むかつく
「で? もっかい聞くけど、ほんとに何も候補はないわけ?」
ショッピングビルの入り口をくぐりながら、奈留が尋ねてくる。
「うーん……」
「じゃあ服は? 身につけるものとか」
「いや、それはやめたほうがいいんじゃ……」
「何で?」
「だって、好き嫌いあるだろ」
「そんなの服じゃなくてもあるでしょ」
「気に入らなかったら着てもらえないかもしれないし」
「ふーん、着てもらえなかったことあるんだ」
「う……ん」
容赦ないつっこみに声が詰まった。
正しくは着てもらえなかったのではなく、着けてもらえなかったのだけど。
「何あげたの?」
「ネックレス」
「うわー、定番。彼女?」
「高校の時の……」
「事前に欲しいもの聞かなかったの?」
「うん……」
でも、お金がない高校生なりに奮発したのだ。そういう店に男一人で入るのは恥ずかしかったけど、勇気を出して行ったのに。
「渡した時の反応は?」
「一応、喜んでるようには見えたけど」
「一応ね」
「…………」
「聞いてみた? 何で着けないのって」
「うん」
「で?」
「……もったいなくて使えないって」
「はいきたー」
完全に予想してましたと言わんばかりの反応だった。
「でもそう言ってくれるってことは、彼女優しい子だったんだね。あたしだったらもらった時点で『却下』って言ってるけど」
やっぱりそうなのか。ぐうの音も出ない。
「ってかさあ、失敗したくないんなら、直接聞けばいいじゃん、欲しいもの」
「それはちょっと……」
「何で?」
「驚かせたいとか? 恥ずかしいとか?」
「…………」
「めんどくさ」
ばっさりやられる。じゃあさ、と奈留が口調を変えた。
「趣味とかないの? 旅行が好きとか、ガーデニングが好きとか、読書が好きとか」
「…………」
「スポーツが好きとか、絵を書くのが好きとか、お菓子作りが得意とか?」
「…………」
答えられずにいると、少し前を歩いていた奈留がくるりと振り返った。きれいな額の下で、眉間に若干の皺が寄っていた。気圧されて、答える。
「……色は、水色が好きだったと思う」
「は? 一体今まで母親の何見てたの? 好きな色しかわかんないってどんだけ?」
「すいません……」
「まあいいや。男子ってほんとそういう人多いよね」
「そう?」
「そうだよ。使うのはお前じゃないっつーのに、自分はこっちのほうがいいと思ったとか、さんざん匂わせてやってんのに見当違いのもの持ってきたりとか、一度好きって言ったら馬鹿の一つ覚えみたいにそればっかりとか。その流行あたしの中でもうとっくに過ぎてんだけどー、みたいな。相手をほんとに見てないのか、見てても贈り物にするとなるとどう形にすればいいのかわからないのかは人によって違うと思うけど」
「よく噛まないね」
「昔おじいちゃんにアナウンサーになればいいって言われたことがある。っていうか今そこ関係ある?」
もはや内容は耳が痛くて別のことを指摘すると、速攻で切り返された。返事の速さからして、きっと頭の回転も速いのだろう。確かにアナウンサーは向いているかもしれない。見た目も可愛いし。ただ毒舌なのはちょっと……とか考えていると、話題を変えてきた。
「写真ないの?」
「え?」
「写真。お母さんの」
言われて、ポケットに入れていたスマホを取り出して操作した。
「あったかな……いや、たぶんないんじゃないかな……………………あ、あった」
親子三人が映っている写真だ。真ん中は自分じゃなくて妹だけど。
「これ、最近?」
「一年くらい前かな」
「綺麗じゃん。いや、どっちかっていうと可愛い系かな」
「そうかな」
「うん。このお母さんなら、何でも着こなせそう。……やっぱ服。服にしよう。あ、でもサイズわかる?」
「……たぶん標準的だとは思うけど」
表示させていた写真を消してスマホをポケットに戻す。奈留が何度目になるかわからない呆れた視線を寄越してきた。
「あのさあ、プレゼント選びに来たならそのぐらい事前に調べときなよ。っていうか調べなくてもSMLの三種類ならどれかわかるでしょ、普通」
「だって、服は買うつもりなかったし」
