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二章 一話

 二章


 世界はそう簡単に変わらない。

 私が体調を崩しても、私にいいことがあっても。

 そんなこと世界には関係なく、何事もなかったかのように回り続ける。

 世界が優しくしてくれることはないし。昨日と同じ私を要求する。

 だから私は。

 嫌なことがあった日

 寝て、次の朝に目覚めたら。

 いつもの私に戻らないといけない。

 私が周囲に影響を及ぼしてはいけないと思うから。


 私がまどろみの中から脱したときに、ふと気が付いた。

 今日は雨だ。窓ガラスを雨粒が叩いている。光が見えない。

 昨日の今日で雨だなんてついていない、なんて憂うつなんだ。私はそう体を起こした。

 いつもより重たい体を引きずって私は、草木に水をやり、自分にもご飯を食べさせて学校に向かった。

 朝いつものように友達とすれ違い、教室で言葉を交わす。

今日の私はきちんと、「普通」にできていると思う。それはいつもと同じという意味の普通。

そして私を取り巻く環境も「普通」。

 幸いなことに、転校生が私の悪い噂を流していたり、クラス全体に根回ししている雰囲気はなかった。

そうだ、私はそんなドラマ的な展開を心配していたのだ。

 朝、学校に来てみたら、下駄箱に靴がなかったり、椅子に画びょうが置かれていたり。

 昨日、あれほどまでに真っ向から宣戦布告されたなら、何か行動を起こしていてもおかしくないはずだ。

 今思えばバカな心配だなと思うけど、同時に何事もないのが少し気になる。何もないことが少し不気味にも感じられる。

「今日は、雪。来ているね」

 私は光が登校すると、真っ先に話しかけた。それはなんのけない日常会話。

「うん、無理やり連れだしちゃった」

「最近、何か変わったことは?」

 光は席に着くなりノートを広げる、光は器用に宿題を解きながら私と話をする。

「それは?」

「一週間前に出されてた、英語の宿題」

「光が宿題してないなんて珍しいね」

「家に忘れてきちゃったの。たぶん今日の授業これ使うと思うから、早く解いちゃわないと」

「見せようか? 私の」

「いいよ、なんかずるっぽいし」

宿題は教科書に出てくる単語の意味と用法の書き出し。そう簡単に終わらないそれを、光は律儀に解きなおしていた。

 光はまじめで、何事にも一生懸命だ。それが今はなんだかまぶしい。

 こういう手順のショートカットを嫌うのは、物事の過程が自分を成長させるんだっていう確固たる信念があるからだと思う。それでいて彼女が弱音を吐いたり、途中であきらめることはあまりなく。

