魔法商業都市レルト
しばらくしてシアルが降り立ったのは、何やら賑やかな都の路地裏であった。
通りを覗くと、まだ午前も早いはずだが、既に人々が忙しく動き出している。
シアルは暫くその様子を物珍しそうに眺めていたが、踏み出そうとして、流石に目立つだろうと慌てて着ている服を道行く人々に似せた。
人が多い。殆どが魔法士。
商売が盛んなのか、通りは露店で埋まっていて、進むほど住宅でない建物が増えていく。
賑やかだ。
シアルは初めて目にするそんな光景に、感動を覚えた。
見たことのないものが見えるたびに、目を輝かせる。
そうやってキョロキョロと外側から店を楽しんでいると、荷物を運んでいた青年とぶつかってしまう。
青年は、魔法で運んでいた大きな箱を落としかけて、シアルは慌ててそれを助ける。
青年はすこし驚いたようにシアルを見ると、
「悪い、どうも」
と言った。
「いいえ、こちらこそ」
そして去るのかと思いきや、凄い勢いで振り返る。
「なぁあんた、魔法の扱い上手いみたいだけど、暇ならちょっと手伝ってくれねぇか」
シアルは理解できずに首を傾げた。
「うち人手不足なんだよ。給料も出すし、なんなら、ここの案内とかしてやれるぜ?見たところ初めて来たんだろ?魔法商業都市レルト」
青年は、ニヤッと口の端を歪めて、シアルを見る。
どうやら、ここは魔法商業都市レルトという場所らしい。
シアルは少し考える素振りを見せるが、その実心は決まっていた。これからすることも決まっていない。
それならこの楽しそうな街をもっと見て回りたいと。
「では、案内をぜひお願いします。代わりに、僕の出来ることならお手伝いさせていただきますよ」
青年はフッと息を吐いてノックをする様に右手の甲を差し出す。
「決まりだな。俺はジーダ」
その意図を読み取ったシアルは、その手にコツンと自分の左手の甲をぶつけて答える。
「シアルです」
仕事は、主に届けられた荷物の運搬と、整理、配置だった。
シアルが何食わぬ顔で一度に大量の荷物を移動させていると、化け物かと苦笑いをされた。
「お前まさか魔族か?」
「違いますよ」
それから少し神妙な顔になって、
「…お前って魔族に偏見あるか?」
と問われる。
「いいえ?」
シアルは答えながら首を傾げた。
ジーダは笑う。
「なんでもねぇよ」
その後シアルの手伝いを聞きつけたその商会の主人が見に来て、お前は顔が良いから店番をしろと言い出した。
シアルはジーダと顔を見合わせて、想定以上のスピードで荷運びも終わっているからと、それに従った。
「悪かったな、遅くなっちまって。案内は明日になるな。泊まる場所とか決まってるか?」
店の戸締りをしながら、ジーダが尋ねる。
「ありがとうございます。泊まる場所は…決まってませんが」
別にどこかに泊まる必要もない。
大丈夫だと続けようとしたシアルを遮るようにジーダが顔を寄せてくる。
「ならうちに泊まれ。その辺の宿よかいいぜ」
そして何故かとても自慢気にそう言った。
その言葉は正しかった。
ジーダに連れられて向かったそこには、美しい屋敷があった。
敷地は広く、建物のデザインは洗練されていて、周りは美しい草花で鮮やかに彩られている。
夜間の闇を縫うように、魔法で作られた灯りが玄関までの道を照らしていた。
「これが家…?」
「ああ」
ドッキリに成功した子供のように、ジーダは歯を見せて笑った。
そのまま屋敷に入り、とても大層な客間に通されて、豪華な食事をいただいて広く柔らかいベッドに横になる。
「すごいな…」
所謂、良い家なんだろうなと、シアルはゆっくり本で読んだ記憶を探る。
神界にいたら絶対にできない体験だった。
