66 次元の突破口
「サンキューな、月居。おかげで気が晴れたよ」
はっきりそう言うと、尭史はコンテナから飛び降りた。
たかだか二メートル余りの高さではあったが、運動不足の脚は強い衝撃を感じた。
「行ってくる。おれが楽しんで、おまえが救われる、そういう戦いをしてくるよ」
「あ……うん」
それだけ聞くと、尭史は歩き出した。
「じゃあ、ね」
小さくそう言われた気もしたが、振り返りはしなかった。
◆
「いくじなし」
月居が見えなくなったころ。ジェローナはそう言った。
(あん?)
「これだけ想ってくれる人がいるんでしょ。甲斐性見せたらいいじゃない」
尭史は思わず脚を止めた。
なんのことだ、ととぼけることもできた。しかし、そう出掛かった声を寸でのところで止めた。
飲み込むように息を吸い込んで、思い切りむせた。
「なにやってるのよ」
呆れが丸出しのジェローナの言葉。尭史はそれを、半ば無視するように。
(そいつは、本心で言ってるのか?)
するとジェローナは押し黙った。
ポケットから取り出して顔を見たってよかったが、そうすると自分の顔も見せることになる。それが躊躇われて、そのままにしていた。
(なにも、なにもおれだってさ、気づいてないわけじゃねえよ。あれだけおれのことを見てくれる人、今まで一人も居なかった、って思ってる)
そこまで念じて、急に喉が渇きだした。思いを口に出しているわけでもないのに。
ゲーム中とはどこか違う手の震えも感じた。気味の悪い汗が吹き出した感覚もあった。
しかし、止めてはいけない気がしていた。
(月居はさ、あいつは……おれを支えてくれると思う。倒れそうになっても、下から抱き上げてくれる。思い込み入ってるかも知らねえけど、そんなふうに感じさせる)
唇を噛む。きっと顔は赤かった。
(そいつは間違いなく幸せだろうよ。互いが互いのことだけ考えて、互いに溺れられるような気がするんだろ。世の中におれと月居だけ、二人だけ幸せになれらばいいって、それだけ目指して生きていけたら、きっと楽だよ)
俯きながら、それでも本心を打ち明けようと決めた。でもさ、と。
(それじゃいけねえと思ったんだ!)
強く、ジェローナに語りかけようと。
(おれを受け入れてくれるのは心地いいよ。おれを支えてくれるのは幸せだ、間違いなく。でもそんなの、甘えじゃねえか! 弱いおれのまま、伊奈を救うこともできねえまま、普通の男になっちまう。ただの男と女だ、弱さや傷を舐め合うような。それじゃいけねえと思ったんだ)
「考えすぎよ、尭史」ようやくジェローナが口を開いた。
「ひょっとしたら、今の月居さんは、あなたが言う通りの人なのかもしれないわ。でも人間はきっかけがあれば変われるでしょう? 尭史が望むなら、そんな悲観する通りにはならないはずよ、きっと」
(違うんだ。いや、ローナの言い分が合ってるかどうかっていうのは、おれにとっちゃ二の次なんだよ。つまりさ、その。おまえは)
無意識に手で口を覆っていた。高まった緊張は、もうどうすることもできなかった。
(おまえだけは、おれを導くってことをしてくれた。どんな人も言ってくれない言葉を、おれにかけてくれた。強がってくれて、力をくれて、知恵をくれた。そう、一人だけなんだよ。おれを、上に引っ張り上げてくれるようなやつは。他に一人といない)
自分の胸を叩く。もう後には引けない。覚悟を決めた。
(好きだ、ジェローナ。おまえだけが)
「へっ」
ジェローナはしばし、その言葉が飲み込めなかった。やたらに激しいまばたきだけ顔に表れて、あとは固まっていた。
五秒も経つとにわかに顔が赤らんで、反動のようにとちりだした。
「えっいや、いやいやいや! そんなだって私、だって、えー!」
(なんだよ)
「いやだからほら、ねえ! いやいや、そんな、あのだって、さあ」
(なにもわかんねえけど)
「ちがうのよ、その、なんていうか、私! あれよ! ほらあの」
尭史さえ見ていないのに手で額を覆って、何者かと距離を取るような、珍妙な動きをするジェローナ。
何度か口をぱくぱくさせた後、辛うじてこう言った。
「だって、私、尭史は月居さんといるのが、幸せだろうなって、絶対」
(なんで)
「いや、ほら、すごい楽しそうだったし、そうかなって」
(ローナ見てる方がずっと楽しいけど。今なんか特に面白いだろ)
「ああっ見ないで! ちょっと! 出したら絞める!」
(できないくせに)
あまりの狂いように、尭史はちょっと余裕が出てきていた。
「それにほら、だって私、騎士なのよ。女だてらに筋肉こんな付いちゃって」
(カッコいいじゃん。むしろそれがいいんだよ)
「いや、そもそも私、カードなのよ! 無理があるでしょ、色々と」
(そうか?)
「いやだって、生物ってんでもないでしょ。ここから出られないんだから」
(些細なことじゃねえか。ローナ、おれを誰だと思ってる)
「誰よ」
(ちょっとゲームが上手いだけのよくいるオタクだ)
「それがなに」
(次元を超えた愛なら経験豊富なんだ)
「うえっそれで口説いてるつもりなら大間違いよ!? 気持ち悪いから!」
(ストレートすぎてつらいなあ)
頭をかく振りをしながら、尭史はそっぽを向く。
「……でも、本気なの?」
ややもすれば聞き逃しそうな声で、ジェローナが言った。
(ああ、本気だ)
「ありがと」
間髪もない、真っ直ぐな尭史の思いに、ジェローナは小さく微笑んだ。
「私も好き」