「はいはいわかりました。じゃあサイズ関係ないもののほうが安全かぁ……ベルトとかストールとかにする?」
「身につけるものってのは、もう決定なの?」
「だってとりあえずジャンル絞らないとさー、選びようがないじゃん」
そこまで言われたらこちらとしても反論できない。それに服に及び腰だからといって、他にこれがいいと言える物も思いつかない。結局奈留に押し切られる形で、二人は女性服のフロアに移動した。
「これとかどう? きれいじゃない?」
奈留が手にしたのは薄いクリーム色にピンクや赤が散りばめられたスカーフだった。つまんで広げてみると、ピンクと赤は花びらのようだった。所々にかすかな金糸が散りばめられている。確かに見る分にはきれいだが、自分じゃまず手に取らないデザインだ。
「派手じゃない?」
「そう? 可愛いじゃん。あ、こっちのカーディガンは? カーディガンなら多少サイズが違っても肩にかけるだけとか着方がかっちりしてないから、いけるかも」
奈留が引っ張り出したのは、パステルグリーンに華奢な金のボタンがついた薄手のカーディガンだった。
「色味もおとなしめ。でもこのボタンの感じが若干若めかなー。あ、でもUVカット。九十パーセントだって」
指数を示されたタグを見つけて言う。
「そんなに大事かなぁ」
「大事でしょ。あんな可愛いお母さんが二十年後にしわくちゃのシミだらけになっててもいいの?」
「それはまあ、あんまりよくないけど……」
なるべくなら綺麗でいてくれたほうがいい。
「これは?」
奈留に任せきりはだめだと思い、とりあえず目についた向かいの棚からデザインの違うカーディガンを指差す。袖も七分丈でこれからの季節しばらく着れそうだ。
「えー、それはないでしょ」
「でも水色だし……」
「好きな色だったら何でもいいと思ってんの?」
痛いところをつかれる。でもそれしか選ぶ頼りがないのだからしょうがないじゃないか。
「何がだめなの?」
「手触り」
「触ってないよね?」
「見た目でわかるよ。何かちくちくしてそうだもん。こっち触ってみなよ」
さっき手に取っていたパステルグリーンのカーディガンをハンガーごと差し出される。確かにすべすべしていて軽い。肌を撫でてすとんと落ちていく。それに対して、水色のカーディガンはちくちくとまではいかないが、手触りの点でいえば若干落ちるのは確かだった。これだから異性へのプレゼントは難しい。
しばらくいくつかの店を見て回り、あれはこれはと薦められ、自分もいくつか手に取っては戻し、たぶん同じフロアの六軒目くらいの店だった。
白いシャツを着ていたマネキンが着けていたストールが目に入り、自然に手が伸びた。山吹色の単色でごくシンプルなデザインだったが、その色がとても綺麗だった。
「あ、それいいじゃん」
背後から覗き込んだ奈留に、慌ててストールを触っていた手を引く。これまでに散々だめだしをくらっていたので、ちょっと臆病になっていた。
「でも、別に好きな色でもないし」
「だから色だけにこだわりゃいーってもんじゃないの。水色好きな人が、上から下まで毎日毎日水色の服着るの?」
「……着ません」
「でしょ? それにその色なら水色のシャツとかにも映えるじゃん。優しい色だからうるさくならないだろうし」
「そう?」
「うん」
奈留はしっかりと頷いた。
「ほんとに?」
「自信ないなぁ」
「これまでに散々だめだししたのはそっちでしょ」
「だって、ほんとにだめなんだもん」
容赦がない。
奈留は商品についているタグで素材をチェックする。
「でもこれは、いいんじゃない?」
タグを離した奈留が、肯定的な言葉を口にする。
「いいかな?」
「いいって言ってるじゃん」
それにさ、と奈留がストールを着けたマネキンを眺めながら言う。
「結局はさ、贈ってあげたって事実が大事なんだよ。まあ友達とか恋人ならそうはいかないかもしれないけど、大抵の親なら、それだけで十分わかってくれるんじゃないの?」
――そうかもしれない。
色々悩んだところで、ものはものだ。そりゃあ気に入ってくれるほうがいいけど、たとえ気に入らなくても、「自分のためにプレゼントを用意してくれた」という事実は、何がしか相手に伝わるものがあるはずだ。そう期待したい。
