一章 二話
あれはなんだったのだろう。まるで大きな窓から別の世界を覗いたような違和感と、高揚感が私の体に満ちていた、おかげで授業中に集中が途切れるし、ふと思い出して上の空になってしまって、光や友人の話を聞き逃したりした。
らしくない。それはわかってる、けど忘れられないんだ。彼の冷たい視線と、何かを求めるように伸ばした、指先に表情。
そんな風に、いつもの調子とはいかなかったものの、無事に学校を終えた私は大きな通りを西に向かって歩いていた。ケーキ屋さんとか、雑貨店とか。そういうのが立ち並ぶこの田舎町の一番にぎわうエリア。
私は学校が終わると必ずと言っていいほど。そこに足を向ける。
帰り道というわけではない、むしろ私の家からは離れていく。
なぜかと言うと、この先にあるお店で私は、アルバイトをしているからだ。
私は高校に入ってからバイトを始めた。喫茶店でのバイト、勤め先の名前は鳳堂写真館。
その店との出会いは全くの偶然、というか勘違いで。
最初は、いいカメラやそれに類する何かがあるかと思って入ってみたのだけど、想像していたのとは全く違っていて。
確かにカメラも置いてあったのだけど、多くは展示品で売り物じゃなかった。
「え? カメラは?」
そこは単なるアンティークなカメラを展示しているだけの単なる喫茶店だった。
今思い出してみても顔が熱くなる。
だって、写真館と看板に書いてあって、外見がおしゃれな西洋風で、窓から見える店内には大きな額縁に入れて写真なんかが飾ってあったから。勘違いしてしまっても無視は無いと思うんだ。
まぁそのあとなんやかんやあって、私は高校卒業までここでバイトさせられることになった。
本当のところ、高校生活は成績優先で行きたかったのだけれど
そう、なぜこうなってしまったのかと、自分の運命を呪って、ため息をついて、大きな看板の前にて足を止める。
これは、掲示板、お客さんに足を止めてもらうために、今日のおすすめや、気を引く一言を書き込むためのボードだ。
今日のお勧めメニューはブレンドコーヒーとチョコレートクリームたっぷりのせたドーナッツ、それがセットで安くなるメニュー。
そしてその看板の一言欄にはお客でも、スタッフでも誰でも何かをかけるように、ペンが置いてある。
そこに私は気まぐれでこう書き込んだ。
『今日の誕生花はラベンダー 花言葉はあなたを待っている』
そう記入して私はお店の中に入る。
店内は音で満ちている、アクアリウムの酸素ポンプの音と、緩やかなジャズ。そんなBGMを塗りつぶすようにドアベルの音が響き。
「オーナー、ボード書いときましたよ」
そう私は写真館内にいるはずのオーナーに声をかける、けれど。
返事はなかった。
これはなかなか珍しい。オーナーは耳がいい、私が看板にペンを走らせる音すら聞こえているのがオーナーだ、だから私が入ってくるのを待ち構えていてもおかしくないなのに、店の中には誰もいなかった。
そう、誰もいない。
お客さえ、いない。
人の気配が全くない。
いや、違う。一つ。耳を澄ませると聞こえてくる音があった、紙がこすれる音、私にとっては聞きなれた音。本のペーシをめくる音が聞こえてくる。
私は足音を忍ばせて奥へと進む、すると広い店内にただ一人の客がいた。端っこの窓際の席で本を開き、それを頬杖をつきながら見下ろすように読む青年。
私はその人物が誰かわからなかった、今まで見たことがないからお得意さんではないとは思うけど。
(オーナーがお客一人を残してお店をあけている? そんなことあるの?)
