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島田家の人々  作者: 泉 五月
3 プレゼントの行方
13/15

やっぱりこの部屋で四人寝るのは無理かなあ……

 

 インターホンが鳴って、目が覚めた。うたた寝していたようだ。時計を見ると十六時半だった。もう少しでバイトに出発する時間だ。

 もう一度、インターホンが鳴る。

 インターホンと言っても、このアパートにはドアにカメラなどついていない。新聞の勧誘だろうか。覗き窓を見に行くのも面倒で、居留守を使うことにした。するともう一度鳴る。それも放っておくと、今度は電話が鳴った。

 宅配便だろうか。でもネットで何か買った覚えはないし、結局未咲からの電話でも何か送ってくれとは頼まなかった。しかし、ディスプレイに表示された相手の名前を見て驚く。まさかと思って電話に出ると、相手は少し困ったような声だった。


「蒼維くん? あの、私だけど……今、家にいる?」

「いるけど……」


 まさか。

 ケンケンをして玄関まで行き、のぞき穴を見て驚いた。鍵をはずしてドアを開ける。

 そこにいたのは、広島にいるはずの母の早苗だった。

 電話を切る。声を出すまでのわずかな間で、妙に喉が渇いた。


「どうしたの?」


 会うのは正月以来、約半年ぶりだった。


「ごめんね、急に来て。でも未咲から、蒼維くんが捻挫して松葉杖って聞いたって。だから……」


 困ったような早苗の目が、蒼維の顔から足元に落ちる。


「大丈夫……?」


 隠せるはずもないのに、ぐるぐる巻きの左足をつい後ろに引いてしまう。


「大丈夫だよ、そんな……わざわざ来なくてもよかったのに」


 それに昨日の今日だ。どれだけ慌てて来たのだろう。

 早苗が眉を下げた。


「そうよね。うん……ごめんね。長居はしないから。ちょっと様子見て、買い出しとかしたら帰るつもりだから」


 早苗の反応に、早くもしまったと思う。

 今のは「来なくてもよかったのに」ではなく、「来てくれてありがとう」と言うべきだったか。


「まあ、別にそんな急がなくてもいいけど……とりあえず上がれば? 汚いけど」


 玄関先で話すのも何だと思い体を引くと、わずかに早苗の肩が下がった。「お邪魔します」と足を踏み入れる。荷物は二泊分ほどの旅行鞄と、小さなハンドバック一つだけだった。それを部屋に入ってすぐの壁際に置く。


「っていうか俺、今日バイトなんだよね。もうちょっとで家出るんだけど……」

「え、そうなの?」


 早苗がわずかに目を見張って振り返る。


「ごめん、タイミング悪かったね。でも、その足でバイトできるの? 確かお好み焼き屋さんでしょ?」

「うん。まあ、足がこれだから料理運んだりはできないけど、鉄板の前で料理したり裏で片付けとかならできるから」

「そっか……」


 じゃあ、とハンドバックの中を探る。


「色々不便でしょ? 冷凍食品とか簡単に食べられるもの、買っとくから。他にも欲しいものあったら、書き出してくれる?」


 手帳の白紙の部分を開き、ペンと一緒に差し出してくる。


「そんな、これといって特にないけど……」


 急に言われてもぱっと思いつかない。

 襟足を掻いていると、早苗が腕を引いた。


「そっか……でも、せっかく来たから、何か適当に買い足すね……冷蔵庫見てもいい?」

「うん」


 手帳とペンをバックに戻し、キッチンへ踵を返す。その隙に壁の時計を見た。そろそろ出ないとまずい。

 一通り冷蔵庫を見た早苗は、立ち上がって部屋に戻ってきた。部屋の向こうのベランダに目を止める。


「あの洗濯物、今日干したやつ?」

「ああ、あれはおととい……」


 汚いのは嫌だが、そこまでまめなタイプでもない。今ベランダにあるのはおととい奈留が来るから少し部屋を片付けようと思って、まとめて洗濯したものだった。元々洗濯は二日か三日に一度しかやらないし、晴れていれば干しっぱなしで、ベランダから取り入れてそのまま着ることも珍しくない。