「……これにする」
ようやく決めると、奈留がうんと頷いた。
山吹色のストールを持ってレジに並び、包装を頼んだ。「母の日用ですか?」と聞かれたから、「そうです」と答えた。祝日最終日、自分と同じように駆け込みで買いに来た人も多いのだろう。順番待ちの札を渡されたが、五分ほどで呼び出され、笑顔の店員からピンク色の紙袋を受け取った。母の日の特別仕様の袋らしい。
奈留はといえば、雑貨屋のフロアに戻りUVカットコーナーに立つと、即断で九十五パーセントのアームカバーを手に取った。理由は「やっぱ、お母さんには花音よりポートックスだと思う」らしい。それも包装してもらい、満足気に袋を提げた彼女とエスカレーターに向かった。
「喜んでくれるといいね」
「うん。そっちもね」
言うと、奈留が歳相応の笑顔を見せた。その笑顔を見て、プレゼントを受け取った彼女の母親は、きっと喜ぶだろうと思った。
「じゃあ買い物も終わったことだし、あたしは帰るけど、そっちは?」
「帰るよ」
「駅?」
「うん」
「じゃあついでだし、一緒に行きますか」
特に異存はなかった。奈留は、今日出会ったとは思えないほど、一緒にいるのが苦痛じゃなかった。いつの間にかすっと、懐に入ってきた感じ。
ショッピングビルを出て、駅に向かって歩く。
「あ、おいしそー。ねえ見て」
ちょうどショッピング街と駅の中間くらいのところでシャツの裾を引かれて、足を止める。
小さなジェラートのお店だった。中にも入れるようだが、道に面した窓からも販売していて、店の前のベンチや、目の前の公園でも食べている人がいる。結構繁盛しているようだ。
「おいしそうじゃない?」
「それ、買ってってこと?」
横目で奈留を見ると、奈留は白い歯を見せた。
「あ、わかった?」
「奈留ちゃんて結構、図々しいよね」
「おねだり上手って言って」
「はいはい……」
何だか妹に懐かれたみたいで邪険にできない。実の妹はこんなに態度がでかくないけど。
見れば一つ四百円だ。これくらいならまあいいだろう。
ミックスベリーとチョコレートのジェラートを買って、ベリーのほうを奈留に渡す。天気がいいので中ではなく店のそばに置かれたベンチで食べることにした。先に奈留が座ったベンチに紙袋を置き、隣に腰を下ろした。
奈留は「一口ちょうだい」と言うや否や、返事も聞かずに蒼維が持つチョコレート味を掬っていったが、蒼維は奈留のミックスベリー味に手を出すことはなく、彼女も「いる?」とは聞いてこなかった。
二人並んでカップのジェラートをつつきながら、通りを歩く人や向かいの公園で遊ぶ親子連れを眺める。のんびりとした時間に浸りながら、これで隣にいるのが彼女だったら完璧な休日だなと思った。ただ、これはこれで悪くない。
ジェラートを食べ終え、再び駅に向かって歩き出す。歩く先に駅が見えてきた頃、信号待ちをしていると、奈留が「あれ?」と声をあげた。
「何?」
「プレゼントは?」
「え?」
尋ねられて、自分を見下ろした。両手は、何も持っていない。
「あ」
すぐに思い出した。さっきまで座っていたベンチだ。ジェラートの店の前の。
「取ってくる」
慌てて踵を返すと、後ろから「ドジ」と奈留のからかう声が聞こえた。
しかし走って戻ると、ベンチには中学生らしき女の子三人組が座っていて、彼女たちのそばに自分が忘れた紙袋はなかった。周りを見回したが、地面に落ちてもいない。
しかたなく、ベンチに座っている三人組に話しかけた。
「ねえ、ちょっと聞くけど、ここに紙袋置いてなかった? ピンクの、包装したプレゼントが入ってるやつ」
「えー、見てないですけど」
「そっか……」
三人組は何がおかしいのかクスクス笑っている。まああれだ、箸が転げても笑える年頃なのだから、忘れ物を取りに来た情けない男にはそりゃ笑うだろう。
一応店の店員にも聞いてみたが、蒼維の顔は覚えていたものの、ベンチに置き忘れた紙袋には気付かなかったと言い、届けられてもいないと教えてくれた。
「今いる彼女たちの前に、誰か座ってたとか……」
