一つのはじまり 2
シアルは世界間転移の術を得て、神界を飛びたった。
一瞬白んだ視界がパッと開ける。
世界間転移は、本来決められた天使にしか許されない。別の世界の情報を仕入れ、持ち帰るためだ。
しかし、天族を神界から排除する手段はこの移動術以外に無かった。よって、そういう者には神界に二度と戻ってこれないという制限付きで、その行使を許すことにしたのである。
一つの世界への移動を制限されるだけで、他の数多の世界へ自由に行けるのだから、神界にいることに飽きた者にとっては、まさに『羨ましい』事実であるのも確かだった。
しかし、やはり帰る場所がなくなるのは辛い。また、外の世界で生きる方法など神界の者は知らないのだから、この先多少の苦労を強いられることは間違いなかった。
シアルが現れたのは、足元に海が広がる、空の上だった。
空は暗く、星が瞬いている。
一瞬それに見惚れかけて、
「えっ」
落ちている自分に気づき、シアルは慌てて浮遊する。
知ってはいたが、たとえ神界でなくても問題なく力を使えることに少し安堵しつつ、改めて辺りを見回した。
「別の世界…」
神界に夜はない。
真っ黒な空に無数の星が散らばり、それらが暗い水面に映り込んでいる景色は、シアルの目に例えようもなく美しく映った。
ポケットから石を取り出し、夜空に浮かぶ一際大きな星に翳すと、それはキラキラと淡い光を反射した。
シアルの口元が少し緩む。
そしてシアルはスッと夜空を滑るように降りて、一番近くの陸地に着地した。
「近くに生物はいますかね…?」
夜は活動を停止する時間だと文献で読んでいたので、あまり期待せずに歩き出す。
その間、この世界には居ない天使の象徴である翼は目立つだろうと、体の中に仕舞い込んだ。
もともと幻のような身体なので、そういうことは容易い。
砂浜を抜け獣道を歩いていると、前方に魔法の光のようなものが浮いているのが見えた。
気になったシアルは、一歩、普通に歩を進めた後、足を浮かせて光のような速さでそこへ至る。
魔法の一種である神力によって行使する、縮地という移動術である。
近くで見ると、やはり魔法で生み出された灯りのようだ。
細かい装飾の施された柱の周りに、丸く、小さな光の塊が浮いている。
誰かの住処だろうか。
ちなみにこの世界は、神界―最下層世界より一段階上に位置する、中位層の魔法界と呼ばれる世界だと思われる。
世界間転移は、行ったことのない世界へ行こうとすると近いところへランダムで飛ばされ、一度行った世界なら望めば好きなところに移動できるという力だ。
ここで神界で説明されている世界の並びを考えると、
最下層 神界
中位層 魔法界
上位層 融合界
最上層 科学界
となっており、神界に一番近いのは魔法界だということがわかる。
ちなみにこの区分けは、4つの世界が存在しているということを示しているわけではない。
それぞれの層には多くの別の世界が存在しており、その全てを、存在する種族や魔法などの発達具合で大まかに分けていくとこうなるというだけである。
ただ一つ断っておくと、神界だけは一つの世界からなっている。4つの層の位置関係はピラミッド状ではなく、大きな球状だと考えられている。その中心に位置するのが、神界というわけだ。
外へ行くほど広くなり、世界の数も多くなっていく。
先程種族や魔法の発達具合で層が分けられていると言ったが、簡単に言ってしまうと、中心へ行くほど魔法が深く関わる世界になっている。
神界は魔法が恐ろしく発達していて、生活からなにから全てをその力で済ませている。天使がバッサバッサと翼をはためかせて飛ぶのも、『浮遊』で滞空するのも、リスクが石を宝石に変えていたのも全て魔法である。
神界でその力があまり注目されることがないのは、彼らが行使する力がそれ以外にないからだ。
その力を誰もが当たり前に持ち、当たり前に使っている世界では、わざわざ他のものと区別する必要はない。
そして次に魔法が発達しているのが、魔法界。その名の通り、魔法によって成り立っている世界である。存在する種族も魔法士(人族の魔法使い)、魔法族(または魔族)といずれも魔法を使うものばかり。魔法が身近にあることが、当たり前の世界だ。
神界と違うのは、たとえば家を建てるとき、神界の住人は空き地の前に立って建てたい家を想像すると、それがその通りに出てくるが、魔法界の住人は、魔法で木を切り、魔法で加工して木材にして、それを魔法で組み立てて家にする。
