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11話 謎である

 

 匡が目を覚ましたのは、大分日が傾いた、夕方のことだった。


 少々の騒がしさを感じて、瞼を開ける。

 起きあがろうとして、動かない体に気づく。

 治ったと思ったのは錯覚だったのか?と僅かに首を持ち上げて眺めるが、やはり狼との死闘で負った傷は見えない。

 疲労か。

 起きるのは諦めてまた空を見上げる。

 何が起きたのか…を考えるのは落ち着いてからにしようか。

 人間の騒がしい声と足音は、徐々に近づいてくる。

 少女の知らせを受けて狩人たちがきたのだろう。


 まさか生きて会えるとは思わなかったが、こうなったら後処理はお任せしよう。

 何かを聞かれても答えられない可能性のほうが高いが。

 服は血塗れなのに肌には傷ひとつもないこととか、戦えないはずなのに狼の魔物を倒していることとか、ナナエズ高原でロート草を摘んでいたはずなのにどうしてここにいるのかとか、……

 匡の額を冷や汗が伝う。


 マジでどうしよう。


 自分にもわからないことばかりだが、死に際で傷が治るのはどう考えても普通の人間ではない。絶対に、普通ではない。

 素直に話したとして、ちょっと変わった体質なんだね、で済めばいいがそんなことはありえないだろう。

 自分だってそんな人間にあったら怯えて逃げると思う。


 あれ。これ逃げた方がいいんじゃないか?


 試しに首を切ってみようとかになったらたまったものじゃない。

 よし。俺は狼をある程度引きつけた後走って逃げた。

 そしてその後通りかかった誰かが狼を倒したんだ。

 そうだ、そうしよう。


 そうと決まればこうしてはいられない。

 匡は無理に体を動かし飛び起きて、狼の体に刺さったナイフを力任せに引き抜いた。

 それだけで体の節々が痛み悲鳴をあげそうになる。


 内部の損傷はそのままとか言うなよ!?

 いや生き返れたのは嬉しいが!


