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一つのはじまり

 


「シアル。貴方どうするか決めてるの?」


 よく同じ書庫で本をめくっている、天使の少女が尋ねてきた。大きな白い翼をはためかせ、宙に浮いたまま本の背表紙をなぞっている。

 シアルと呼ばれた白髪の少年はそれに対して顔を上げ、不思議そうに首を傾げる。


「どうするってなんです」


「その後のことよ」


 少女は間髪入れずに答えた。長い淡黄蘗うすきはだの髪がするりとその肩から流れる。


 シアルは少し間を開けてから、俯いて本に視線を戻した。

 その背中には、左側にだけ少女と同じ翼があった。


「決めておりません。予め何を定めても、なんの意味も持たないでしょうから」


「そう」


 少女はその答えを聞いて、くるりと宙を泳いだ。

 その羽がキラキラとした光を降らす。


「…上位界はまだ謎だらけだわ」


「そうですね」


 少女はチラリとシアルに目をやってから、音を立てずに着地した。

 その身に纏っていた薄く、真っ白のエンパイアラインのドレスに近い衣装が、一瞬フワッと広がる。


「私は宿りに戻って幻晶の細工をするわ」


「差し支えありません」


 次の瞬間、少女のいた場には一枚の羽だけが残った。

 シアルは本を閉じる。

 美しい白い髪は、複数の光を反射しながらサラサラとその頬を滑る。

 少し伏せた睫毛も白く輝いて、陶器のような白い肌に僅かの影と光をおとした。

 シアルはその白髪を右手で触りながら、今までの出来事を思い出していた。



 シアルはこの神界に天使として生を受けた。


 神界には二つの種族が暮らしており、神族と天族といった。

 神族は人神族と獣神族からなり、どちらも極めて人間や獣に姿が似ているという特徴があり、不老長寿であった。

 天族は天使と天人からなり、どちらも人型で明確な肉体をもたないため寿命がなく、天使はその背中に大きな翼を持っていた。


 誕生したその時のシアルの体は本来の天使からは程遠い、欠陥のある状態だった。具体的に言うと、身体の半分ほどが、くすんだ消炭色に染まっていた。天使の輝かしい雰囲気からかけ離れたその容姿は、大変嫌な目で見られた。そして一番の問題は、その背中に小さな翼が一つしかなかったことである。

 その誕生を見ていた老年の天使は、シアルがたしかに天使であることを確認したのち、名を与え、他の天使の目につかない場所で、隠れて暮らすことを言い渡した。そして今後改善されなければ、何かしらの処分が下るだろう、と言い添える。