世界は、いや、世界の外は、案外壮大で、案外に近く暖かい。
次の日は、ジーダに連れられて都市を見て回った。
不思議なものが、見たことのない道具が、知らない装飾の施された衣服が、シアルの興味をそそる。
不意に、宝石が目に止まった。
吸い寄せられるように宝石店に足を踏み入れ、それに気づいたジーダが慌てて追ってくる。
「なんだよ、こういうの好きなのか?」
「ああ…僕じゃなくて、なんというか、同居人が好きでした」
「そうなのか?じゃあ土産にでも買っていったらどうだ、これとかそんなに高くねぇぞ」
ジーダは自由に店内を彷徨い歩いているが、シアルはそれになんと答えるべきか迷う。
「いや……やめておきます。きっと永遠に渡せないでしょうから」
「えっ」
シアルがもう二度と神界に戻らなくても、彼女ならそのうち理由をつけて出てきそうな気がしないでもなかったが、まあまずあり得ないし、そうなったとしても無数の世界の中で会うのは決して容易くない。
もう会えないと考える方が自然だろう。
そのつもりの、別れだったのだ。
「…なんか、悪いな」
「いいえ、こちらこそすみません。暗い話でもないので気にしないでください。きっと僕が選んだら、これじゃないと怒られます」
シアルは、少し気まずそうにしたジーダに、そう言って苦笑いを向けた。
「なんだそりゃ」
ジーダも表情を崩す。
帰り道、なんとなく思ったままに、この街で暮らしたいと言うと、正式に働くか?と問われた。
シアルは目を丸くする。こんな簡単なものだっただろうか。
「俺は優秀は拾い物をしたわけだな」
ジーダは笑う。
人の世界は、出会いの奇跡とは、なんて予測不能で面白いのだろう。
ここで出会ったという事実があるだけなのに、その事実がどんどん未来を彩っていく。
「良い縁に巡り会えました」
シアルも笑った。
それからの日々は忙しく、そして楽しかった。
天使由来の美しい容姿も評判がよく、シアルは順調に周囲と良い関係を築いていった。
シアルが気まぐれで作った装飾品も何の間違いか売れに売れてしまって困ったほどだ。
ジーダとも仲良くなっていった。
そんな日々の、途中だった。
順調に収入を増やすこの商会をよく思わない者いたのだろう。
ジーダが物資を運んできている荷馬車が襲われ、荷物は奪われ、ジーダも金になるからと囚われてしまったのだ。
ジーダの家に、身代金を要求する文書が届いたらしい。
「あいつは、戦いには向かないんだ。頭も良いし性格もあの通りだから商売にはもってこいの人材なんだが…」
商会主は、そのことを伝えた時こう添えた。
つまり、力尽くになってしまえばとても他の人に敵わないから仕方ないとでもいいたいのだろうか。
シアルは、急速に自分の中心に魔力が集まるのを感じていた。
「…場所は?」
「襲ったのは、到着する予定の時間と目撃情報がないことからパラ街道に入る前の森の中辺りだろうと思う。とりあえず傭兵を雇ってあたりを捜索…」
「結構です」
「、なんだと?」
「結構ですと言ったんです。無駄なお金や時間を使う必要はありません」
「お前なにを……は?消え…?」
主が怒りを感じて立ち上がりかけたとき、シアルはその目の前から姿を消した。
性格に言うと、掻き消えるように、その場から飛び立ったのだ。
その場には、一枚の羽がふわりふわりと舞い落ちる。
それが床につくころには、シアルは襲われた馬車の残骸の上空に到達していた。
「…流石にこの付近に留まってはいませんね」
シアルは目を閉じて、その額にゆっくりと中指を当てる。
瞬間、細かな魔力の波が都市全体に波紋する。
シアルはその黄金の瞳をゆっくりと開き、僅かに視線を動かして、迷いなく空を蹴って飛び出した。