 そして構うものかとばかりに全速力で走り出した。


 向かってきているであろう狩人たちと会わないようにかなりの大回りをして、荷物を置いていた川のそばまで向かう。

 かなり無理をして足を動かしたので、激痛しか感じない。


 そうして、なんとか自分が休んでいた川辺を見つける。

 たった数時間前のことだろうに、もう随分前のことのように感じた。

 周りに誰もいないことを確認してから、そっと近づいて、リュックと籠を確認する。

 それは変わらずそこにあった。少しほっとする。


 まず川でナイフを綺麗に洗った。

 次いで顔を洗い、ローブを羽織って、血塗れになってしまった服も脱いで洗おうとする。

 しかしパーカーを脱いだところで、異変は起きた。

 破れていたところが一瞬にして元通り綺麗になり、血や他の汚れも消えていたのである。


「は?」


 裏返してみても、触ってみても異常はない。ただ普通の清潔でほつれのないパーカーがそこにあった。


「……」


 急いでワイシャツも脱ぐ。同じように綺麗になった。

 ワイシャツの中に来ていたTシャツも同様。

 それらを着直してから、ローブを下半身に巻いてスラックスも脱いでみる。


「もう驚かないぞ…」


 匡はほつれも汚れも無くなったスラックスも履き直して、少しの間文句ありげに自分の服を見つめたが、すぐに

 洗わなくて済んだんだからいいじゃないか。と息を吐いた。

 驚くのに疲れたようだった。


 それから少し川縁かわべりに座って体を休めると、ローブをしっかり着込んで、リュックを背負い、籠を抱えて立ち上がった。

 さっきほどの痛みや疲れはもう感じなかった。


 そして依頼の報告をするために、街へと歩き出す。

 ただ花を摘んで帰るだけの簡単な仕事だったはずなのにどうしてこうなったのだろうと、自分の運の悪さに呆れた匡だった。



 そしてまさに死んだと思った時にこの身に起こった謎現象を思い出す。


 ◇


 始めは、ああ、まだ意識があるのか。というどこか傍観者のような認識だった。

 腹部がスカスカする。体が自分の支配を離れてどこかを浮遊しているような不思議な感じ。

 昔に一度、トラックに轢かれた時のことを思い出す。

 狼の牙が自分の腹を割いているのだと気づいて、それでもどこか落ち着いていた。

 当然のことながら指の一本も動かない。

 これはどうあがいても死ぬな…。

 諦めに近い感情を持つ。

 しかし、自分で首突っ込んで狼に食われていたら世話はない。我ながら、かっこ悪い形で死んだものだ。

 生きてさえいれば、いくらでも見栄を張るんだが。

 そんなことを考えて、また目を閉じようとした瞬間。

 心臓の鼓動のような大きな脈打ちを感じた。

 それと同時に起こった、何かが耳元を凄い勢いで通り過ぎたようなぐわっという衝撃波。それで匡に食らい付いていた狼は吹き飛ばされた。

 しかし狼は地面を掻いて踏みとどまっている。


 そして匡は、それを冷静にみていた。

 そっと瞬きをする。

 血で赤く染まっていたはずの視界は明るく開けて、匡の少し近視ぎみの視力までぐっと押し上げられて、世界が遠くまではっきりと映っていた。光に包まれているかのような、不思議な爽快感があった。

 なんだ…。何が起きてる。

 指が動く。体が感じられる。無くなっていた感覚が徐々に戻ってくる。

 小さく息を吸った。肺に空気が行き渡り、酸素が運ばれる。

 早々に感覚を取り戻した右手で地面を押し、ゆっくりと上体を起こした。

 なんの不快感もない。 

 さっきまで言うことを聞かなかった足は踏み出すとしっかり匡の体を支えた。

 ボロボロのはずの体で立ち上がる。


 靴が少しずれている。踵に指をかけ、トントンと鳴らした。

 というか服がこれだけボロボロでも靴は無事だったな。

 さすがエンジニアブーツ。

 とかどうでもいいことを考える。

 一歩、歩いてみても足に問題はないようだ。


 …どうしたことか狼は全く襲ってこない。

 ただ警戒心をむき出しにしてこちらを見ている。

 不意をつかれてはたまらないので、こちらもしっかりと見つめ返す。

 そういえば右肩も噛まれたはずなのに普通に動くような…

 ぐるぐると回してみるが、やはり異常はない。首にあった傷も消えている。

 消えている…?

 急いで、喰われていた腹部に手をやるとそこにはきちんと肉があった。皮膚もあった。触った感じでも痛みやおかしな感じもなかった。

 いよいよ匡は不気味な状況に血の気を引かせた。


 しかし、狼がいつまで待ってくれるともわからない。

 この場で考察に耽るわけにはいかなかった。


 少し振り返ると、さっき飛ばされたナイフが見えた。

 意外と近くに落ちていたものだ。

 背後を警戒しつつ、それを拾いに行く。

 そして案の定飛びかかってきた狼を、


 難なく避けた。


「!?」


 避けた匡がこれでもかというほど目を見開いて驚く。

 避けようと思った脳に応えて、驚くべき速さで体が動いたのだ。

 それだけではない。狼の動きが異様に遅い。

 いや、狼が遅いのではなく、この目に、その動きが細かなところまでしっかり視えているのだ。

 次いで降りかかる攻撃も、その視力を持って躱す。

 今度も、大して運動能力のなかったはずの体がきちんと言うことを聞いた。

 僅かな毛の靡き、筋肉の動き、狼の口の開き、空気の振動。

 目だけではない。全身で相手の状態が感じられる。

 ぐっと狼の牙が迫ってくる。

 さっとしゃがみ込む。その動きが見えているからこその、シンプルな動き。見えてさえいれば、狼の攻撃は割と単調でそれほど脅威でないこともわかってくる。

 無論、それでも弱い奴では相手にはならないが。

 先程とは比べ物にならないスピードで、匡は狼の攻撃を回避していく。

 そして狼が痺れを切らした頃。

 隙を見つけ、匡はナイフを構えた。

 魔物は心臓部を破壊されないと死なない。

 丁度匡の左肩の上で空を噛んだ狼の首へ、躊躇いなく刃を差し込んだ。

 力に任せて押し込み、心臓を目指す。

 明らかに自分のものではないほどの力を感じながら、そのまま前へと突き刺した。

 そして狼は、斃れて、動かなくなった。


 匡は、興奮か疲労か、浅い呼吸を繰り返す。

 二、三度瞬きをしたのち、一気に疲労が襲ってきて、そのまま倒れ込んだ。


 ◇


 謎である。

 当然、今はもうそのとんでも能力バフは無くなっている。

 視界も普通だし、普通に死ぬほど体は重い。


「短時間の覚醒モードですかっての…」


 ありそうだな。

 この世界に来てから、匡の周りの謎は非常に多いが、どうしてか意外と答えは単純な気がしてならないのだ。

 知っている人がそれを訊かれたら、一言で答えられるような。

 それこそ、異世界人だからこうなるんですーみたいな。

 いや、そもそも何故匡はこの世界にきたのかそれさえわかっていないのだからそう言われても謎は残るか。


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