少し困った顔をした店員は、窓から半身を乗り出してベンチのほうを見たが、すぐに戻って首を傾げた。
「さあ……ここからあそこのベンチは体を乗り出さないと見えないですし、店の前はこのとおり、人通りもそれなりにありますから。すいません……」
「いえ……」
店員が悪いわけじゃない。置き忘れた自分が悪いのだ。
ちょうど新しいお客さんが来たので、礼を言って店の前を離れた。しかし戻るに戻れず、途方に暮れる。こんな短い間で、一体どこに消えたというのか。
「どうしたの?」
声をかけられて振り返ると、立っていたのは奈留だった。わざわざ戻ってきたらしい。
「あ、ごめん。帰っててもよかったのに」
「ならそう言ってよ。遅いから戻ってきちゃったじゃん」
「ごめん」
「で、どうしたの?」
「なくなってるんだ」
「え?」
「プレゼントの袋。ないんだよ」
奈留もさっきまで自分たちが座っていたベンチを見た。さっきの三人組はまだジェラートを食べながらおしゃべりしている。
「何で? どこやったの?」
「食べる時には、横に置いて食べてたはずなんだけど」
「ならあそこにあるはずでしょ」
「でもない」
「ほんとに置いてた?」
「うん」
それは確かに記憶がある。ジェラートを買って、奈留に一つを渡して、自分は右手首にかかっていた袋をベンチに置き、奈留の横に腰を下ろした。
「置き引き?」
「どうかな」
「あの子達に聞いた?」
「聞いた。店の人にも聞いたけど、知らないって」
奈留はしばらく黙っていた。店を見、ベンチを見、駅のほうを見て、口を開いた。
「探そう」
「え?」
「とりあえずそのへんに落ちてるかもしれないじゃん。まず探して、それでもなかったら、また考えよう」
「でも」
落ちるといっても、範囲には限度があるだろう。袋に足が生えたわけでもあるまいし。
「とりあえず、ベンチの周りにはなかったし、落ちたっていうのは無理があるんじゃ……」
「じゃあ、盗られたってことになるけど」
あっさりと奈留が口にした可能性に、疑問を抱く。
「でも……あんなの盗ってく?」
「人のもの盗ってく時点で頭おかしいんだから、そんなの知らないよ」
「もしかしたら、交番に届けてくれてるのかも」
「じゃあ交番に聞きに行こうよ。でも、あんな忘れたらすぐに気付きそうなもの、普通すぐそこの店に預けとけば持ち主が戻ってくると思わない?」
確かに一理ある。
自分が気付いたとしても、ベンチの端のほうに避けて置いておくか、やはりそばの店に「誰かの忘れ物じゃないですか」と届けるくらいだろう。
「たった今でしょ。子供か猫が持ってったんならそのへんに落ちてるだろうし、盗られたんならそいつがまだ近くにいるかもしんないじゃん。とりあず探そ」
猫が持ってくことはないだろ、と蒼維が内心でつっこみをしていると、奈留はさっさと踵を返した。慌てて後を追う。自分のものじゃないのに奈留が動くのだから、蒼維が行かないわけにはいかない。
店の前と公園、そして駅までの道のりを、地面と人の手荷物に注意しながら歩き、一応途中あった交番にも寄ってみた。が、落とし物の届けはなく、また店のベンチまで戻って再度周囲を確認したが見つからなかった。同じ店の紙袋を持った人は一人見かけたが、サイズが全然違った。
「もういいよ。明日また電話で、落とし物の届けがなかったか聞いてみるし、それでなかったら、また同じの買うから」
再びジェラートの店から駅に向かいながら、前を歩く奈留に話しかける。
可能性としてはかなり低いだろうが、もしかしたら見つけた誰かが袋のロゴを見て買った店まで届けてくれているかもしれないし、生活に困ったホームレスが罪悪感を持ちながら失敬したのかもしれないし、野良犬がくわえて持ってったのかもしれないし、通りかかった人が神様からの贈り物だと思って持って帰ったのかもしれないし。正直精神的にも財布的にも痛手だが、そう思っていたほうが、多少気持ちは穏やかでいられる。
「あ……」
足を止めた奈留の声に視線を上げた。
「何?」
「あれ……」
奈留の顔は斜め前方を向いている。その視線の先にあるものを確かめる前に、無言になった奈留が再び歩き出した。
