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恋愛もの短編集

100のため息

「即興小説トレーニング」様に投稿した作品に加筆してお送りいたします。

「毎度ありがとうございます。全部で2400円になります」


 紙袋に数冊の本を入れてテープで封をし、手提げのビニールに入れて差し出すとその人はにっこりと笑って「ありがとう」と必ず言い添えてくれる。

 釣り銭とレシートを手渡すときにほんの少し指先が触れてしまうのは乙女心、見逃してほしい。


「ありがとうございました!」


 自動ドアを抜けて出て行く彼の後ろ姿を見送り、それも見えなくなると思わず「はぁ~」とため息をついてしまった。


「ほら、やっぱりため息ついてるじゃん」


 横のレジを担当している芙由香ちゃんがにやにやと私を見る。


「う」


 言われてみればその通りだ。ついついため息が出てしまう。主に彼がかっこよすぎて。



 私は立川菜々子。大学生。駅前の大手の本屋でアルバイトをしている。


 週に2回はうちの本屋を訪れる彼のことは、実は私は名前も知らない。ただ、かっちりと週2回買い物に来て、決まった雑誌やたまに文庫本なんかを買っていくだけだ。でもそれもかれこれ2年近くになればさすがにお互い顔見知りと言っていいだろう

 一緒に働いている芙由香ちゃんは、そんな私を見ていつもやきもきしているようだ。


「あ~もう、告っちゃえばいいのにさ」

「だって名前も知らないんだよ! ただの本屋の客と店員なのに、おかしいでしょ」

「おかしいわけないでしょ。----古澤明人」

「へ?」

「まさか知らないとは思わなかったよ。彼の名前よ、古澤明人」

「ふるさわ……あきひと? えっ、なんで芙由香ちゃん知ってるの?!」

「菜々子が知らない方が引くわ-。こないだ取り寄せ頼まれたのよ。そのとき聞いたの」

「えっ! 取り寄せ……そんなあああ! 私がやりたかった!」

「菜々子が風邪で休んだ日だよ。しょうがないでしょ----いらっしゃいませ」


 ちょうどお客さんがレジに来て、その話はそこで打ち切りになった。


 古澤さん。古澤さんっていうんだ。


 名前がわかったことで私はもう有頂天だった。

 でも、こんなに彼のことが好きで、ストーカーみたいな目つきで眺めてるなんて知られたらどん引きされるだろうな。

 ましてや、彼と何回会えたか数えてるなんて知られたら気味悪がられるに違いない。


 今日で通算93回目だ。


 そして芙由香ちゃんいわく「彼が帰る姿を見るたびにため息をつく」らしい私のため息も93回ということだ。


「ため息を集めて花束を」なんて歌があったような気がするけど、93本の花を集めた花束なんて、たとえペンペン草でも豪華に見えるに違いない。







 数週間後。


 99回目のため息の元が自動ドアをくぐって店内へ入ってきた。


「いらっしゃいませ」


 声をかけると私を見てにっこりと笑ってくれた。それだけで私はもう嫌いな棚卸しだって一人で出来ちゃいそうな心境です。


 彼、古澤さんが店の奥へ歩いて行くのを見つめている私に芙由香ちゃんがにやにやと話しかけてきた。


「ねえ、いいの? 告らないで」

「だって……」

「うじうじしてないでさ、思い切って言っちゃいなよ。もう足かけ2年近い片思いでしょ? 菜々子なら本当は男なんてよりどりみどりなんだからさ、そろそろけじめつけて次のステップに進んだ方がいいと思うんだよね。老婆心ながら」

「芙由香ちゃん----」

「古澤さんにさ、好きなんですってはっきり自分の口で言って----あ」


 芙由香ちゃんの言葉がぴたりと止まったのを不審に思って顔を上げると、目の前には目を丸くした古澤さんが立っていた。


「あ、い、いらっしゃいませ」

「あの、その----すみません、これください」


 聞かれちゃったんだろうか。おそるおそる見上げた彼の顔は、いつになく暗い表情で。

 もしも私たちの話を聞いた上でこの表情なら----


 うわああああああっ!

 私の気持ちは迷惑ってこと?!