「じゃあ入れちゃうね」

「いいよ別に」

「遠慮しないで。そのために来たんだから」


 じゃあ、と呟くと、早速早苗がベランダに向かう。さっさと取り込んで畳み始めた早苗を所在なく部屋とキッチンの境に立って見ていたが、しばらくして、限界が来ておずおずと声をかけた。


「ってか、あのさ。そろそろ俺、バイト行かないとまずいから」

「あ、もう? そっか、ごめんね」


 いや、「ごめんね」じゃなくて。


「ちょっとトイレ」


 不安定な歩き方で体を返し、トイレに入った。

 早苗は一体、どうするつもりなのか。買い出しに行くと言っていたけど、鍵は渡したほうがいいんだろうか。というか、ここにはいつまでいるんだろうか。どういう態度が、不自然じゃないのか。

 ごちゃごちゃと考えてトイレを出た時には、早くも洗濯物を畳み終えた早苗が、ちょうどクローゼットに手をかけていた。その姿に焦る。


「待って!」

「え?」

「あ、いや……そこはちょっと、汚いから。いいよ、置いといてくれたら自分で片付けるから」

「そう……」


 蒼維の態度をどう感じたのかはわからないが、早苗はクローゼットにかけていた手を素直に下ろした。


「じゃあ、俺出るから。これ、鍵」


 合鍵をテーブルの上に置く。早苗はクローゼットから離れると、畳んだ洗濯物をベッドの上に置いた。


「バイト先までは、どうやって行くの?」

「先輩に原チャ借りてる」

「そう、気をつけてね」

「うん」


 早苗がテーブルの鍵に手を伸ばす。


「私も、買い物済ませとくから」

「場所わかるの?」

「大丈夫。来る途中でスーパー見つけたから」

「そう……じゃ」


 時間がぎりぎりなのはもちろんだったが、それ以上何を言っていいかもわからず、蒼維は財布と携帯をポケットに突っ込むと、そそくさと部屋を出た。




 *    *    *




 閉店後、足が疲れたふりをして休み休み片づけをしていると、大将に後はやるからもう帰ってもいいと言われてしまった。家に帰るのが気が進まない故の行動だったのに、それが裏目に出てしまった。

 それでも悪あがきで法定速度をきっちり守って家に戻ると、早苗がいるはずの部屋はなぜか真っ暗だった。

 鍵はかかっていた。部屋に入って明かりをつけると、テーブルの上に「明日また来ます」と書かれたメモが残されていた。

 正直、ほっとした。しかしそれも束の間、すぐさま気まずさと疑問がわき上がってくる。

 線の細い字で書かれたメモを取り上げた。

 まさか最初から、ホテルを予約して来たんだろうか。息子の家に来たのに。家に泊まらずに、わざわざホテルに?


「っはー……」


 その時になってようやく気が付いた。

 かつて一緒に住んでいた時よりもよそよそしい態度。遠慮がちな視線。夕方家にやって来た時も、蒼維が早苗の顔を見ている時は、どこか別の場所を見ている。目が合っても、すぐにそらす。まあそれは、蒼維も同じだったけど。

 蒼維が壁を作っていたように、今度は向こうが壁を作っただけだ。自分がしたことが、返ってきているだけ。

 確かにここに泊まったところで、二人きりは気まずい。書き置きを見てほっとしたのは、他の誰でもない自分である。


 メモをテーブルに戻した。

 ベッドの上には、綺麗に畳まれた洗濯物が置いたままになっている。

 それを取り、クローゼットの右の扉を開けた。プラスチックケースに適当に服を突っ込むと、足を庇いながらしゃがんで、今度は左側の扉を開ける。

 アイロンや旅行に使うボストンバック、花見のビンゴで当たってすぐに壊れたマッサージ器付きクッション、スーツ用のビジネスバックに先輩から押し付けられた壊れかけの電気ストーブ。それらの陰に埋もれて、ピンクの包装紙に包まれた箱があった。奈留に見つかってから、何となく奥のほうに押しやってしまった。