考えればかんがえるほど不思議だった、だいたいこの時間はお店が込み始める時間帯なのに。
(ほんと、どうしたらいいんだろう……)
私は、声をかけるタイミングを失っていた。そして柄にもなく人見知りを発揮していて、なかなか声をかける気になれない。
けれどそうはいっていられない、彼の集中力はすさまじく、私に気が付く様子はない。私から動けばいいのに、それもなんとなく静らかった。
だったらどうする、私はここで彼が動くのを待つのか? 答えは否だ。
私は無駄な時間が嫌いだ、目の前にやるべきことがあるならそれをとっとと片付けたい。だから彼に気づかれるのを待つなんて選択ありえない。
だから私は勇気を振り絞って一歩、前に出た。
その時、私はその本のタイトルが目に入ってしまう。
それは、今では風化し忘れられつつある、過去の名作。私以外同年代でそれを読んでいるのは初めて見た。
そのことに衝撃を受けた。
やがて私は、その本が昨日この写真館に置いて行った、私の本だということに気付く。
そのタイトルは車輪の下。
私はそれだけで動けなくなってしまった。
時計が六時を告げる音を鳴らす、ジャズをBGMに店内へと夕陽が流れ込んできて、それが写真館を、本を、私を、彼を染め上げた。
けれど青年は日の傾き具合も気にしない。首を傾けると茶色く細い髪がさらりとこぼれ。ページをめくる指は長く、陶器のように白い。
(この人……。どこかで)
私は青年を凝視する。まるで時が止まったようだった。太陽の光が黒みを帯びるその変化で時間が過ぎていることをうかがい知れる。そんな時間が長く続いた。
(彼はこの物語の中に何を見るだろう)
車輪の国は、とある国で生まれた、頭がいいけど心が繊細な、そんな青年の一生を描いた物語だ。
一言でいうなら、その物語は世界に振り回される彼を描いた物語、沢山の思惑を持った人間たちが、彼の優しさ、心の美しさにすり寄って、代わる代わる彼に自分の色を付け、勝手に離れていってしまう。そんな物語を彼は読んでどう思うだろう。
(感想を聞いてみたい)
そう声をかけようとさらに一歩近寄ったその時だった。不意に、背後のドアが開いた。
そして反射的に、私の口が勝手に反応してしまった。
「いらっしゃいませ……いっ」
職業病とでも言うべき反応、しまったと思った時には遅かった。店内に響いた快活な私の声。隠しようがなかった、
そして私は横目で青年を確認した。なんだか、悪いことをしたような気持になったのだ、けれどこれでもかと言えるくらい青年は私に目もくれない。
それを少し悲しく思いながらも、開かれたドアの方に視線を戻すと、そこにいたのは、紙袋を両手に抱えたオーナーだった。
「おや、真昼ちゃん。来ていたのかい」
私は思わずため息をついた、今日は私がバイトに来る日というのはわかっているはずなのにまたそんなことを言う。
レジのそばにはシフト表があり、そこにはっきり書いてあるじゃない。
また忘れていたんだなと、私は内心呆れる。
「こんにちは、オーナー」
「もう、こんにちはの時間は過ぎてるよ、それより部屋の電気くらいつけたらどうだね」
そこで私はやっと気づく、もう暗い。私の就業開始時間を優に超えていた。
「あの、オーナー。私のシフト覚えてます?」
「ノイリ、また暗くして本を読みおって。目を悪くするぞ」
私を軽く無視してオーナーは壁際のスイッチを押す。するとようやくノイリと呼ばれた青年がこちらに視線を向けた。
「おじいさん、帰ってたの、気づかなかったよ」
そう青年の表情が柔らかく変わる。
「そちらの女性は?」
「名前を聞くときは、まず自分からの約束だろう?」
そう促されるままに青年は席をたち、私の前に立つ。
座っていた時には分からなかったが、相当に背が高く細身だ。かといって華奢さは感じられず、ただ立っているだけなのに堂々とした様子を感じさせる。
「俺は『布施 乃杁』年は十八。好きなものはアルコールと、綺麗な景色で。写真を撮るのが趣味」
「お酒は二十歳からだよ」
「海外では十八から飲めるところも多い。日本生まれだけど、日本で育ったわけじゃないんだ、それにクォーター」
私は乃杁の顔色を窺ってしまう。
私を変な子だと思われていないだろうか。
彼は私がここにずっと突っ立っていることを知っているのだろうか、彼は今読んでいる本が、私の本だと知っているのだろうか、オーナーから私のことは聞いているのだろうか、聞いているとしたらどこまで、どんなことを……
やっぱり、初対面は苦手だ。必要以上に気を使う。それでいて平静は保ちたい、保っているように見てもらいたい。
そんな私の心中はお構いなしに乃杁は柔らかく微笑んで見せた、長めの前髪が揺れる。
私は思わず視線を横にずらした、するとそこにはオーナーがいて、次は君の番だと目で促してくる。
「喜多 真昼です。すぐ近くの高校に通っています。高校二年生です」
「そしてここの優秀な店員だ」
そうオーナーが言い、私の肩を叩く。
「そして優秀だから、明日の乃杁の買い出しにもついていく」
……え?
