68 法の定め
馬渡といえば、三回戦の対戦相手である。そして三回戦といえば、尭史への疑念が周知されたきっかけに他ならない。
因縁あるべき二人が会したいま、周囲が黙するのは当然の反応だった。
「どうしてるかと思ってたんだ。いま、いいかい?」
「ああ、うん。はい」
「いいじゃん、適当で。立ち話もなんだし、むこう行こう」
指さした先は、備え付けの簡素なテーブルセットだった。
多様なプレイヤーがフリープレイに興じたり、トレードを試みている中。馬渡は堂々とその一つに座り、尭史もそれに続いた。
アルミっぽさが剥き出しの、いかにもな量産品。陽にさらされた倉庫とは対照的に、ひんやりと尭史の尻を冷やした。
「ちょっと尭史」ジェローナがなぜか小声で言う。
(なんだよ)
「なんかあなた、今日イチで心拍数上がってない? ポケット越しでもわかるんだけど」
(うっいやっだってあの馬渡だぞ? 何言っくるか判んねえし)
「違うわよ私の告白よりドキドキしてるのが信じられないのよこのチキン。後で覚えときなさい」
(あんまりいじめないでくれよ。オタクの沽券ってのを……)
実際尭史は、いまや気が気ではなかった。
「昨日はロクに話せなかったし、実際これが初めましてみたいなもんじゃん?」
一方馬渡の方は、尭史の怯えなどどこ吹く風である。
「そうっすね。鮎川尭史です」
「ま、知ってるんだけどさ」
くっくと笑いながら、馬渡は値踏みするような顔で尭史を見た。
「先に謝らにゃあなんねーな。鮎川くん。ぼかあきみが、もっと根性なしなんだと思ってたんだ」
「ついさっきも別のヤツに、意気地なしと言われたばっかすよ」尭史は不器用に笑った。
「いやでも、そうでもなかったんだなって、いま思ったからさ。こうして普通に会場出入りしてんだから」
「は、はは」別に嬉しくはなかった。
「だから余計、わかんなくなっちまった」
背もたれに大きく身を預けながら、馬渡はぼんやりと言った。
「いまぼくは怒るべきなのか、皆はきみを弾劾すべきなのか。そのへんがさ」
「うほはっ」
「動転してなにを食べてもいないのに咽せないでよ!」
(細かい動作の解説しなくていいよローナ! 小説の地の文かおまえは)
「うっさいわねふーんだ」
(頼むからちょっと静かにしててくれ……)
「嫌よいま絶好の煽りチャンスでしょ」
(迷惑極まりない発想を振りかざすよね!)
「あなたの汚点も弱点も知っておきたいのよ」
(あーそれ時と場所を考えてたら惚れ直すセリフだったのになー!)
「……大丈夫かい鮎川くん」
様子を見ながら、馬渡。
「あ、ああ、はい。それで、なんだって? おれが弾劾される?」
「まあ、そうだね。そうあるべきか、違うのかって」
「あるべき?」尭史はそこに引っかかりを覚えた。
「そう。あるべきかどうか、じゃん。ぼく自身の気持ちなんてのは、この際大した問題じゃない。むしろぼくの気持ちなんてのは、その姿に追随するよ」
「そう、なのか?」
尭史は首を傾げた。
これが仲の良い友人なら、「何言ってんのおまえ」と突っぱねているところである。
「あーと」
すると、馬渡の眉根にシワが寄った。
「時に鮎川くん。きみの専攻はなんだい?」
「へっ?」
左に曲がっていた首が右に傾いた。目は皿のようだった。
大学名より先に専攻を訊かれるのは初めてだったからだった。
「あえっと、西洋史学科っす。専攻というか、卒論にするようなテーマは、二回生になってから決めるから……まだ。近世フランスか、北欧がいいかなって思ってる程度で」
「そうか。いい趣味じゃん?」
「そうなんですかね?」
傾げたままの首に気づいて、あわてて元に戻す。頭の中ではまだ『弾劾』の二文字が泳いでいた。
(なあローナ、まったく意味わかんないんだけどさ、これって新手の煽りなのかな)
「知らないわよばーかばーか」
(ああもう! その件についてはおれが全面的に悪かったからさあ!)
