そんなにあたしのカテキョやりたかったんだねえ
原チャを飛ばして駅に向かった。駐輪場の脇に乱暴に止め、ヘルメットを脱ぐ。わずらわしい松葉杖は置いてきた。歩くより早いためケンケンをしていたら、周りの人がちらちら見てきたが無視して先を急いだ。
駅の構内に入ると、券売所の向かいの壁にぽつんと早苗が立っていた。
額に汗を滲ませ荒い呼吸をしている息子を、驚いた顔で迎える。
「どうしたの? 松葉杖は?」
「邪魔だから置いてきた」
「でも、無理しちゃだめでしょ」
「わかってるよ」
でも、今はそんなことどうでもいいのだ。
「これ」
「え?」
結局袋にも入れず、ピンクの包装紙もそのままで、原チャのシートの中に放り込んできたプレゼントを差し出した。
ピンクの包みを持ってケンケンで全力疾走してきたら、そりゃあ誰だって驚くだろう。今さら自分の形振り構わなさが恥ずかしくなってきた。
それでも、もう、ここまできたらやるしかない。
「遅くなったけど、母の日のだから……気に入らないかもしれないけど」
早苗はしばらく目を見開いたままじっと包みを見つめていたが、押し付けるように腕を突き出すと、そっと両手で受け取った。
「……ありがとう」
戸惑いが見えつつも、とりあえず、受け取ってくれたことにほっとする。でも、ここで終わっちゃいけない。
「あと、別に、迷惑じゃないから」
「え?」
「今回来てくれたのも、ありがたいと思ってるから」
早苗が、小さく息を飲んだのがわかった。
「…………うん」
「…………」
「……うん。よかった」
早苗が目線を落とした。包みを受け取った手が胸元に引き寄せられ、抱きしめるように持ちかえた。
「ありがとうね」
早苗が顔を上げた。
その目尻が少し潤んでいるような気がして。
自分の態度はこの人を、こんなに苦しめていたんだなと痛感した。
「ありがとうね」
早苗はもう一度言うと、初めて会った時のような、朗らかな笑顔を蒼維に向けてきた。
* * *
「……にしても蒼維くん、そんなにあたしのカテキョやりたかったんだねえ」
「違うし」
にやにやする奈留に、即座に否定する。
まだ左足にテーピングと包帯は巻かれているが、やはりご飯をわざわざ別に作って持ってきてもらう手間が申し訳なくなり、奈留の勉強は再び島田家で行うことになった。
「え、だから頑張って課題をクリアしたんでしょ?」
「違うって」
「もー、照れ屋さん」
「あのね……」
「えーじゃあそういうことにしといてあげてもいいけどー」
くすくす笑った奈留が椅子を回転させる。
その姿を見て、またやられた、と思う。
何で奈留はこんなに気を遣わせないのがうまいんだろう。年下なのに、頭が上がらない。しかしそんな奈留に自分も甘えてしまうのだ。
「じゃ、今日はまじめに勉強してくれるよね」
「えーどうしよっかなあ」
「渡したら、認めるんでしょ」
「認めることと、あたしのやる気は別だよね」
「やるよ」
「うわーいつになく強気」
「びしっと言わないといつまで経っても変わらないじゃん」
「お、何か一皮向けた? 男になったねえ」
「うるさいよ」
「あーあ、恩人に向かってそんな口利いていいのかなー?」
「感謝してるよ」
「え? 聞こえなーい」
「感謝してます。でもそれとこれとは話が別」
そしてこの件に関して、恩人は奈留だけじゃない。電話で背中を押してくれた杏奈にも、きちんとお礼を言わなければ。
「何かやる気スイッチ入っちゃってんね」
「いいからもう、始めるよ」
「ふぇーい」
「膝立てないで」
「何か江奈姉みたい」
「姿勢もそれなりに大事なんだよ」
「はいはい」
「はいは一回」
「はーい」
先が思いやられる。これじゃ早苗と買いに行った赤本にいつ着手できるのかわからない。
それでも、今日はこれまでよりは奈留の集中度も高く、無駄話も少なく二時間を終えた。
長い勉強の時間が終われば楽しい夕食タイムだ。
今日は江奈が帰ってきていた。一人暮らしをしていると言っても、江奈の実家への帰宅頻度は結構高いようだ。
メニューは温野菜に麻婆豆腐、かき玉汁だった。麻婆豆腐が辛すぎて若干かき玉汁の味がわからなかったが、そこはご愛嬌ということで。
今日は残業があったらしい修成が途中で雨に降られて先にお風呂に入ったため、一人分の食事が残されて後は全部下げられる。
「式場はあと二つに絞ったんだけどねー、お金がやばいわ。色々計算してんだけど、オプションつけようと思ったらきりがないんだよねー」
江奈がキッチンでぼやいている。隣に立っていた奈津子が苦笑した。
「でもまあ、一生に一度のことだからねえ。やりたいことはやっとかなきゃ」
