第五十二話 予定外と気になる彼女
すでに日が落ち、空には優しく輝く三日月が浮かんでいる。
窓から入ってくる風は少し肌寒く、それがかえって心地よく感じられる夜だった。
そんな風に吹かれながら、一人の魔女が自室の机に向かい、ゆらゆらと揺れるランプの光に照らされながら何かを組み立てていた。
机の上には、小さな金属部品の数々、透き通ったさまざまな色の鉱石、そしてガラス瓶に詰められた、キラキラと黄金に輝く液体――どれも見ただけでは用途の分からない代物ばかりだ。
それらをつまんだり、砕いたり、ときには手に持って転がしたりと、様々な工程を経ながら、黒い器の中へと一つ一つ収めていく。
カチャリ、カチャリ、カチャリ。
何かが組み上がっていく音が部屋に響く。
カチ、カチ、カチ。
黙々と取り付けられていく小さな部品。
そして時折、魔女がぼそっと呟くたびに、触れていた機械部品がうっすらと発光した。
カチャリ、カチャリ、カチャリ――
そうして器の中に細かな部品をすべて設置し終えると、魔女は同じ形をした金属の蓋をかぶせ、再び何かを呟く。
今度は器の表面に幾何学模様が浮かび上がり、それが全体に行き渡るように強く発光し――そして、ゆっくりとその輝きを失っていった。
「まあ、とりあえず一旦はこんなものかしら」
そう独り言をつぶやきながら、魔女アピロは組み立てた黒い道具をゆっくりと撫でた。
ちょうど一息ついたその時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「アピロさん、いらっしゃいますか?」
聞こえてきたのは、この屋敷に共に住んでいる少年、トラファムの声だった。
「いるわよ。入ってらっしゃい」
「はい、失礼します」
扉を開けて現れたのは、自称“この屋敷の私用人”である少年、トラファム。
使用人とは思ったことはないが、彼がそう名乗りたがっているので好きにさせている。
まあ、“使用人”を名乗るわりには、家事の手際が特別いいわけでもないのだが。
「どうしたの? 何か用かしら?」
「はい、報告することがありまして。夕方頃、屋敷に帰ってきたときに外出からお戻りになっていたようだったので、一応お声がけしたのですが、その時は反応がなかったので」
「あら、そうなの。ちょうど作業に没頭していた頃だったかしら、ごめんなさい。それで、要件は?」
「実はエーナさんのことで報告がありまして」
「エーナの……屋敷には姿が見えないわね。何かあったの?」
「実は、エーナさんですが本日、魔法学園の方にいまして……」
「学園ですって?」
「はい、アピロさんから出された宿題の件で……」
トラファムは今日の出来事をすべてアピロに報告した。
アピロの知人であるライハスのもとを訪ねたこと。
ライハスから頼まれて学園を訪れたこと。
そして――
「それで学園で一日過ごす……ねぇ」
アピロは大きくため息をついた。
外に出るくらいは予想していたが、まさかこんなに早く学園に向かうとは思っていなかった。
(少し……いやちょっとだけまずいかしらね)
学園にはいずれ通わせるつもりだった。
そのための準備も進めている。
だが、まだ早い――それは魔法の知識の問題ではなく、精神的、あるいは人格的といった方がいいだろうか。
ここ最近は安定してきてはいるが、今でも時折、ある要因によって錯乱状態に陥ることがある。
そして、その“要因”は――
「あそこには、いろいろとあるものねぇ……」
「え?」
「トラファム、私、少し出かけてくるわね」
「この時間からですか?」
「ええ。帰りがいつになるかわからないから、夕食は先に済ませてちょうだい」
「……そうですか、わかりました」
トラファムは少し残念そうに答えた。
その様子を見てアピロはふっと笑みを浮かべ、彼の頭を軽く撫でる。
「いろいろと用事が済んだら、そのうち一緒に美味しい物でも食べに行きましょう」
「……約束ですよ」
トラファムの返事を背に、アピロは足早に屋敷を出た。
