37 有害な前兆
逃げる当てはなにもなかった。ただ走った。
ブースを抜け、ホールを出て。なんの考えもなく、外を目指した。
尭史に体力がないのはどうしようもない事実だ。
フォームは無駄だらけだし、息もすぐに上がる。
格好よく外へ出ることさえできなかった。
「鮎川さん!」
玄関まであと少し。というところで腕を掴まれる。振り解きたくてもできない。
太い腕。警備員のもの。
「困りますよ。特集記事用のインタヴューもありますし、選手村等に関する説明も行いますから」
聞くフリをしながら逃げる隙を窺うものの、二人、三人と警備員が増えてくる。
尭史には従うほかなかった。
連れられて会場へ戻る。
胸ポケットの中で、ジェローナは一人心配そうな顔をしていた。
会場では一日目の閉会が告げられ、一般客がぞろぞろと流れていた。
帰宅者が混雑を起こしてはいない。むしろ半分以上はその場に残り、草試合やトレードに興じていた。
うつむいた尭史に気付く者は、まるでいなかった。
案内された先は、これまで通りの控え室だった。
準決勝進出者のみならず、64人全員が集まっていた。
集団の中で月居だけが尭史を見つめていたが、彼はそれに気づかなかった。
全員の集合を確認すると、スタッフが景品を配り始める。
参加賞として発売前の最新弾ボックス。加えてプロモーション・カード。
配布終了をもって準決勝進出者以外は解散となる。
月居や馬渡といった面々は、そこで控室を出た。
残った八人には、いくつかの上位入賞者特典が贈与された。
ビジネスホテルのキーと夕食・朝食手当。
最後に、しばらくこの場に待機するように告げられた。追って個人インタビューが行われるためだった。
尭史の順番は三番目。一人当たり十分が費やされるとして、半刻足らずの余裕がありそうだった。
それがどうにも所在なく、部屋の隅でそわそわとしていた。
「落ち着いた?」
二人目が部屋を出たあたりで、ジェローナが訊いた。
「あんまり考え込んでもいいことないわよ」
(考えなしでもいいことは転がりこまないだろ)
「曲解だわ、そんなの」
(誤解でもなければ無理解でもないはずだ)
「尭史、あなた疲れてるのよ」
(そんなことは……、いや)
どうなんだろうな。そう言って溜息を吐いた。
「あ~ら辛気臭い!」
ちょうどそのときだった。
一人の男が、尭史の隣にどかっと腰を下ろした。
「げ。伊豆浜……さん」
尭史が座る位置をズラしたことに、ジェローナは気付いた。
「ちょっとォー! 目の前でげはないでしょげは。まったく尭史ちゃんはツンデレなんだからァん」
「いや伊豆浜さんにデレたことありませんけど」
「こないだワタシのこと、好きって言ってくれたじゃない!」
「あっ見え透いた嘘吐くのやめてもらえます? 一周回って本当みたいに聞こえるんで」
「ヤダワァ。ワタシは気にしないわよ」
「伊豆浜さんの都合は聞いてないす」
そのやりとりに冷やかな目を向けられていることに、尭史はようやく気が付いた。
なお、ポケットの中から。
(誤解だローナ。伊豆浜庄兵衛さん、次の対戦相手だ!)
「無理に取り繕うことないわ。性癖で人を評価するほど狭量な人間じゃないわよ私」
(その気遣い要らないけど!)
尭史が伊豆浜を睨んでみると、なぜかウインクで返された。ジェローナ以上にサマになっていた。
なお伊豆浜は男である。
「それでどうしたの尭史ちゃん。せっかく勝ち進んだのに暗い顔しちゃって!」
「もともと根暗なんですよ」
「ウソおっしゃい。二年前はもっとキラキラしてたわヨ」
「二年もあれば性格歪みます」
「たったの二年で何が変わるって言うの」
「でも自分、思春期でしたから」
我ながら苦しい言い訳だと思う尭史。だが伊豆浜に弱音を吐くつもりはなかった。
彼とはそう深い関わりはない。まして次の対戦相手ともなれば、見栄も張ろう。
「マ、無理に訊き出すつもりはないわ。人に言えない悩みくらいあるでしょうしネ」
実のところ、伊豆浜には虚勢だとバレていた。
「でも二つ約束して頂戴」
「なんですか?」
「その暗さを明日に持ち越さないで。真正面からかかって来なさい」
「もちろんですよ。正々堂々勝負です」
言ったそばから、尭史の胸は痛んだ。
「もう一つ。そんな顔してるとハッピーが逃げるわよン。笑顔でいなさい、ワタシの尭史ちゃん」
「とりあえず伊豆浜さんのモノでないことは明言しときます」
「まままさか他の誰かのモノになってしまったの!?」
「このオカマ一体何を言い出すんですかね」
「最悪前は甘んじるわ。でも後ろの初めてはワタシが貰うわよ!」
「ホント勘弁してください。冗談に聞こえませんから」
ちょうどそのとき、スタッフが尭史の名前を呼んだ。
(助かった……)
反射的に立ち上がる尭史。
「尭史ちゃん、ワタシの部屋は0506号よ。夜にいらっしゃい」
「これほど恐ろしい時間指定も他にないでしょうね」
扉の奥に消えるまで、伊豆浜は手を振り続けていた。
「あの人、三回戦について何も訊いてこなかったわね」
面談室までの廊下で、ジェローナが言った。
(そうだっけ? 貞操守るのに必死だったからよくわかんねえや)
「貞操だなんて、よく言うわ。私のこと触りまくってるくせに」
(いくらオタクでもカード触ることにエロス感じたりしないよ)
「どうだか」
(おまえ今スリーサイズ、上から 12.6 / 12.6 / 12.6 だからな? 凹凸なさすぎて面白くないよ)
「そんなこと言って、ホントはインクのハリがピチピチだとか思ってるくせに」
(ごめん流石に意味が判らない)
「っと。話が逸れたわね」
(どの口が言うんだ)
「やっぱり尭史、考え過ぎよ。尭史を悪く思う人なんて、そうはいないわ」
(気休めは嬉しいよ。でもそれはTCGを知らない人の言葉だ)
「……ッ。そんな言い方ってないじゃない」
(それがあるんだよ。あの勝ち方は、カードゲーマーなら誰もが妬むものなんだ。もし伊豆浜さんの敵意を刺激してないとしても、大多数は悪く思うに違いない)
言葉通りの背徳感が、尭史を苛む。
だからつい、余計なことまで言ってしまった。
(悪く思うヤツがそうはいない、だって? それはカードに詳しくない人間の言葉だ。気休めでしかない。やめてくれ)
「なん、ですって」
ジェローナが言葉を詰まらせているうちに、面談室へとたどり着いてしまった。