 この日の私の99回目のため息は、ちょっと湿っぽい涙混じりのため息になったのだった。







 数日後。私はまた本屋のバイトに入っていた。あれから古澤さんはうちの本屋に現れていない。


「暗い。暗いねえ。頼むから売り物の本に涙のシミをつけるんじゃないよ」


 少しおどけたように芙由香ちゃんが言う。うん、とガチガチの笑顔を無理矢理返し、私は本にかけるカバー用の紙を折っていた。


 単純作業っていいね。ちょっと落ち着いて考え事が出来る。黙々と手を動かしながら私は古澤さんのことを考えていた。

「ありがとう」って言ってくれる柔らかな笑顔。そのとき、ちょっとだけ細められる瞳。

 釣り銭を返すときに触れる手はちょっとだけ冷たくて。


 2年近くもこんなことを繰り返していたんだなあ。そう、2年も。なのに、予想外な場面で嫌な方向に流れていっているみたいだ。

 2年間の私の想い。好きであることを後悔することはないけれど、もしこのままだめになるなら、私はこれからずっと一つだけ後悔していくことになるんだろうか。

 好きだと言えなかったことを。



 そう思ったら、なんだか気持ちがすうっと一つにまとまっていった。ちょうど糸と糸をより合わせて太い糸を作るように、すっきりと。


「----ダメ元で言ってみようかな」


 迷惑らしいのはわかってる。でも、私もこの想いに決着をつけてあげないと。せめて伝えるだけでもしないと、芙由香ちゃんの言うとおり私はなかなか前に進めないだろう。

 勇気を出せ、菜々子。だめだって答えのわかっている告白なんだから、まだ告白しやすいんじゃない?

 よし! 今日は古澤さんがいつも買う雑誌の発売日、つまり古澤さんがうちの本屋に来る日だ。いいじゃない、ため息100回目にして玉砕、とかきりがよくて。

 盛大に失恋して盛大に芙由香ちゃんに慰めてもらおう。





 そう決心したのに、その日の営業時間中は古澤さんは来なかった。







 来なかったんだけど。


「あの」

「ふあっ!」


 思わず変な声を上げてしまうくらい驚いた。目の前には----古澤さん。

 バイトがひけて裏口から出てきた目の前に立っていた古澤さんは、硬い顔つきでまっすぐ私を見ていた。


「突然済みません。あの----立川さん」


 私はいつも名札をつけているので、彼が私の名前を知っているのは当たり前。でも、声に出して呼ばれるとさすがにびびる。私は息を飲み込んだ。


「あの、立川さんは----古澤が好きなんですか?」

「え?」


 舞い上がっていた私でもその小さな違和感に気がついた。


「古澤、さん?」

「あいつもここの店に来てるとは知らなかった。あまり本を読むように見えないし。……ああ、いや、だからその、立川さんが古澤の奴のことが好きなら、俺----」

「ま、待ってください! だって、本の注文するのにあなたが古澤って書いたって友人が言うから、てっきり……」


 そこまで言って固まった。

 いやだ、こんなふうに言ったら私が彼のことを好きだって言ってるようなものじゃない。

 顔がかああっと熱くなるのがわかった。

 それきり彼も何も言わないのでいたたまれなくなって、恐る恐る顔を上げると、暗がりでもわかるほどに彼の顔も真っ赤だった。


「まさか、俺の名前を古澤だと思ってた……?」


 やっと口を開いてくれた彼が聞いて、私は小さく頷いた。


「俺は古澤じゃない。佐倉健人っていいます。あの本の取り寄せは古澤に頼まれた奴を俺が代わりに注文しに行っただけで」

「かわりに?」

「だって、本屋に行けば君に会えるから」


 それに古澤はタラシだから、君に会わせたくなかったなんて言われて私はもうのぼせてひっくり返りそうだ。


「その、ずっと好きでした。俺とつきあってもらえませんか」


 いつも見る穏やかな笑顔。古澤さん改め佐倉さんの思ってもみなかった言葉に思わず涙がこぼれる。


「え、わ! 泣くほどいやだった?!」

「ちが、うの」


 そういって彼の顔を見たら勝手に顔が緩んで勝手に笑顔になってしまう。


「うれしくて。だって、私も」


 とたんに彼の顔が大きく輝いて----そのまま抱きしめられた。

 恥ずかしいのとびっくりしたのとうれしいのと、いろいろないまぜになって息が止まる。でもそれ以上に驚くくらいの安心感。


「私も、ずっと好きでした」


 私の100回目のため息は幸せをかみしめた安堵のため息になった。

お読みいただきありがとうございました。

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