玄関の扉を開け、夜空を見上げる。
視界に広がるのは、キラキラと輝く満天の星空。
天候は快晴。
これなら“あちら側”からではなく、外から向かったほうが早いかもしれない。
そう思い、あの子を呼ぼうとした――その時だった。
「おや、こんな夜更けにお出かけかな?」
不意に聞こえてきた声に、アピロは咄嗟に身構える。
声の方へ目を向けると、森の木々の間から誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。
やがてその影は月明かりに照らされ、姿があらわになる。
「朝から出かけていたというのに、こんな夜更けにも……とは、忙しいね」
森から現れたその人影――ライハス・ルシュフルは、気さくな様子で声をかけてきた。
「ライハス……どうしてあなたがこんなところに?」
「何、夜の散歩ついでさ。ふと、久しぶりに旧友の顔でも見ようかと思ってね」
「あら、そう。それにしてはタイミングが良すぎる気がするわね。昔話をしたいのなら、また今度にしてほしいのだけど」
「まあそう言うなよ。最近はすっかり話し相手もいなくてね。少しくらい付き合ってくれよ……それとも、学園に向かった弟子のほうが気がかりかな?」
その瞬間だった。
言葉と同時に、ライハスの首元に白く光る刃が突きつけられる。
「物騒だね、アピロ。それ、しまってくれないかな」
「もしかして、とは思っていたけど……あなた、あの子をわざと学園へ送ったの?」
「なんのことだい。僕はただ、可愛い姪に手紙を届けてくれと頼んだだけさ」
「とぼけないで。あなた、気づいてるんでしょう? あの子が“誰”なのか」
「なるほど。その反応からすると……やはり、あの子がそうなんだね。エーナが、彼女の――!」
ライハスは高らかに笑い始めた。
その笑い声は歪で、歓喜と同時に狂気すら滲ませている。
「楽しそうで何よりだけれど、あなたも彼女のこと、覚えていないのでしょう?
それで、よくそこまで執着できるものね」
「記憶にはなくとも、心が、体が覚えているさ。アピロ、君だってそうだろう? そうでもなければ、わざわざ弟子になんて取らないだろう」
その言葉に、アピロはライハスを強く睨みつける。
ライハスは臆することなく、不敵な笑みを返す。
しばらくの間、夜の静寂がふたりの間を包む。
やがて、アピロはあきれたように大きくため息をつき、刃を下ろした。
「まあいいわ。あなたも私と同じく、彼女について何か“感じて”いるってことね」
「その通り。理解してくれて何よりだよ」
「一応聞いておくけど……彼女について、具体的な記憶は残ってるの?」
「記憶ね……正直、それについてはさっぱりだよ。思い出せるのは、彼女の面影と、わずかな声ややり取り、そして――彼女に対する熱い情熱、かな?」
「そう……まあ、だいたい私や他の人たちと同じね」
「なんだ、君も覚えてないのか。てっきり、君だけは記憶していると思っていたが」
「それだけ彼女が払った代償は大きかった、ってことなんでしょうね」
「禁忌の原初魔法……やはり、ただの人間が使っていいものではなかったということか」
「使える人間自体、稀だけれどね」
アピロは刃を手で払うような仕草で消し、屋敷へと踵を返す。
「おや、学園に向かうのではなかったのかい?」
「そうね。向かおうとは思っていたけれど、あなたとのやり取りで疲れちゃったわ。行くのは明日にしましょう」
「いいのかい? さっきまで心配してすぐにでも向かおうとしていたのに」
「過保護すぎるのも、教育には良くないものよ。……ちなみに、あなたが何を狙って彼女を学園に送ったのかは知らないけれど、たとえあの子が“古巣”に帰ったとしても、過去を思い出すことなんてありえないわよ」
アピロは忠告するようにそう言い残し、屋敷の中へと入っていった。
大きな音を立てて閉まった扉を背に、ライハスは苦虫を噛み潰したような顔を浮かべながら、森の奥へと姿を消していくのだった。