 だからこそ、雪について頼みごとをしてきたときは驚いたんだ。光自身、こうふわふわしているのに、あまり人を頼りたがらないから。

 光はどんな時でも明るさを絶やさない。不安や弱気というものを表に出さない。

 私はそれがなぜできているのか、不思議でたまらない。

「あ、そうだ」

 光がノートから顔を上げて、ちらりと雪の方を見た。

「雪の絵が完成したよ」

「また新しい絵? 最高傑作になるかもしれないってやつ?」

「ううん、それとは別なの」

 光の声がはずんでいた。最近はずっと沈んでいたからすぐに声音の変化に気が付いた。

「白い、風景に女の子が立っている、そんな絵」

 意外だった、彼の作品を多く見てきたからわかる。白を基調とした絵を描くなんて珍しかった。

「曇り空と、海なんだけどね。明るくないけれど。でも綺麗だったよ」

「私も見たいな」

「いいよ、今日バイトないなら、うちにきなよ」

 何か、雪に心境の変化でもあったのだろうか。光の思いが届いたんだったらいいなと、少し思ってしまう。

 でも、かわいくないことに私は、別の可能性も模索してしまうんだ。

「光の家久しぶり。楽しみね」

 そう次の授業の準備を始める。

「あ、辞書がない」

「辞書、そういえば出してないね」

「宿題と一緒に忘れてきたみたい」

「それにしても、今やった宿題はほぼ完ぺきに正解なんだけど。なんなの、暗記したの?」

「うん、だいたい覚えてる」

 この子はたまにすごいことをやってのけるから、変わっている。

「私、貸そうか?」

「でも、そうすると真昼の辞書なくなっちゃうよ」

「予備があるからいいの」

 私は最近電子辞書を買った。その割には紙の辞書も手放せなくて、実は机の中に入っている。

「持ってくる」

そう私はいったん光の席から離れ、辞書を取り出そうと机の中をあさる。すると辞書に何かが挟まっているのが見えた。

とっさに封筒だけ抜き取って光に辞書を手渡す

「どうしたの?」

「なんでもないよ」

 光は感がいいから、気づいてしまったかもしれない。

昨日の一件を知っているならたぶん思い当たるはずだ。

ちらりと見えた可愛らしい便箋、カエルの柄、差出人の欄には縁の文字。

 どうやら私の予感は悪いものに限って当たるらしい。

「憂うつ」

 わたしはそうやって光に微笑みかけた。

でも、うまく笑えている自信はない、たぶん引きつった笑みになってしまっていただろう。

 それをみて光は何かを察したのか、何も問いかけたりせず。

「がんばろっ」

 そう微笑んでくれた。今日一回目のいいことだった。


*  *


 光の家はこの町の左側に位置する住宅区にある、私の家があるエリアとは学校を挟んで反対の方向、実は写真館と光の家は近くよく来るのはそう言うわけだった。

 このあたりは十年前くらいに区画整備されて、一斉に新しい家が建てられたから、立ち並ぶ家は同じ形をしていて、電柱も道路も新しくて歩道なんてタイル張りで、ベンチまである、おしゃれてカワイイエリアだった。

「相変わらずここら辺は綺麗ね」

そんな住宅区中央の公園、その左に光の家はある。

余談だけれど、ここから数十メートル離れたコンビニのすぐ近くが雪の家。両家族はもともと仲が良くって一緒に引っ越してきたらしい。

「お邪魔します」

 そう、私はまだ真新しい玄関をくぐり、光の部屋に直行する。

「ゆっくりしていってね」

 光の部屋は一言でいうなら整った部屋。

光のイメージ、見た目や身なりに反して部屋は大人っぽい。壁紙は白を基調としていて、物は片付いていて整理されてる。

そして壁に絵が飾ってあった。

「これが、雪の絵?」

「そう。けっこう前から、少しずつ書いてたんだって」

 私はその絵に見入る。こんな絵もかけたのかと素直に驚いた。

「なんだかほっとした。前までの絵って言っちゃ悪いけど……。精神不安定なのかなって思わされたし」

 その絵は、曇り空と海を眺める少女の後ろ姿の絵だった、白いワンピースに帽子、長い白いリボンを垂れ下がった両手で持っていて。顔は少し上を向いていた。

 その少女は何かを待っているようにも見えて、何かを失って茫然としているようにも見えた。

「でもなんだか胸が締め付けられる」

「そう? 私はなんだか落ち着くよ」

 光の声はどこかはずんでいた。

「私は、この絵は光が喜ぶほどの明るい絵だとおもえないよ」

「明るくないけどさ、でもましかなって。それに思うんだ。この絵の女の子のモデル、私かなって」

 光の横顔に笑みが浮かぶ。

「確かにそうかもね、この絵をあなたに送ったのも、光がモデルだからかも」

 私はその時よぎった不安を口に出さなかった。本当に光がこの絵から安心感を得てるなら。それを奪い去ってしまいたくなかった。

「そうだ、真昼の好きなハーブティー入れるね」

 光が手を一つ叩くと、髪を揺らして首を傾げ、私を見た。

「久しぶりに来てくれたんだからもてなさないとね、私少しだけ入れるのうまくなったよ」

そう言って元気に光は部屋を飛び出していった。

 それを見送って、私は絵に向き直る。

 見れば見るほど、雪らしくない。雪は何を思ってこの絵を書いたのか、それがわからない。

「……。この絵、私はなんだか決意めいたものを感じるのよね」

 いつもと違う絵、それだけでこうも不安感を掻き立てられるものだろうか。

 黒い絵と対照的な、白い絵、黄色みがかった白い砂の海岸と、灰色がかった曇天と。

純白なのは少女だけだけど、その少女も光を象徴してるんだとしたら、隣に誰もいないのはなにかの暗喩なのではないだろうか。

「ねぇ、光」

 私はそこにいない光に問いかける。

ねぇ光、あなたはもうこうやって楽観するしかできることがないのね。

 雪は今日学校に来た、私たちの説得が功をそうしたのかもしれないし、また別の理由があるのかもしれない。少なくとも今日学校に来たからと言って、明日も学校にくる保証はどこにもなくて。

 むしろ素直に今日学校に来たのが不思議に思えるくらいだった。私は不安感を拭い去れない。

 雪が大人しいのは何かの前触れではないのか、この絵のことといい。まるでこの世に禍根を残すまいとしているみたいじゃないか?