たどり着いた先は、喫煙所のそばにあるゴミ箱だった。燃えるゴミ、燃えないゴミ、ペットボトルと、街角によくあるタイプのゴミ箱。全体がアルミっぽい銀色で覆われているが、前面が一部半透明になっていて中身が見えるようになっている。そこに、薄いピンク色がぼんやりと見えた。
まさか。
奈留は、シャツの裾を捲くると、躊躇うことなくゴミ箱に手を突っ込んだ。
「奈留ちゃん」
慌てて止めたが、奈留はすでに肩までゴミ箱に突っ込んでいた。通りを歩く人や喫煙所で煙草をふかしている男性がちらちらと視線を投げてくる。
そんなことはお構いなしにごそごそとゴミの中を探った奈留が引き出したのは、悲しいことに、見覚えのあるピンクの紙袋だった。中身を出すと、サイズ的にも重さ的にも間違いない。同じ色のラッピングに、母の日のシールが貼られたプレゼント。蒼維が買ったものだった。
二人して奈留の手にあるプレゼントを黙って見下ろしていると、ぽつりと彼女が言った。
「むかつく」
「え?」
「むかつかないの?」
そう聞かれて、自分の中でそういった感情が非常に薄いことに気がついた。
確かに、ゴミ箱の中にピンク色が見えた時は、腹の底で黒い渦がとぐろを巻き始めていたのだが。
今は正直、驚いている。
奈留が躊躇うことなくゴミ箱に手を突っ込んだことに。
確かに胸のどこかに嫌な気持ちもあるが、その大部分が、奈留の行動に上書きされてしまっていた。
「あたしに声かけてきたやつかな」
「え?」
ぽつりと呟いた奈留の横顔を見た。
「あたしのこと店でつけ回してたやつが、蒼維くんといるの見て、嫌がらせに盗ってったとか」
「それは考えすぎじゃない?」
「だって、お金目当てで財布とか鞄とか盗ってくならともかく、わざわざプレゼントの紙袋なんて盗っていく? しかも、すぐ捨ててるし」
確かにおかしい。本当にあたり構わずでやられた可能性もあるにはあるが、直前の奈留の一件を考えると、彼女の口にした可能性も否定できない。
「ごめん」
俯いてこぼした奈留に慌てる。
「いや、別にそうと決まったわけじゃないし」
「でも、考えれば考えるほどそんな気がしてきた。なんか粘着質そうな男だったし」
「奈留ちゃん……」
「いるじゃん、そういうやつ。勝手に惚れて、勝手に嫉妬して、周りに迷惑かけるやつ」
「まあ確かに、そういう人もいるけど。でも」
「……見つけてやる」
「は?」
呟かれた物騒な言葉に、思わず口が開いた。
「むかつく。絶対見つけて、ぶん殴ってやる」
「いや、でもさ、そいつの仕業って決まったわけじゃないし、別にそっちのプレゼントが盗られたわけじゃないんだし」
落ち着かせようとすると、なぜかきっと睨まれた。
「一生懸命選んだんじゃん。もっと怒ったらどうなの」
「うん……まあ、そうなんだけど……」
言う通りなのだが、いかんせん怒りが湧いてこないのだからどうしようもない。
奈留は周りを見渡すと、ゴミ箱から少し離れた、街灯に寄りかかってスマホをいじっていた一人の男性に話しかけた。
「すいません。ちょっと前なんですけど、この袋ここに捨てた人見てませんか?」
男は一瞬胡散臭そうな目で奈留を見下ろしたが、「見てないけど」と一言答えてくれた。
「そうですか。どうも」
ぺこりと頭を下げて離れた奈留を追いかける。奈留の足はそのまますぐそばの喫煙所に向かった。
「ちょっと、行動力ありすぎじゃない?」
「だって、むかついてるんだもん」
奈留は喫煙所にいた二人の男性にも同じことを聞いた後、芳しい答えが得られないとすぐ次の目的地に向かった。
「どこ行くの?」
「そこのコンビニ」
「何で?」
「ああいうとこ、一台くらい外に向けて撮ってる防犯カメラとかあるでしょ」
「え? もしかして見せてもらうつもり? それは無理でしょ」
「無理でも頼んでみるの」
言い切った奈留を止めることもできず、その後ろをまるで金魚の糞のようについて行く。自動ドアが開いて、やる気のなさそうな店員の声が二人を出迎えた。
そこでも奈留は「店長さんいます?」とレジにいた自分より年上の若者に尋ね、現れた店長にずばりカメラの映像を見せてくれないかと頼んだ。まあ、一般の人には見せられないとあっさり断られたのだが。当前だろう。
