本能寺の変
ーー天正十年、京都、本能寺
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
敦盛を舞い続けてきたわしも今や齢四十九。
秀吉の備中攻めの援軍に向かう途中、ここ本能寺に宿を取った。毛利が落ちれば西国平定も間近となる。日ノ本の王となる日までようやくあと一歩のところまできた。
……あと一歩……あと一歩だった。
朝、目を覚ますと眼前には桔梗紋の旗が無数に広がっていた。
明智、謀反。
まさか光秀の奴が謀反とは。信忠かサルならやりかねんと思っておったが光秀の奴がのぅ……。
こちらは100にも満たぬ人数。対して明智勢は1万をゆうに超えておるだろう。
多勢に無勢。必死に闘うも激戦の中で矢を受け、肘に鉄砲と槍をくらった。
弓は弦が切れ、槍も折れた。
もはやこれまで。
そう思い後を兵たちに任せ、今、わしは寺の奥、本尊の目の前に座っている。
寺には火矢が放たれ、この部屋にも火が回り始めている。熱さと激痛で逃げることはおろか腹を切る気力すら残っていない。わしはこのまま火に巻かれて灰となり失せるのだろう。
女房衆はなかなか逃げなかったが再三言い聞かせて退去させた。坊主どもも逃げおおせただろう。堺におる家康はもしやマズいかも知れぬ。じゃが、あやつも歴戦の猛者。生き延びることにはずば抜けておる。しかも無事三河に帰りおおせたなら己が天下人となる千載一遇の機会ときた。
全く、桶狭間といい今回といいあやつは天佑に恵まれておる。
心配なのは妙心寺におる信忠じゃ。
あやつはわしやタヌキと違い、生き延びることへの執着が弱い。二代目らしく、政治の安定においての能力にはずば抜けておるがその分、戦乱の世に必要な生存本能はそれほど強くない。
もしかするとダメかもしれぬ。
そうなると織田家は終わりであろうな。
信雄は凡愚じゃ。信孝はわしに似ておるが……器が小さすぎる。こやつらでは日ノ本どころか織田家すら危うい。信忠さえ無事ならば……今はあやつを信じるほかあるまいな。
そろそろ火勢が強くなってきた。いよいよかもしれぬ。
天下人まであと一歩、本当にあと少しだった。それだけが心残りだ。
あと孫の三法師。誰にも言ったことはないがあやつは可愛かった。もう少し遊んでやれば良かったか。
ここで終わるのが残念だ……。
残念だがここで終わりなのだ……。
ここで…………わしは…………。
「……終わってたまるか」
ここまできて、新時代を見ずに終わってたまるか。
ここで朽ちてたまるか。
諦めてたまるか!
「わしは織田信長じゃ。こんなところで死ぬ男ではないわ!死中に活を見出す。それこそがわしの生き方。足掻いてみせようぞ!」
ここで終わるわけにはいかぬ!
なんとしてでも生きねば!
「蘭丸!いるか!」
蘭丸が畳を抱えて現れた。
「上様!こちらを」
「これはなんじゃ」
「御腹をお召しになられた後、畳で覆い火力を上げ跡の残らぬ程燃やします。そうすれば明智殿の手に上様の御首は渡らないはず……」
蘭丸の話を遮る。
「蘭丸よ、気遣いはありがたいがやはりここで死ぬのはやめじゃ。生き延びるぞ。」
「左様でございますか。ご無礼、まことに申し訳ございません。それでは上様はこちらを身につけてください。」
「ん?これは法衣か?」
「はい。今、僧たちが明智勢の包囲が甘くなっている西の塀から脱出しておりますのでその中に紛れればおそらく外に出れるかと。」
「分かった。わしは鴨川に向かう。お主も必ずついてこい。」
「承知いたしました。」
「それと、弥助は生きておるか? 奴を至急、妙心寺に向かわせろ。信忠を何があっても殺させるな。」
「承知いたしました。……これでよし、あとは傘を被れば僧のようにみえるはずです。それでは私は弥助の元へ参ります。……上様、御武運を。」
蘭丸と別れ、言われた場所に急ぐ。さて、このあとどうするか。まずは誰かの元に身を寄せねばならん。近江瀬田に山岡兄弟、丹羽と信孝が大坂と堺、柴田が北陸、蘭丸の兄、長可は信濃か。タヌキは堺の観光中であるから頼りにならぬ…。サルは毛利攻め。まさに戦闘中の備中から三日三晩で京に戻ることなどさすがに期待できぬ。
絶対にしてはならないのは光秀と遭遇すること。
ということは近江方面には逃れ得ない。
間違いなくあやつは一度坂本にもどり、その後安土に向かうだろうからな。瀬田の唐橋を通る際には山岡兄弟と交戦するに違いないゆえ、こやつらには頼れぬ。そう考えるとやはり鴨川を下り、大坂で丹羽と信孝に合流すべきだろう。
……まさか光秀が……。
…………処刑かぁ……でもなぁ……あやつの能力は切るには惜しい……。
松永の前例もあるし見逃してもいいが……。
難しいところだ……。下手に許してしまうと他のものの増長を招きかねない……。
……考えるのが億劫だ、後にしよう。
大変なのはまさにこれからなのだ。
許す許さぬの前にまずわしは生き延びねばならぬ。
それにしても……わしをここまで追い詰めるとはな……。
金ヶ崎の退き口。あれ以上の危機はかつてなかったが、まさに今日はあの時以上に危なかった……。
……ふふふ……はっはっはー!!!
此度の光秀はまさにあの時の長政を思い出させるわい!!
まさに長政と同じく、奴も戦乱の世の武将であるな!
あの時の殿をサルと共に務めた光秀が謀反とは、何かしらの定めやも知れぬな。
無事鴨川に出て、舟を得る。
傷は痛むが少し心は落ち着いた。あとは蘭丸を待つだけである。ふと振り返れば本能寺のあたりからは黒煙が立ち上っている。
まさかあの包囲から逃げおおせるとは。
よくもまあ百人もおらぬ供回りで明智勢から逃れたものよ。あやつらには感謝してもしきれぬな。
亡くなったものは英霊として、生き延びたものには忠臣として。
奴らにわしの創る新しい世をいの一番に味わわせてやろう。それがわしの感謝の印じゃ。
激動の中で気がつけばすでに陽が高く登っていた。
初執筆初投稿です。
初めてなので一話完結のものとしてみましたが、構想自体はもっとあるので別の作品としてもっと練りこんだものを書くかもしれません。
稚拙なところも多々あるかと思いますがそれでも読んでいただき本当にありがとうございました!