「いっそ自分たちだけでハワイとかで挙げてくれば? 帰ってきて会費制のパーティーとかすればいいじゃん」
「えーハワイならあたしも行きたい。親族だけは呼ぼうよ」
「ハワイならお母さんもちょっと行きたいかも」
他人事のように提案した杏奈に、奈留と奈津子が言う。しかし、はたと奈津子が我に返ったようになった。
「でも、匠くんがそれじゃ嫌なんでしょ?」
「そうなの?」
「江奈さんはすごく可愛いから、きっと似合うから、いっぱい着替えてみんなに見て欲しい。……んだって」
たぶん誇張が入っているだろうが、奈津子の口真似を杏奈が鼻で笑う。
「何それ、どんなのろけ」
「えーいいじゃん。江奈姉愛されてるねえ。まあちょっと胸焼けしそうだけどー」
ちらりと奈留が舌を出す。
「はいそれじゃ、今日のデザートでーす」
江奈がカウンター越しに紙袋を二つ寄越してきた。今日の手土産はドーナツだった。蒼維のぶんも入れて、ちゃんと七つ入っている。
一番に奈留が選び、修児と杏奈が選ぶ。その次に蒼維が取ったところで、髪をタオルで拭きながら修成がリビングに入ってきた。すでに自分のドーナツにかじりついた奈留が尋ねる。
「修兄どれがいいー?」
「あ? え? ドーナツか。何が残ってんの?」
「あとねー、チョコとシュガーと紅茶とレモン」
ドーナツを包んだパラフィン紙のシールを見ながら奈留が読み上げる。
まだ選んでいない江奈がキッチンから「その中ならあたしシュガーにしようかなあ」と声を寄越す。「じゃあチョコがいいかも」と奈津子。
どれがいいと聞かれながら修成の選択肢は早々になきものにされる。
「じゃあ修兄は紅茶とレモンね」
「じゃあレモン」
「だから紅茶とレモンだって」
「は? だからレモンだって」
「違う。紅茶とレモン」
「は?」
タオルを肩にかけて不可解な顔をした修成を、奈留も同じような顔で見返す。
「は? あー……わかったわかった。だから、紅茶味とレモン味じゃなくて、『紅茶とレモン』っていうひとつの味だから」
「じゃあレモンティーって言えよ」
「あたしに言わないでよ。シールにそう書いてあるんだもん」
「コーヒーでいいー?」
キッチンから奈津子が聞く。戸棚からカップを出しながら江奈が呟く。
「あたし今日は紅茶にしようかなー」
「じゃあミルクティー」
「えーレモンがいい」
乗っかった次女と三女に江奈が振り向く。
「めんどくさいからまとめてよ」
「いっそ緑茶にする?」
「何で」
割り込んできた修成に、妹三人から一斉につっこみが入った。
はたから聞くだけの蒼維は、ふと笑いを噛み殺す。
「あーまた蒼維くんがにやにやしてる」
「どうしたの?」
「いえ、気にしないでください」
「蒼維くんは寂しがりやだから、みんなで集まって食べるのが嬉しいんだよねえ」
「何か馬鹿にしてる?」
「してないよ」
「いいことじゃない。みんなで食事」
奈津子が「ねえ」と微笑んで視線を寄越す。
人の動線や食卓の会話。
家族には家族の呼吸というものがある。
島田家の呼吸は、どうやら自分にとってはとても心地がいいものらしい。
こういう空気が、いつか自分の家族にも感じることができればいいなと思う。ここまで賑やかにはいかないだろうけど。
今度実家に帰った時には、こんな会話ができるだろうか。父さんと早苗と、未咲と自分の四人で。
次帰るとしたら、おそらくお盆だろう。みんなで祖母の家に行けたらいいと早苗も言っていた。バイトもたぶん、どうにかなる。厳しくても、去年がっつり出たから今年はお願いしますと頼んでみよう。
手土産は何がいいか。東京には色々あるから選ぶのが大変だ。広島からこっちに戻ってくる時は、もみじ饅頭でいいだろうか。そしたら色んな味を買ってこよう。今みたいにみんなでわいわい選んで楽しいだろう。
「シュガー一口ちょうだいよ」
「あんた人のくれって言うなら自分のも残しときなさいよ」
江奈のドーナツを狙う奈留の手に、ドーナツはかけらも残っていない。
「えーだって誰も欲しいって言わないから」
「普通常識でしょ」
「あげざるものもらうべからず」
「働かざるもの食うべからず、的な?」
「じゃあ修兄のでいいや」
「お前単に腹が減ってるだけだろ」
「これ食べるか」
「お父さんの何?」
「抹茶」
「じゃあいらない」
「わがままー」
「ねえそれより結局紅茶にするの?」
「ふふっ」
ついに我慢できずに声を出して笑ってしまった。
杏奈がちらりとこちらを見る。
「沸点低っ」
「いいじゃない、笑う角には福来たるって言うし」
しばらくして奈津子が持ってきた人数分のカップには、結局すべてにストレートの紅茶が注がれていた。
おしまい。