「いいよ奈留ちゃん。第一、やったやつだってもうこのへんにはいないよ」
不機嫌オーラを垂れ流していた奈留をとりあえず落ち着かせ、二人でコンビニの前の植木を囲うブロックに並んで座った。すでに日は傾きかけていて、駅に向かって歩く人のほうが多い。
「……袋変えないとね」
奈留が言った。
中身は無事だったが、外の袋は角が折れ、片面にはケチャップのような汚れもついていた。
「ああ、別にいいよ。渡す時は別の袋に入れるから」
ただ、一度ゴミ箱に入ったものを、見た目は綺麗だからといって果たしてプレゼントとして人にあげていいのかは少し迷うところだが。
「あーあ、最後の最後でやな気分」
「…………」
膝に頬杖をついた奈留が、その姿勢のままこちらを見る。
「ほんと、怒んないんだね」
「たぶん、そっちがそんだけ怒ってくれてるからだと思う」
「あたしが怒ったところで、自分のイライラは解消されないでしょ?」
「いや、してるよ。ちょっと」
「何で?」
「何でだろ。でも、そうだから」
「変なの」
「まあ、いつまでも引きずっててもしょうがないしさ。そんな気にしないでよ」
「気になるし」
「奈留ちゃんて、意外といい子なんだね」
「意外とって何」
「ごめん」
謝りながらも、奈留のふてくされたような表情に、ぷっと笑ってしまった。
「あのさあ、人の顔見て笑うのやめたら?」
「ごめん」
思えば三回目だ。でも別に馬鹿にしているわけじゃない。奈留だってそれはわかっているのだろう。頬杖を解くと、小さく息をついた。
「まあいいか。むかつくけど。見つかったんだし」
「そうだよ」
せっかく持ち上がった気分を損ねてはならない。立ち上がると、奈留を促して駅に向かった。
「今度、お店来なよ」
改札の前で奈留が足を止めた。住んでいるところを聞くと路線が違ったため、ここで解散だ。
「でも高いんでしょ」
「安くするよ、一回くらい。ママに頼んどく」
「そうだなあ。じゃあまあいつか……」
「あ、その言い方、来る気ないでしょ」
奈留の突っ込みに内心焦る。
「いや、そんなことは……」
「じゃあ来週」
「え……」
「ほら、え、って言った」
「いや……」
「嫌なら別にいいけど」
「そういうわけじゃないよ」
おいしいものが安く食べられるなら嬉しい。具体的に来週と提案したからには、誘ったのは社交辞令ではないのだろう。しかし、今日初めて会って、数時間過ごしただけの自分にそんな風に言ってくることに対して、嬉しさよりは戸惑いが勝った。きっと奈留は、人との間に壁を作らないタイプなのだろう。自分はどちらかというとその逆だ。
が、頑なに拒否する理由もなく、結局は店の名前とだいたいの場所を聞いて別れた。
家に着いたのは十八時過ぎ。いつもの夕食より時間は早いが、今日は半日歩き回ったからか、電車に乗った時点でひどくお腹が空いていた。
帰り道、家の近くのスーパーで買った惣菜をテーブルに置き、炊飯器に残っていた米を電子レンジで温める。テレビをつけ、羽織っていたシャツを脱ぎTシャツ一枚になると、定位置に腰を下ろした。布団をどけただけのこたつ用テーブルだ。いくつかチャンネルを変え、芸人とタレントが仕切るバラエティ番組でリモコンを置いた。電子レンジはまだ米を抱えて唸っている。
部屋の入り口に置いたままの、ピンクの紙袋に目をやった。
これを買いに行くまでに、どれだけの決意が必要だったか。これに決めるまでに、普段使わない頭を使ってどれだけ悩んだか。一人になって思い返すと、今さらながらふつふつと怒りがわいてきた。
何のために盗ったんだろう。何ですぐ、捨てたんだろう。世の中には嫌なことをするやつがいるものだ。
包んでいた包装紙も変えようか。無事だったとはいえ、少しでも触られたかと思うとあまりいい気はしない。自分じゃうまく包めないだろうから、百均でそれらしい紙袋でも買えばいいだろう。多少見栄えは劣るだろうが、中身はそれなりにいいものだから許してくれるはずだ。
喜ぶかな、と贈る人の顔を思い浮かべようとしたところで、電子レンジがチンと鳴った。