39 燃え立つ願い
「鮎川くんなに頼んだの?」
「ジントニック。最初はベーシックなものでバーの感性を見極めると良いって聞いたから」
「えー、なにそれー?」
それからの会話は、かつてないほどに弾んだ。
ドリンクがあってもなくても、きっと変わらなかったろう。
「おまえのそれ、綺麗だな」
「でしょ。雪国! 飲んでみっけ?」
「うおっ? これ結構強いな」
二人にとって、心躍る時間だった。
裏を返せば、そうは思えない者もいたのだ。
(尭史、楽しそう)
もちろんジェローナである。
「そうだ。『獰猛な中隊長』持ってない?」
「んーん。ねーなー」
「残念だな。あれば試してみたかったんだけど」
胸ポケットの中から、延々と二人のじゃれあいを聞いていることになる。
それが自分でも信じられないほど、苦しかった。
三回戦後の荒んだ様子からの豹変ぶりに苛立っているわけではない。
自分以外の誰かによって尭史が元気になったことが、たまらなく悔しかった。
(どうして? 今まで、誰かの幸せを妬んだことなんてなかったのに)
「初めて会ったときのこと、覚えてるけ?」
「たまたまオレが土浦に遠征したんだっけか」
「そだよ。わたしデッキの組み方全然判んなくて、鮎川くんだけが……」
彼女は生まれながらの騎士である。
誰かの喜びを、自分のこと以上に喜んできた。
しかし、今は違う。
弾んだ尭史の声を聞くのが、ひたすらに辛かった。
「だいぶ陽が沈んできたな」
「うん。明かり、綺麗だね」
「なんかあったけえと、思うよ」
ジェローナのメンブレンには、活劇や英雄譚が溢れていた。
色恋モノの詩や演劇は、彼女が生まれた町には普及していなかった。
また聖染騎士団の中に、同年代の男子もいなかった。
だから知らないのだ。自分が抱えた感情の正体を。
「鮎川くんて、ちょいちょい言葉が芝居くさくない?」
「そういう映画の主人公に憧れてたからかな。妹の趣味でもあったし」
「あそっか妹さんいるんだよね。あんまり詳しく知らないなー」
伊奈の事を話だす尭史。
はじめジェローナに隠していた病気のことも、簡単に打ち明けていた。
(やめてよ……!)
そう思うものの筋がなく、口には出せない。
「お気の毒。頑張んなきゃなんねーな、鮎川くん」
「ああ。絶対に負けられない」
街並みへ投げるように尭史が言う。
その横顔を月居は眺めていた。
途切れた会話を感じて、また口を開く。
「ねえ、鮎川くん」
(もうやめて)
その先は本当に、聞きたくなかった。
ジェローナは一人耳を塞ぐ。
「わたしのこと、どう――」
(やめて!)
まるでジェローナの祈りが、通じたかのように。
その瞬間、ガラスの砕ける音が店内に響いた。
「なんや出せんとは! 金は倍払う言うとるやろ!」
二人揃って振り返る。
カウンター席で屈強な男が叫んでいた。
「あの人は」
尭史にとっては、何度も見たことのある人物。
大阪筆頭、逆嶋謙造。
界隈でも有名な無頼漢が、店員と揉めていた。
「ただそこにある酒を注ぐだけでええ。なんでそれができへんのや」
「ですからこちら、ご予約を賜っておりますので」
「せやったらワイの出した金でまた買えばええやないか! 聞けんやっちゃな」
財布から五千円を取り出すと、テーブルに叩きつける。
「もうええわ。釣りはいらんが、こんな店二度と来るか」
吐き捨てた後、肩を鳴らしながら店を出て行った。
「あの人、ベスト8にいなかった?」月居が問う。
「そうだよ。逆嶋さん。何年か前に世界大会でベスト4入りした実力者だけど、いい噂は聞かないね」
尭史は変に落ち着きながら、続ける。
「TCGに直結してるのは、大会の不正運営かな」
「運営に不正もなんもあるの?」
そうだな、と尭史。
「まずは良心的な収支を例にしてみようか。参加費1000円で、120人規模の大会企画。主催者が有名ってこともあって、普通に満員の予約が入るとする。この地点で収入12万円」
「でも経費かかるべ」
「場所代は終日一万円で済んだりする。贅沢しなければね。ドリンクや参加賞が一人500円として6万円」
「あれ、五万円余ってるな」
「そこなんだよ。上位賞を計三万円で済ませれば二万円余る」
そこから広報やスタッフへの謝礼を捻出するなら許容すべきだけど、と付け足す。
「つーことは参加費を吊り上げればそれだけ利益が増えるってことだっぺ。他の条件変えねーでも、一人頭1500円にすれば6万円の純増」
「参加賞なんか無くたっていいしね。しかも主催者と一部参加者が癒着すれば、更に利益が出る」
「どういうこと?」
「主催者は予約を受け付けた地点で、参加者のデッキを把握することになるだろ。それを参考に、自分の仲間が勝ちやすいようなマッチングを設定するんだ」
「えー、ずっこい」
「その仲間から開催前後にでも袖の下貰えば、実質的に上位賞代も割安で済む。それでまた利益増、さ」
「人からお金巻き上げて、エコヒイキもするなんて! ほんっとプレイヤーの風上にも置けんな」
「もっとも、救いっちゃなんだけど、そういう悪質な大会は減りつつある。ネットのおかげで一般プレイヤーにも運営の不正点が見破りやすくなったから」
「それってつまり、昔は荒稼ぎしてたってことだべ? むっかーくるなあ」
そう言って頬を膨らませる。
「逆嶋さんの場合、今は今で麻雀がどうとかパチスロがどうとか聞くからね。ちょっと信頼置けないなあ」
ちらと周囲をうかがう。店内はまだ逆嶋の波紋が残っていた。
叩き割られたグラスの掃除に追われる店員や、ざわつく客。
「なんか白けちゃったな。結構長居したし、そろそろ出よう。おごるよ」
「え! いーよべつに」
「助けて貰ったし、夕飯手当も配られたし。出させてよ」
「手当っていくら?」
「5000円」
「伝票見てみ。わたし結構飲んだから6000円超えてんべ」
「そんくらい気にすんなよ」
「気ぃーにするよぉ!」
「オレだって礼がしたいんだよ。出させろって」
「じゃ、こうしよ。また明日なにかおごってっ。ここは割り勘!」
「それなら、まあ」
半ば月居に押し負けるかたちで、会計を済ませた。
「これからどうする?」
月居は確かな足取りだった。
「さすがにこれ以上は出歩けないなあ。明日に向けて調整しないと」
尭史は少しおぼつかない。
「そっか……」
「月居は電車で帰るの?」
「え、あ、まあ、うん」
「駅まで送るよ」
物足りなさげな眼差しも、やはり尭史には通じなかった。
こうして二人は。
尾行されていたことについぞ気付かないまま、別れを告げたのだった。