 別に開けたところで、気付かれなかったかもしれない。あの止め方は不自然だっただろうか。もしかしたら、いかがわしいものでも隠していると思われたかもしれない。


「どうするかな……」


 箱に手を伸ばし、引っ張り出す。上に乗っていたくたびれたボストンバックが落ちてきた。

 これを選んだのが、何年も前のようだ。よく見たらこの包装紙、ダサくないか。

 今さら渡せない。早苗だって、もらっても困るだけだろう。

 いっそ、捨ててしまおうか。

 ピンクの包装紙を見つめた。

 何で買ったんだろう。渡せもしないものを。確かにあの時は、それがいいと思ったんだけど。

 中身は薄いストール一枚のはずなのに、手の中の箱はひどく重たく感じた。




 *    *    *




 次の日、朝メールが来た。

 昨日予定を聞いていなかったけど今日は授業があるのか、いつだったら家にいるのか、という内容だった。

 それを聞いてどうするつもりなのか。鍵を持っているのだからいつでも入れる。予定を聞いて蒼維がいる時にやって来るつもりなのか、いない時にやって来るつもりなのか。考えてもわからないしどちらにしても憂鬱なので、ただ予定だけを伝える内容にした。

 二コマからだったのだが、出かける三十分ほど前に早苗はやって来た。


「今日は天気いいから、シーツ洗って、布団とか干そうと思うんだけど、いいかな?」

「うん」

「買い出し、昨日ので足りた? まだ欲しければ今日も買いに行くけど」

「いや、いいよ。十分」

「そっか……」

「じゃあ、俺出るから」


 朝交わした会話は、それだけだった。ドアを開けた時に「いってらっしゃい」という声が聞こえたが、小さく「うん」と頷いただけで振り返りはしなかった。予定よりも早く家を出てしまったため、前の授業が終わるまで結構な時間待たなければならなかった。

 ――疲れる。

 バイトがなかったため、よほど友達の家にでもいこうかと思ったが、連絡しようとする手を何とか堪えた。

 長居はしないと言っていたが、早苗はいつまでいるつもりなのか。休み時間ごとに見た携帯に、早苗からの「帰ります」というメールは入らなかった。


 結局、入れてもいない五コマの授業が終わる十七時四十五分まで図書館の視聴覚コーナーに居座り、次々と利用者の減っていく部屋でぼーっとしていたが、ふと馬鹿らしくなって帰った。

 文字通り重い足を引きずって部屋のドアを開けると、キッチンに早苗が立っていた。外から見た時点で、部屋の窓が開いていたのでいることはわかっていた。

 久々に早苗の作った手料理を食べ、ママには敵わないけど奈津子の料理とは同じくらいにおいしいと思ったが、それを声に出すことはできなかった。

 テレビを見ながら、ほとんど会話のない夕食を食べ終え、皿も洗った後、早苗は部屋の隅に置いていた旅行鞄とハンドバックのそばに立った。


「じゃあ、また明日、もう一回来て、帰るから」

「うん……」


 もう少しで十九時半になろうという時間だ。この時間から広島に帰ることはないだろうと思ってはいたが、また今日もホテルに行くつもりなのか。荷物も持ってきているのに。

 ここまでの交通費や自分のための十分すぎるほどの買い出し、それに加えてホテル代まで出すとなれば、この数日だけでかなりの出費だろう。それともお金はかかっていいから、寝る時くらい一人でリラックスしたいということだろうか。