「むぅ……でもホントにわかんないわよ。大学ってものからしてまだ頭が追い付いてないわ」
(そうきたか)
「私からすれば、誰もがあたりまえに読み書きできるほど教育が進んでることからして、違和感ありまくりだもの。どんな魔法が使われてるのって話だわ」
(中世的だなあ)
「ぼくは法学部なんだ」わずかに間を置いて、馬渡が言った。
「はあ」
「昔から、正しさってものに感心が強かったんだ。つまり正義じゃん。だからそうした」
「法がそれを司っているからすか?」
「そう。良心と欺瞞を測るもの、それこそ法だと思ってたからね」
「過去形なんすね」
「そうだ、そうなんだ! 鮎川くん、きみ話しやすいじゃん」
「そりゃどうも」
「ちょうど、去年のいまごろじゃん。立法系の必修課目のさ、初回の第一声で言われたんだ。法は絶対の指針にはならない。永劫不変でもない。すでに起きたことがらを紐解き、これから起きることがらを縛るものに過ぎない――ってさ」
いよいよ尭史の頭は追いつかなくなってきた。
「それというのは?」
「早い話が、インターネットが普及する前からネット犯罪を取り締まる法律は作れないってことじゃん」
「ああ、なるほどね」尭史より先にジェローナがそう言った。
「実際に何かが起きてからでなければ、悪事を裁くことはできないってことすか?」尭史の上体は自然と傾いていた。
「そ。車がないのに交通法が作れるワケもなし。最近だとそうだな、ドローンとかじゃん? あれも流行らなけりゃ法も整備されなかったっしょ」
「でも、問題が起きた後で法を作ることはできるんでしょ? それで過去のことを取り沙汰しちゃいけないの?」
ジェローナがそう言ったのを、尭史は繰り返して言葉にする。
「いい質問じゃん。でも、それはできない。法令不遡及の原則ってのがあるじゃん。行為の当事者からすりゃ、そんなんされちゃたまったもんじゃないからね」
馬渡はそこで大きく息を吸い込んだ。ゆっくり吐き出してから、こう言った。
「だからこれが、ぼくの見解じゃん。法に従う者としての」
「それは……ありがたいわね。立派だと思うわ」
ジェローナが嬉しそうに手を合わせたのをよそに、尭史はまだ呆けていた。
(えっ、なに? どういう流れさこれ)
「つまり、咎めるべきこととは何か、ってことよ。この世界では――もしも交通法がなければ、どんな運転をしても罰せられないんでしょう? 現状でルールがないことについては不問だ、って。そう言ってるのよ」
(それは、判ったけどさ)
「じゃあ尭史がしたことは、現行のルールに反しているの?」
(いや、……!)
半信半疑のまま、尭史は口を開く。
「たぶん、言いたいことは判ったっす。感謝するところ、なんすかね」
「どうだか。ぼくはただ、敷かれたルールに従ってるだけ」
「恐れ入ります。志に」
「まだまだ」
言いながら 腕を組んだ。
「ただしこれは、現状のままならの話じゃん。もし現行のフロアルールに抵触する証拠が見つかったなら、この見解は撤回だ。そんときは自分でもなんて言うか判んないぜ」
「大丈夫ですよ。反則はしてません」
「そうかい。それじゃ――」
馬渡は一度ピンと背筋を伸ばすと、腰を浮かせた。
「あ、一個訊き忘れてた」
かと思うと、また座り直した。
それに合わせて尭史の心臓が跳ねる。
「これはまた別の質問になっちまうんだけどさ」
「う、うす」
「きみ、焔村光秀とはなにか関わりがあるのかい?」
尭史の目の色が変わったのを、馬渡は見逃さなかった。
「あの男が、なにか?」
そう問うた声だけが、低くもあった。
「なにやら穏やかじゃないようだね」
馬渡は軽く頬を掻いた。
「いやね。実を言うと、三回戦の前に、あいつからきみの情報をリークされてたんだ。なんとなく不自然な気はしてたんだけど」
「おれと焔村は」
言葉を選びながら、尭史。
「昨日が初対面ですよ。ただ向こうはなにか、おれに因縁を持ってるみたいで」
「そうか」
馬渡は肩をすくめ、もったいぶるようにゆっくりと、首を振った。
「こりゃいよいよ、狂言回しに食わされたってことになるのかな」
「それが『鶴の徒返し』の真相と?」
「そうして見ると、いい試合だったよ」
何かを諦めたような面持ちで、馬渡は呟いた。
「じゃ今度こそ、邪魔したじゃん。あとは適当に頑張ってくれ」
「あ、はい」
返事を聞くか聞かないかのうちに、馬渡は歩き出す。
その後ろ姿を見ながら、尭史は気の抜けた顔で背もたれに身を預けた。
「ああ、緊張した」
馬渡の背中が見えなくなると、さらに思い切りのけぞった。
(結局何が言いたかったんだ、あの人。励ましだったのか?)
「挨拶の感じからすると、本人はそのつもりだったんじゃない?」
(マジで言ってる?)
「最後も頑張ってくれって言ってたしね」
(社交辞令じゃないかなあ)
「それでないとそもそも、話しかけてくるのがおかしいし。ぼくは怒ってないから好きにやってこい、って言いたかったんじゃないかしら」
(なんか逆に疲れたし、脅し文句じみたこと言われた気もするけどなあ)
苦笑を漏らす尭史。
「たぶんあの人、アレなのよ」
(ドレなのよ)
「自分の見解で他人を感心させられると信じて疑わないタイプのナルシスト」
(あ~~~~絶対ソレなのよ~~~~~~~~)
脱力しきった顔で、尭史はため息を吐くのだった。