 わからない、雪も、光も。何を考えているのか、なにがしたいのか。

分からない。

「消えて、なくなる」

 私は唐突に思い浮かべた、前に光が言っていた、さようならのことを。

 もし雪が消えたら、光は笑えるだろうか。

 私は思う。

 きっと笑える。光はカワイイ。きっと他のクラスの男子と付き合ったりして、毎日楽しく過ごしていけるだろう。

 雪がいなければ、ここ最近暗かった光もなかったことになって、私もこんな苦労はしなかったんじゃないだろうか。

 これは、光に対して雪が送ったメッセージ、その真意を私はくみ取れないでいた。

 雪が光に送ったさようならのメッセージなのか。

 それとも、光が雪をあきらめるように促す暗示なのか。

 私はその絵から何か不吉な物を感じ取った。私は絵に向かって腕を伸ばすその瞬間。突然部屋に風が吹き込んだ。

「あれ、喜多さんじゃないか。光は?」

「雪……」

 雪がいた、開いた窓から顔だけ横から突き出して。重力に髪が引かれてさらりと揺れる。

 聞いたことがある。雪はこの家への出入りを自由に許されていて。合鍵まで持っていると。

「それにしたって、なんで窓から?」

「隣にテラスがあって、そこから顔だけ出してる」

「女の子の部屋勝手に覗くなんて趣味が悪くない?」

「そうかもね、でもこうやって声かけられたくないときはカーテン閉めておいてって言ってあるし」

 それにしたってカーテンの閉め忘れなんて事故もありうるだろうに。

「雪、私。聞きたいことがあるの」

「俺のこと? ほとんど調べつくしたんじゃないの」

 雪は少し眉をひそめた。

「そうね、それについては不快な思いをさせたと思う、失礼だったわね。ごめんなさい」

「それに、真昼さんはそんなに首を突っ込んでくるタイプじゃなかったと思ったんだけどな」

「光があまりに必死だったからよ」

「過保護だな、ほんと」

「さすがに学校に来なかったら、幼馴染としてほっとけないと思うけど」

「そんなの、よく考えたら問題にすることでもないってわかると思うんだけどな」

 そう、なんでもないことのように雪は言う。

雪はやはり、人と価値観が違うと思った。決定的にずれている。人と同じように生きることに必要性を見いだせない人種。

常識に縛られない人種とは私が苦手とする人種であり、理解不能で、それがとても忌まわしい。

脳裏に、乃杁の影がちらつく。

「雪、この絵」

 私は絵を指さす。

「なんでこんな絵を?」

「光が、あんまりつらそうだから」

「つらそうにしているっていうのは、わかってたのね」

「わかんないわけないないだろ、これでも生まれた時からずっと一緒なんだ。けど、どうしようもなかった」

「あなたが毎日学校に来るだけで解消されると思うけど?」

 そう問題はごく簡単に解決されるのだ、雪が学校に来ればいい、ただそれだけ。

「どうにか学校きて、まじめに授業を受けようとは思わないの?」

「学校には行ってる、けど授業を受けてる時間は無駄だ。そうあの子を説得した。できれば納得してもらいたかったけど」

「あの子が納得なんてするはずないじゃない。ちゃんと学校に来ないっていうのは、社会から足を踏み外す第一歩なのよ。それを分かってるから光はこんなに必死なのに」

「踏み外すか……。踏み外して何が悪いんだろうね。あそこにいたら俺は、自分が成長するために使う時間が、無意味に消費されてしまう。もったいないんだ」

「社会に出た時の一般常識になるのよ、それを無駄って、あなたどうかしてるわ」

「そうかな、あれは自分のやるべきことが見いだせない人間が、後々やりたいことができた時に困らないようにって、手広くなんでもかんでもやっている状態じゃないか。それが効率がいいとは思わないし、俺には必要ないってわかってるから」