「ちょっと待って、勝手に決めないでください」
そう私はオーナーの手から逃げる。そのまま溜息をついて2人を交互に見た。
「私たちは、孫と祖父の関係でね。ちょっとした事情で数年うちで預かることにした」
そう言うと乃杁は会釈して。よろしくとだけ言った。
「そしてなにかと入り用なんだが、私はこの店を離れられない。なにせ買い物に行きたい時間帯は営業中なのでね」
「今日はなんだったんですか」
「乃杁が店番をしていたから買い物に行けたのさ」
「だったら私が店番してますよ」
「それじゃ店が繁盛するだろう」
「ああ、店が混むのは嫌ですね」
「そうだろう」
オーナーはこの店を穏やかさを売る場所と表現している、要は人の多い街中から外れて自分一人の空間をつくることのできる避難所としてここをやっていきたいそうだ、儲かるかは別にして。
「でも、私明日もシフト入ってますよ」
オーナーは人のシフトを忘れていることがよくある、
「ああ、そうそう。真昼ちゃんのシフトだけどね。明日は多めに人を入れてある。こうなるかもとは思っていたんでね」
そう老人はからからと笑う。
「そんなに、俺と一緒は嫌かな?」
乃杁がそう尋ねてきた。
私は言葉をうまく返せなかった。
今、すごく無神経なこといったかもしれない、乃杁を傷つけたかもしれない。そう思って。
「わかりました、まぁいいですよ、もう」
私は鞄を背負い直して更衣室に向かう。
「っと、そうだった、オーナー。いい加減自分でおすすめメニュー。ボード書くようにしてくださいね」
そう振り返ってオーナーに告げる。
「私毎日来られるわけじゃないんだから」
私はおそらく、その作業を明日はできない、何せこの謎の青年と買い物へ行ってそのまま帰るだろうからだ、街中には私の母の店がある、帰りにそこへよってたまにはお店を手伝おうっていう算段だ。
それにしても面倒なことになった。
* *
私はそのあと少しだけお店の片づけを手伝って、家に帰って化学とか物理とか集中的にやって光と電話を少しして、雪のことも話して寝た。
そんな平凡な一日は、昨日とほとんど同じことの繰り返し、たいして変わらない日常が、今日この日まで積み重なって今の私がなりたっている。
人は安易に刺激を求めがちで、きっとみんな私のような人生は退屈だというだろう。でも私はそうは思わない。だって刺激は人を、殺すこともあるから。
だから私は劇的な変化なんて望まない。
け、どたいてい劇的な変化は私の意志に関係なく向うからやってくるから、警戒してても意味がない。
それこそ奇声を上げながら、もうダッシュで。私はそれを回避できるほど器用ではないことを最近分かってきた。。
私はそこで、ふと顔を上げるように、目を見開くように、物思いから帰り、目の前の光景を漠然と捉える。
学校の私の教室、見慣れた光景であるが、いつもより少し人口密度が高い。
それはたぶん転校生が来るからだ。この教室にいれば今日転校してくる美少女が見れるかもしれないとみんなが集まっている。
私からしたらいい迷惑だ、だって、この人ごみの中からある人物を探さないといけないんだから。
私は目を凝らす、どうやら教室にはいないみたいだ。
でも、いなくたって問題ない最終的には彼は私の元にやってくるようになっているから。
だって、私の座っている席は自分の席ではなく、目的の人物の席、『炉宮 雪』の机なんだから。
「真昼。今日転校生来るって」
そう人ごみの隙間を縫って、つぶされそうになりながら這い出てきたのは光。その表情が少し陰りを帯びている、当然だ、だって今から私がしようとしているのは彼女がやってほしくないと思っていることだから。
「ああ、だからなんとなくにぎわってるのね。うちのクラス?」
「うん、女の子だって」
「私、あんまり来てほしくないなぁ」
その発言が意外だったのだろうか、光は大きい瞳を真ん丸に見開いて、次の瞬間にはすべてを理解したように笑った。
「学校祭も修学旅行も再検討する必要があるから?」
「まぁ、そうね」
このクラスはお世辞にもまとまっているなんて言えない。クラスのリーダー格は複数いるし、いじめというほどでもないけど、やっぱりカースト制度は存在する。以前から私はクラス内で自分の立ち位置というものをいい場所に置こうと努力していたけど、ここで転校生が来たらクラスにどんな影響があるか。
「真昼、やめない?」
光が、不安げに私を見上げる。その動作はまるで子犬のようで、とっても、かわいい。
「いや、さすがにあれはないでしょ、三時間も待ちぼうけよ」
「あの時はそんなに怒ってなかったでしょ」
「怒ってなかったよ、今も怒ってないもの。ただけじめは必要でしょ?」
「けじめって……」
そう光が不安そうな声を上げた、私がクラスの真ん中で彼を罵倒するとでも思っているのだろうか、いやたぶん違うな。
知られるのを恐れてるんだろう、彼の現状が周囲に知られるのを怖がっている。
「ゆき……」
そう、隣で光がつぶやいた。彼女の視線を追ってみればそこには、四人の男子グループが教室に入ってくるところだった、その中でひときわ目を引く青年が一人。
