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托卵

 佐之川の(みぎわ)に広がる葦原に、葦の茎と葉を組み合わせた巣が(こしら)えてあつた。轆轤(ろくろ)で挽かれた丸い椀のやうな巣。密集する葦の間に、此の巣がひつそりと架けられてゐた。


 此の巣の主は、オオヨシキリと呼ばれる小型の鳥類であつた。スズメ目ヨシキリ科に分類される本種は「ギヨギヨ、ギヨギヨシ」といふ(さえず)りで知られる。此の鳥は、緑褐色の身体に黒い瞳を持ち、逆立つた頭部の羽毛は何かに対して怒つてゐるやうにも見えた。




 時刻は13時前。太陽は未だ南の空の高い位置にあり、燦ゝ(さんさん)と降り注ぐ陽光が葦の影をくつきりと地面に写しだしてゐる中、一羽のオオヨシキリが、ハタハタハタと羽音を響かせながら葦原に架けた巣へと戻つて来た。昼ともなれば鳥も人も食事時。その食事から帰つてきたのであらう。そのオオヨシキリが空けてゐた、まあるい巣の底には、4つの卵が静かに転がつてゐた。戻つてきたオオヨシキリは、卵を抱きかかえるやうにその上に座り込み、卵に熱を分け与える仕事を再開したのであつた。


 オオヨシキリの抱卵は半月ほど続けられる。無事に孵化すれば、雛は僅か10日と少しばかりで巣立つてゆく。僅かに一か月にも満たぬ親子の時間である。(しか)も、その半分以上の期間、我が子は硬い殼に覆われ、物云はぬ状態なのである。抱卵は孤独な戦いであつた。



 抱卵の合間にもオオヨシキリは餌を得るために巣を離れる必要がある。オオヨシキリが巣からパツと飛び立つと、残された巣の中には静寂が満ちるのみであつた。時折、葦の間を吹き抜ける風が、葉の擦れる音を響かせて静けさを洗ひ流すが、其の風が止むと、再びじつとりとした静寂が辺りに滲んだ。


 ある日、オオヨシキリが巣を空けてゐる間に、巣に黒い影が差した。其の影はさつと巣に踊り込むと、巣の中の卵を確認し、一つの卵を其の嘴で咥へ、巣の外へと放り出した。哀れな卵は此世を知ることもなく、重力に引かれるままに地面へと落ちていつた。巣への闖入者はカツコウだ。閑古鳥とも呼ばれる此の鳥。オオヨシキリ、ホオジロ、モズ等の巣に自身の卵を産み落とし、他の鳥種に育てさせる托卵の習性を持つことで知られてゐる。


 やがてカツコウが飛び去り、巣には再び先ほどと同じ静けさが戻つてきた。巣の中には、先刻までと同じく4つ(・・)の卵が静かに転がつてをり、闖入者の痕跡は、葦の根元付近でゆつくりと死を迎へつつある卵以外には、何も残つてゐなかつた。しばらくして、何も知らぬオオヨシキリが巣へと戻つてくると、4つの卵が無事であることに安堵し、再び抱きかかへるのだつた。


 それから10日ばかりが経過した頃、卵の1つがぐわらりと震えたかと思ふと、ゆつくりと(ひび)が入り、其処から亀裂が広がり、やがて丸裸の鳥の雛が姿を現した。オオヨシキリは、雛が孵化したことに気付くと、雛の身体に付着した殻を丁寧に取り除き、世話を焼き始める。そのうちに、雛の餌を獲る為にハタハタと飛び立つてゆくのだつた。


 巣の主がゐなくなると、巣に残された雛は、其の小さな背中を使つて残る卵を静かに巣の外へと押し出してゆく。1個、また1個と巣の外へと落下してゆく卵。その雛の行為は誰にも見咎められぬまゝ、巣中の孵化直前だつた卵は姿を消した。


 カツコウの雛は何かを考へることもなく、己の命に刻印された指示に従つて、まだ見ぬオオヨシキリの雛を殺害してのけた。やがて、巣へと戻つてきたオオヨシキリが、巣の中に卵を探したが、終に見つかることはなかつた。



 オオヨシキリは唯一残つた雛に餌を運び続けた。オオヨシキリは残つた雛に他の卵の行方を尋ねる術を持たない。オオヨシキリはその本能に従つて雛に餌を運び続け、やがて雛が自分自身をも超える大きさにまで育ち、その姿が自身とは似つかぬ存在となつてさえも、愚直に餌を運んでくるのであつた。


 人間は其れを愚かと笑ふが、或いはオオヨシキリは気づいてゐるのかもしれなかつた。雛はすつかりカツコウの姿となり、事実、オオヨシキリが餌を運ぶ頻度も意欲も低下してゐた。毛繕いなどの世話もめつきりと行はれず、カツコウの羽毛は乱れたままになつてゐた。


 だが、オオヨシキリは餌を運ぶことだけは辞めはしなかつた。まるで、疑いを振り払ふかのやうに、オオヨシキリは餌を運び続けた。目の前の雛をカツコウと認めることは、オオヨシキリにとつては自身の子の死を認めることに他ならなかつた。


 歪な日常の終わりは突然にやつて来た。付近に棲む一匹の蛇が其の巣へと狙いを付けた。手も足も持たず、長い身体だけで如何なる場所へも忍び込む其の冷たい悪魔は、葦の茎に身体を絡ませ、器用に上まで登つてくると、架けてあるオオヨシキリの巣へと頭を向けた。其の真つ黒く感情の乏しい目には一匹の閑古鳥が映つてゐる。さうして蛇は口を大きく大きくかぱありと開けると、幼いカツコウの頭に素早く齧りついた。暴れる幼鳥であつたが、蛇は決して放さうとはしない。やがて動かなくなつた幼鳥をゆつくりと飮み込み始めるのだつた。


 そこにオオヨシキリが餌を持つて戻つて来た。オオヨシキリは、カツコウが蛇に呑まれてゐる様を見て、半狂乱で周囲を飛びまわる。時折、蛇に体当たりを仕掛けるが、蛇はそれを全く意に介さずに、ゆつくりと時間をかけて餌を飮みこむ。すつかり満腹となつた蛇は、葦をするりするりと降りてゆくのだつた。後に残つたのは、オオヨシキリと空つぽとなつた巣。斜陽に照らされ、巣の外面は橙色に輝いてゐた。


 オオヨシキリは空つぽの巣をしばらく眺めてゐたが、やがて「ギヨギヨシ」と啼くと、何処かへと飛び去つて二度と戻つて来なかつた。


ご清覧ありがとうございました。


ラノベを書いていたら、違う文章も書きたくなったので、純文学っぽさのある文章を書いてみたものです。


宜しければ、評価や感想など頂戴できると嬉しく存じます。


(この様な純文学然とした短編にも関わらず、何人もの方に評価やブクマを頂戴できたおかげでジャンル別のランキングに載りました。深く御礼申し上げます)

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― 新着の感想 ―
[一言] 良いです。 淡々と見たままのような描写が文章として描かれているのが味わい深かったです。 子供の頃はよくわからなかった純文の味を味わわせて頂いた気分です。
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