つまり、工程を全部端折って無から有を生み出すのが神界の魔法で、一応の技術に基づいてその工程を簡略化するのが魔法界の魔法である。
しかし、同じくらい生活と密接に関わっているのは間違いない。
シアルがさらに進んでいくと、大きな古びた館と、少し離れたところに小さな民家が複数見えてくる。
集落のようだ。
館の前に立つ。
少し迷った後、シアルはその派手に装飾されたドアノッカーを鳴らした。
ジッと待ってみるも、返ってくるのは静寂のみ。
「…?」
よくみると、全ての民家が消灯していて、周りに生物の気配はない。
廃村なのだろうか。
仕方なくドアを開け、勝手に入ってみることにする。
誰もいない屋敷の中をスタスタと歩いていく。やはり誰もいないようだ。
しかしついさっきまでは誰かが生活していたような生活感があった。
そして食料や衣服もあまり見当たらない。
シアルは、他の家も一軒ずつ覗いて歩いた。
いや、正確には浮遊と縮地もある程度使って移動したが。
そして導き出した結論:全員揃って夜逃げした。
それしかないだろう。
でもどうして…
バッ
シアルのすぐ隣を火の玉が駆け抜ける。
反射的に躱したシアルはすぐにそれの撃ち出された方向を見た。
ちなみに避けずともシアルが傷つくことはないが、好んで当たりたくもない。
シアルの視界は暗闇に遮られないため夜でもよく見える。
そこには、武装した魔法族が詰め寄せていた。
「○*(+€(82*(42…」
「G/fy.」
その声に意識を集中させる。
「おい、さっさと探せ!まだ全員近くにいるはずだ」
「「おう!」」
「まだ隠れてるんじゃねぇかー?」
「火を放てー!」
村人を探しているのだろうか。
攻めてきた敵国の兵士…?
いや、全員と言っていた…目的は皆殺しか。
だとしたらここに住んでいたのが悪人だった?
シアルは目を閉じ、後方へグッと指を向ける。
シアルの目に写るのは森の中。少し視点を移動させる。
視界に、逃げる村人が映った。
女…子供…。
その共通点は、
「魔法士ですか」
となるとこうなる理由は一つしか思い浮かばない。
魔法士の排斥だ。
魔力の強い者は弱い者に、弱い者は強い者に嫌悪感を感じるものである。
「あ?なんだお前人族か」
急に近くで声が聞こえたので、シアルは目を開けてそちらをみる。
背の高い、浅黒い肌と黒い髪を持つ魔法族の男だった。
ちょうど良い。この世界について聞けるだろうか。
「あの」
「この村に男はいなかったはずだけど…その白い髪じゃ仕方ねぇか」
薄気味悪く笑いながら、手のひらで黒い球を生成する男。
シアルはそれを少し興味深そうに見つめたあと、消す。
「は?」
白い髪、というのはあれだろう。魔力が強ければ強いほど体が黒くなるとして、色素の薄い者はハズレだとする考え。
まあ間違いではない。
この世界では。
「なんだお前、この、このっ」
何度魔法を放とうとしても、消えてしまう。
男は不測の事態に焦った声を出した。
「このままではまともに話はできそうにありませんね」
「何言ってやがんだよ、おい!」
シアルはさっと手を振って、光を振り撒いた。
それは組み合わさって糸になり、目の前の男に。そしてこの村に攻め込んできた全ての魔族に繋がった。
それを確認すると、シアルは頷く。
「眠れ」
その声を合図に、魔族は一斉に崩れ落ちた。
森で人族を見つけて今まさに攻撃しようとしていた者も、家の中で隠れている子供を見つけてその手を掴んだ者も、興奮して家に火をつけて回っていた者も、シアルを殺そうとしていた者も。
そしてシアルがグッと糸を引くように腕を上げると、倒れた魔族が飛んできて目の前に積み上がった。
「少々雑でしたけど、まあいいでしょう」
シアルは満足げに手を合わせて、背後で燃え盛っていた火を消したあと、膝をついて、失神した魔族の顔を眺めた。
「よし」
先程シアルと話していた魔族を山から引き摺り出して、手足を適当に縛ると意識を覚醒させる。
「…は、は!?えっ」
男は倒れている自分の姿勢に驚き、起き上がって辺りを見回して積み上がった仲間の山に驚き、そして黙ったまま男を見ていたシアルに気づいて、また驚いた。
「今ここでなにが起こっているのかも大変興味深いですが、僕はこの世界について詳しく知らないのです。折角ですので教えていただけませんか」