「それが学校にこない理由? 光にはいったの?」

「何度も言ってるな、でもそれだけじゃないからってしきりに言うだけだ。話にならないね」

「光をこのままにしておくつもり」

「……悪いとは思ってるよ」

 雪との話し合いはずっと地平線をたどる、堂々巡りだ。話が一歩も前に進まない。

そのことから、光以外に心を開いていないのがわかる。

その、心を開いている光すら、雪は顧みない。

これほどまでに真っ直ぐに、雪はどこに向かっているんだろう。

こんなに、学校に行く時間を惜しむほどに、芸術に打ち込む必要なんてどこにあるんだろう。生きていれば、時間はまだまだ沢山あるっていうのに。

「雪……単刀直入に聞くわ。あなたは死んだりしないよね」

「すごい突拍子もないこと言うんだね、喜多さんって。でもそれは絶対ないよ。俺が死んだら、光が悲しむから」

「案外、帰ってきた言葉が普通で驚いている私がいるわ」

 雪の姿が、窓枠の中から消えた。首だけ出しているのがつらかったんだろうか、今度は顔を見せずに声をかけてきた。

「普通ねぇ……」

 声だけが帰ってくる、すこし遠くて、聞き取りにくい。

「みんな、俺を変わってるっていう」

 私は何も返せない。その発言の意図も、なにもわからなかった。

ただわずかに彼の声音に、しんと怒りが積もっているようで。

私は次の言葉を待った。

「みんなどこかで一線を引いて、彼は変わってるからでなんでも済ませようとする」

 雪は言う、そんなどこかあきらめを含んだ言葉。

「雪? それは理解されたいってこと?」

「理解? 理解されるってことがよくわからないな」

「受け入れてほしいってこと?」

「違うな、あいつと自分は違うって線を引かれるのが嫌なだけだよ」

 雪は今まで、線を引かれ続けてきたということだろうか、そして思うにその線を引かなかった、もしくは超えられたのは光だけだったのではないだろうか。

「それが学校に来ない理由?」

「いや、関係ない。ただ作品に打ち込みたいんだ。ただそれだけ」

 私は絵に向き直る。

「ねぇ。この絵。なんで隣に誰もいないの?」

「そのほうが綺麗だろ?」

「きれい? 私なら、普通の女の子なら。女の子がさみしそうに立ってる絵なんて、男の子からもらったら不安になると思わない?」

「思わないな、僕は変わってるから」

 そう雪は逃げの一手を打った。あえて周囲からの評価をかぶることによって『変わっていると言ったのは君たちだ、覆すのは許さない』と抗議の声を向けている。そんな気がした。

「いずれ光はこうなるの? 一人残されて。悲しいけど泣くこともできない」

「……俺は、光のことが好きだ」

 私は素直に驚いた、雪は難しい言葉で本心をごまかそうとするから、ストレートに感情を表に出したのに驚いたのだ。

「もちろん友人としてだけどさ」

「どうかな」

「俺がそうだって言ったら、そうなんだ」

 雪は少し考えるように、口をつぐんだ。そして意を決したように口を開く。

「俺は、なんだかんだ言って、光の強引なところ感謝してる、光と出歩くのは楽しいし、彼女の友達はいい子ばかりだ、きみも含めてね」

「それはありがとう」

「だからさ、俺がもし消えるとして、光には悲しい思いはさせないよ。この世界から痕跡も記憶も全部なくしてさよならする、そんな風に光には俺の思い出を残さない」

 死ぬとしたらだけどね、雪は静かにそういった。

 それは、光が前に電話口に言っていた都市伝説のことだろうか。

「破滅願望?」

「そんなたいそうなものではなくて、単なる、そうだったらいいなって話だよ」

 その時、この部屋に近づいてくる足音が聞こえてきた。おそらくは光、そしてその足音に雪も気が付いたのか、もしくは私の以上に気が付いたのか、雪も言葉を切った。

「この話はまた、今度かな」

「今度があるのなら」

 そう言って雪はベランダから室内に入ったのだろう。扉を引くような音がした、それと代わるように光が部屋に入ってくる。

「なんで真昼立ってるの? ずっと絵を見てたの?」

「絵が語りかけてきたのよ」

「え、なにそれ」

 そう光は小さく笑った。


*  *


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