 そう思うと、少しショックだった。

 自分が感じている居心地の悪さを棚に上げて、よくそんなことを思えるものだと自分でも呆れる。

 結局どうしたいのか、自分でもよくわからない。


「っていうかさ……」


 すでに旅行鞄を持ち上げた早苗にこぼしていた。


「何?」

「あ、いや…………昨日、どこ泊まったの?」


 早苗がきょとんとした。その表情に、言葉にはしない何かが隠れていないか、つい探してしまう。


「ホテルに。駅の近くの……ほら、ここで二人寝るのは狭いでしょ? だから……」


 もっともらしい理由でもあり、いささか不自然でもある理由だ。家族が来たら狭かろうが何だろうが、家に泊めるのが普通じゃないのか。上京組のほとんどがそうしているし、今回やって来たのは早苗一人だ。この部屋には、友達五人が一度に泊まったことだってある。


「別に、気にしないけど……」

「え……」


 それが聞き取れなかったための「え」なのか、言った内容に対する「え」なのか、よくわからなかった。だからすぐ、言ったことを覆してしまう。


「いや、でも、もう取ってるんなら今さらキャンセルするのも金かかるか」

「ううん、取ってない」

「え?」

「予約はしてないの」

「そう……」


 ということは、予約していないのにこれから泊まるホテルを探すつもりだったのか。駅の近くはともかく、このあたりはもう暗くなっているのに。

 早苗はまだ動かない。鞄も置かない。でも、一言尋ねてきた。


「……泊まってもいいの?」

「え? あ、いや……」

「…………」

「……うん……別に、いいけど……」


 テレビに向き直りながら言うと、ようやく早苗が鞄を置いたのが、音で伝わってきた。




 *    *    *




 ベッドを使ってもいいと言ったのに、早苗は床で寝た。杏奈が来た時そうしたように、テーブルの向こうに横になる。


「お父さんがね、今年のお盆はみんなでおばあちゃんのところに行けたらいいなって言ってたよ」

「うん」

「去年は帰って来れなかったから、おばあちゃんも会いたいだろうって」

「うん」


 本当のことを言うと帰れなかったのではなく、帰らなかったのだが。去年のお盆は帰省したいバイト仲間と進んでシフトを代わり、わざとバイトを詰め込んだ。


「バイト、忙しいかな? でも友達と旅行とかも行きたいよね」

「…………」

「無理しなくていいからね」

「うん……」


 帰ってこなくていいからね、と聞こえるのは、自分がひねくれているからだろうか。


「そういえばね、未咲が夏に大学のオープンキャンパスあるでしょ。こっちの大学いくつか見に行きたいって言ってるの」


 ――へえ、そうなんだ。あいつもこっち来るの。


「女の子だし、一人で東京に出すのはやっぱりお父さんが渋ってるんだけど」


 ――だろうな、俺の時だって反対してたんだから。


「旅行がてら、三人で来るかもしれないし」


 ――そうなの? さすがに三人は狭いかもしれないね。


「その時は、また泊めてくれる?」


 ――ああ、別にいいよ。その代わり、おいしいご飯食べさせてよ。


「…………」

「…………」


 何で、人は暗くなるとよく喋るんだろう。杏奈もそうだった。あの時は、自分が促したのもあるけれど。


「やっぱりこの部屋で四人寝るのは無理かなあ……」


 ――いや別に、大丈夫なんじゃない? 男五人が雑魚寝したこともあるし。


「……蒼維くん? もう寝た……?」


 ――寝てないけど。


「蒼維くん……?」


 早苗の声が細くなる。


「…………」

「…………」

「…………ごめんね」


 それきり、部屋の中は静かになった。

 何で謝るんだろう。何に謝ったんだろう。

 早苗はここまで、相手の様子を窺う人だっただろうか。

 どうして前みたいにもう少し明るくいてくれないんだろう。そしたら自分だってもう少し話せるかもしれないのに。

 自分が悪いんだろうか。

 きっとそうだろう、元々の原因を作ったのは自分だ。

 それでも、どうしようもなくイライラする。けれどそれをぶつけるところがなくて、もどかしい感情を腹に溜めたまま、ベッドの中で背中を丸めた。



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