


「ぐぅッ」


 痛みが襲う。

 しかし、思ったよりも浅い攻撃に驚いて匡はぎゅっと閉じていた瞼を開く。

 目の前のクマは、なにかを警戒するように匡の後ろを見ていた。

 匡の記憶では、後ろの草原は緩い坂になっていて、眼下に街が見えていたはずだ。

 振り返りたい衝動に駆られるが、この状況で目の前の危険から目を逸らすことは出来ない。

 匡は歯を食いしばるが、次の瞬間、その必要は無くなったことに気づく。

 匡の頭上を純白に包まれた小柄な体が飛躍し、その勢いのまま一閃とともにクマの首を刈り取ったのだ。

 次いで、心臓をひと突き。


 匡の顔に、わずかな血液が付着する。

 ハッと気づいて目の前を見ると、既に細剣を鞘に収めた白髪の少年が、興味深そうにその死体を眺めていた。


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