一つのはじまり 3
「今ここでなにが起こっているのかも大変興味深いですが、僕はこの世界について詳しく知らないのです。折角ですので教えていただけませんか」
シアルはそう言って、いつからあったのかわからない硝子のような材質の椅子に腰掛けた。
「何なんだよお前!どういうことだ!」
「あ、お茶飲みます?」
「聞いてるのかっ」
シアルの前には、いつのまにか椅子とお揃いの小さな丸テーブルがあり、その手元ではポットから注がれた紅茶が湯気をあげていた。
シアルは一口それを啜ると、パチンと指を鳴らした。
縛られたまま暴れていた男が急に落ち着きを取り戻す。
「貴方たちは魔法族ですね?」
「ああ、そうだ」
「なぜこの村に来たんですか?」
「人族を一人残らず殺すためだ。本格的に人族の国を攻める前に、離れた集落を潰しておくことになっている」
なるほど。やはり魔法士排斥運動の一環か。
この村に女子供しかいなかったことを考えると、今はいつ戦争が起きても仕方ない状況で、男たちは国に集められているのかもしれない。
「今攻め込んできている魔法族は他にどこへ行きましたか?」
「今他に攻め込んでいる部隊はない。この村を制圧した後、夜が明けたら同時に南の三箇所の村を潰しに行く予定だ」
「そうでしたか」
シアルは少し考える素振りを見せてから、先程より少し静かに問いかける。
「貴方はなぜ人を殺したいのですか?」
「決まってる。悪い奴らだからだ」
意外だったのか、シアルの目がやや開く。
「なぜそう思うのです」
「攻めてきて、俺の家族を殺した。仲間を殺したんだ。奴らのせいで、俺は…」
「わかりました」
シアルが目を背けると、男はまた、ドサリと倒れた。
シアルは紅茶を混ぜながら、倒れた魔族を横目で、哀しげに見つめる。
幼いまま、大人になってしまったのだなと感じた。
いや、シアルたち神界の住人からしてみたら、まだまだ幼いのかもしれなかった。
天族、神族ともに成年とされるまでには100年を要する。
しかし、魔法族の寿命は平均500年ほどで、身体の成長が終わるのは僅か20年だ。この青年が20歳か100歳かなどシアルにはわからなかった。
神界の命に価値はない。
希少であればあるほど、その存在の価値は上がっていくが、神界でのそれは決して失われることのないもので常にそこにあることが当たり前の存在である。
だからシアルには、仲間を殺された怒りがどれほどのものか想像のしようがなかった。
どんな結果になっても、自分の身に何があっても取り戻したいと願い、それが叶わぬのなら復讐をしたいと願うことは、理解はしてもやはり不思議に思ったくらいだ。
だがそれでも、冷静に見てわかることはあった。
今日の魔族は、ありし日の人族と同じことをしようとしているということである。当然人族を殺せば、人族の中に魔族に恨みを持つ者が増えるだろう。そしておそらくだが、
また同じことが繰り返される。
「対立の歴史とはよく言ったものですね…」
複数の世界の歴史を簡単にまとめ、その特徴を語っていた書物の一文である。
争いが始まるきっかけになにがあったかは知る由がないが、おそらくそこからずっと絶えることなく続いているのだろう。
それとも魔族は本当に根絶やしにするつもりなのかもしれないが、実力にそう違いはなさそうな両者ではその未来はあまり予想できない。
シアルは少し不満に頬を膨らませて立ち上がった。
「ただでさえ短い寿命なんですから、もっと建設的なことをした方がいいと思うのですが…」
そしてなにより納得がいかなかったのは、魔族を敵視する人族だけを見つめて、そうでない者も一括りにして蔑んでいることだった。
それぞれを別の生物として見ずに、自分の価値観や偏見で全て忌むべきものだと決めつける。
そう、生まれた時の見た目で、その翼の有無だけで、シアルが天使としてあることを否定して追い出したあの天使たちと同じなのである。
憤りを感じて当然であった。
殴られたら殴り返す。
それはまあ良いとしよう。
でも何もしていない者も殴ってきた者と同類と決めつけて殴るのは道理に合わないのだ。
だから、偏見を持って攻め込んでくる魔族が一方的に戦う意思のない者を殺すのだけは止めようという気になった。
「ここはこれでいいとして…。夜が明けたら南側の村、でしたっけ」
そう小さく呟いてから、シアルは飛び立つ。
翌朝、魔族に攻め入られるはずだった村は平和そのもので、肝心の魔族はといえばシアルに捕らえられて街道に投げ捨てられていた。
◇
「さて」
弱い者は私情により守ったシアルだったが、戦士同士の戦いは純粋に興味があったので、開戦しそうな雰囲気を感じ取って、人族が兵を並べ始めた荒野の上空に陣取っていた。
魔法界というだけあって戦うのは魔法士なので、書庫で読んで憧れたような肉弾戦はあまり期待できそうになかったが、この世界の魔法が飛び交うのならそれはそれで見てみたい。
しばらくして攻め込んできた魔法族によって大きな火球が放たれる。それを皮切りに戦争が始まった。
戦争というものは。
砂埃が吹き上がり、千切れた四肢が舞う。土壁が迫り出して、多くの生命を押しつぶす。魔族が爆散し、魔法士が水に飲まれて視界から消えていった。後方では焼死体が多数転がり、最前線では地面から生えた杭に打たれた肉塊が多数。
まさに魔法の殺し合いであった。
それを上空から見下ろすシアルはといえば、
「……これは差し支える」
気持ち悪い。
普通に無理。
と凍りついた表情でそれを見下ろしていた。
シアルは生物の内臓なんてお目にかかったことはないし、人が死ぬのも見たことがない。
天族は死なないし、神族の死は消滅と言ってその実体が光に溶けるように消えるのだ。
そしてシアルは、非常に美意識の高い種族である、天使であった。
そこには、美しいものに囲まれた天界の生活からは想像しようと思っても難しい凄惨な光景が広がっていた。
左手で顔を覆うように押さえながら、右手の指を鳴らす。
途端人族はシアルの前方、魔族はシアルの後方へと強制的に移動させられる。
突然身体を引かれた眼下の生物たちは、何事かと首を捻った。魔法を使おうとしても何故か発動しない。
ともかくも、これで一旦殺し合いは止まった。
それを眺めながら、争いをやめなさいと言いに行くか、この場を離れるか迷ったのち、シアルは後者を選んだ。
ここにいるのは無理。
あまりの衝撃に目を向けていられなくなるシアルだった。
シアルが飛び去った後、人族と魔族はまた殺し合いを続けるのだろう。
行く当てを考えず、ただ空を飛び続ける。
そうしているうちに、もはやまともに飛ぶのにも飽きて、仰向けで波に漂うように浮いていた。
「帰りたいです…」
こうして、神界を離れた天使は初日にして沈鬱な気分に浸るのだった。
◇
この戦争が人族の勝利で終結したのち、シアルが助けた村の間で『神が私たちを救ってくれた』という噂が広まることになるが、シアルには知る由のないことであった。