 天使とは非常に美意識の高い生物であった。自分たちと同じ種族に、一片の汚れがあることも認めない。

 恐れられ、嫌われながらもシアルはその足を動かし、生きる場所を探した。

 さいわいにして、もともとこの種族は助け合いを必要としないもので、生まれた瞬間からなんでも一人でこなすことができた。

 そうして10年ほど日陰で暮らし続けて、シアルの体は段々と美しい白に染まっていった。

 少し生まれるのが早く、身体が未完成だっただけだったのだと、シアルは日々自分を見つめて思った。


 そんなとき出会ったのがリスクという少女だった。

 彼女はシアルを見るなり、

「まるでゴールドスフェーンだわ」と言った。

 リスクに連れられて彼女の宿り場へ行き、彼女の趣味を知った。神界にある幻晶という鉱物を使って、まだ見ぬ宝石を作っているのだ。

 変わった天使だと思った。天使は欲が少なく、趣味に没頭することは珍しい。

 リスクは別の世界の宝石を片っ端から真似して石を加工し、それを使ってアクセサリーや置物をつくることを生きがいにしているようだった。

 そしてこの時は、最上位界にある地球という星の技術にご執心で、その美しい宝石を再現することに励んでいた。

「スフェーンに惚れたの。でもなにか違うような気がして。私の想像力が足りないのね。世界を超えるのは容易くないわ」

 リスクが差し出した宝石は、黄金に輝いていた。そして、ゆっくりと揺らすと、光を受けてさまざまな色を放つ。

 素直に綺麗だと感じた。

「僕がスフェーンみたいというのはどういうことですか」

 シアルは石から目線をあげて尋ねる。

 リスクはシアルの顔を見て、その瞳を指した。

「ゴールドスフェーンの瞳よ」


 それから、シアルはリスクと宿りを同じくして暮らすようになった。

 リスクはシアルの翼について一度も言及しなかった。

 リスクから、近くにある高い塔の書庫には上位世界の情報が詰まっていると聞き、シアルは度々そこへ通った。

 この神界の遥か上、ここにはいない生物が暮らし、根本からつくりが違う別世界。

 それらの文献は、興味深く、シアルを退屈させなかった。

 50年もして、シアルの身体は他の天使と遜色ない美しさになっていた。

 リスクはぼーっと読書に耽るシアルの髪をすいて、

「ホワイトオパールを糸にしたみたいだわ」と言った。

 それが美しいのかはよくわからなかった。

 ただたしかにこの数年で、シアルの髪は実に美しい純白になっていた。その一本一本が、光を受けてキラキラと数多の色に輝いた。

 それでも、背中の翼はずっと片翼のままだった。左の翼は大きく、美しくなっていくのに、もう片方は生える気配もない。


 70年ほど生きたある日、片翼のものへという宛名書きで、成年に達するのを待って神界を追放する旨を伝える文書が届いた。

 特に何も思わなかった。

 100歳に達する数年前、シアルはリスクにそれを伝えた。

「羨ましいわね」

 それがリスクの反応だった。

 天使は死なないため、神界から消される(イコール)追放だ。

 神界への道を封鎖した世界間転移の力を得て、この世界から姿を消す。

「この世界を出られたら、きっと本物のダイヤモンドもスフェーンも見られるんでしょう」

 本当に嫉妬するように言った。

 シアルはそのゴールドスフェーンの瞳を揺らしてリスクを見つめていた。

「貴方が宝石の素晴らしさに気づくのが楽しみだわ」

 もう会えることはないはずなのに、何故かそんな感じのしない言葉だった。


 そして、その日は明日に迫った。

 シアルは、いつものように書庫で読書をし、たまに宝石の資料を探しに飛んでくるリスクを目の端におさめながら、明日にはここにいないのだということを実感せずにいた。

 背中の翼は未だ片方のみ。

 もうなんとも思わないが、たしかに自分は他の天使とは違うのだろうと理解していた。


 シアルは本を置いて立ち上がる。

 そしてリスクとの宿りに歩き出した。

 シアルにも浮遊はできるが、その翼を羽ばたかせることができないのでなんとなくいつも、歩いていた。


 神界は自由な場所だ。

 組織もなく、法もなく、家族もなく、お金もない。

 自由気ままに、思ったまま動き、好きなものをつくり、壊す。好きな場所を歩き、惹かれるままに風景を眺めて、あきたらまた歩く。それにもあきたら飛び回って新しい場所を探すのだ。

 とくに天族は実際の体を持たないので、清潔に気を使う必要も、食事や排泄の必要もなく、ただのんびりと自分の世界に漂っている。

 自分のことは自分でやり、基本的には好き勝手行動する種族だが、一応他人の迷惑は考えていて、自分にしか影響のない範囲で好きに生きているのだ。

 だから誰かと関わったあとの行動や、なにかに影響を及ぼしそうなことはきちんとそれを言葉にして伝える。

 そして言われた方は大丈夫ならば『差し支えない』との返事を返す。

 そうやってできている。


 ◇


 いつものように宿りでリスクに観察されながらぼーっと明るい空を見上げる。


「もうすぐ今日が終わるでしょうか?」


「そうね、そろそろだと思うわ」


 リスクは、自分の作ったホワイトオパールとゴールドスフェーンを再現した石と、シアルとを見比べながら答えた。


「できたわよ。

 オパールの遊色効果は今までで一番上手くいったわ。スフェーンの出来はやっぱり納得いかないけど、最初よりは幾分かマシね」


「ありがとうございます」


 箱に入れられた二つの宝石をその瞳に写す。

 シアルは、神界に住んでいた一応のお土産として、リスクにこの二つの宝石作りを頼んだ。

 いつか、地球にも行けたとしたら、実物と見比べられるのではないかという思惑もあった。


 フッと風が通り、シアルの視線の前に一枚の紙が浮かぶ。


 時間だ。


 シアルは持っていた箱をポケットにしまって大窓に足をかけると、振り返って、リスクの顔を見た。

 何十年と見飽きた、美しく、淡い黄色に包まれたような少女。


 その彼女にシアルが見せたのは、彼が生まれて初めて浮かべる笑顔だった。


「行ってまいります」


 リスクはその吸い込まれそうな瞳に一瞬言葉を失って、それから笑みをこぼして腕を組んだ。


「差し支えないわ」


 次の瞬間、もうそこにシアルはいなかった。

 数枚の白い羽がゆっくりと床に落ちる。



 それはそこにいた少年の髪のように、白く輝いていた。



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