背は高く、色も白い。はかなげな青年。やや猫背で無造作に切りそろえられた前髪が目元を隠してる、なのに暗い印象を受けないのはなぜだろう。ふと彼を観察してた私の目と彼の目があった。切れ長で形の整った目だが、それが笑顔に歪んだところを私は見たことがない。
彼が光の幼馴染の『炉宮 雪』。
「真昼、何にも言わないよね」
そう光がかすれた声をだし、私の服の裾を掴んだ。
「光が心配しているようなことにはならないよ、約束する」
その声が聞こえたのか聞こえないのか、雪はゆっくりとこちらに向かってくる、それを私は笑顔で迎えた。
「おはよう、雪」
「おはよう、真昼。先日は申し訳なかったね」
雪の方が先に本題に入ってきた、たぶんそうやって主導権を握りたがってる。
「別に謝らなくていいのよ、責めたいわけじゃないの、なんとなくそうなる気はしてたし」
その時、雪の視線が鋭いものに変わった。
「そうだね、明らかに説教する気だったろ、関係ない奴の説教ほど不愉快なものはないよ」
「そう? 関係なくはないかと思うけど」
私は光を見た、右手を胸の前で握って、すごく不安そうな顔をしている。今すぐやめてほしいと思っているんだ、けどごめん、あと一歩踏み込ませて。
「あなたが学校を休むのは勝手だけど、光はそれをすごく心配している、そして光を心配させるあなたのその行動を見過ごすわけにはいかないのよ。軽い気持ちで学校を休んでいるなら、やめてくれないかな?」
その瞬間、雪が人差し指でわたしの唇をふさいだ。
「その話はまた今度にしなよ」
「今度? 機会があるって期待していいの?」
「ああ、もちろん」
「……。言うからには次はすっぽかさないんでしょうね、絶対ね」
私は焦点を雪の後ろにずらす、雪と仲良く話していた三人の男子がこちらの様子を雨過会っている、そして女子が数人、こちらを気にして視線をちらちらと送っていた。
周囲の視線が私たちに向けられつつあることを、私は悟っていた。これ以上はさすがにまずいだろう、私としても目立つは好きじゃない。
「ああ、今度は絶対につきあうよ、逃げられないってことは今わかった。……というわけで席からどいてもらえるとうれしいんだけど、真昼さん?」
仕方ないから私はどける、隣で光が安堵のため息を漏らした。
同時に教室内がシーンと静まり返った。先生が入室したからだ。
普段は教師の登場くらいでは話を中断する人はいないけれど、今日は特別で、みんな先生の第一声を待ち望んでいる。アニメやドラマなんかでよくある、あのセリフを。
「ほら、席に就け」
私も大人しく席につく、窓側最前列の私的にはかなり気に入っている席。
そこから振り返って、光に向けて手を合わせる、すると光は困ったような表情を作って笑った。
(雪がもし、本当に話す気になったんだとして、雪と面と向かって話をするとして私は何を言ったらいいのだろう)
そんなことを漠然と考えながらチャイムを聞き流すと、先生が朝の挨拶もほどほどに。
今日は新しいクラスメイトを紹介します。とテンプレートを使って話を切り出した。
その言葉を合図に、教室の扉が開きゆっくりと女生徒が入ってくる。
その女の子はさっそく黒板に名前を書いて。そして自己紹介を始める。
「ウチの名前は――」
私はその情報を知っている、だから私の興味はそこで途切れ、今抱えている難問の対処へと向けられるのだった。
雪はいわゆる不登校児だ。ただし、いじめや、何か問題に巻き込まれているわけではない。学校に来ない理由が全く持って不明。それはなかなかにありえないことだった。
私たちは、学校というものに縛られている、学校に行かないことは悪いことという概念が私たちの中で根付いているんだ。
それにプラスして、私たちは理解している。学校に行かないというのは、後れを取ることだと。
勉強面で後れを生み、人と人とのつながりも薄れてしまう。数日風邪で休んで、なんとなくクラスに居場所を感じられなくなるというのはよくある話で、そちらの方が怖いと感じる生徒が中にはいるだろう。
だから、学校に行かないことはストレスであり、そんなストレスを受けるくらいなら、学校に行く。そんな選択肢をとるのが今の日本の学生というものだ。
けれど雪は違う、彼はそもそも学校を休むという行為にストレスを感じない。
いじめられている可能性はない、光も私も学校の中ではそれなりに顔が広いほうだが、私たちはそんな噂欠片もきいていなかった。ならほかの理由かとも思ったけれど光自身も心当たりは全くないといった時点でお手上げだった。家も隣な幼馴染が家庭での問題に気づけないわけがないし。家庭に問題があるなら学校に来たがるはずだから。
家庭でも学校でも問題がないなら他に問題があるはずがなかった。
基本的に、私達学生は学校と家庭以外に世界を持たないから、それは断言できる。
だからこそ私は結論付けたのだ、雪は学校に行くことに価値を感じていないんだと。
数週間前のこと、光は泣きながら私に電話をかけてきた。雪が遠くに行ってしまいそうで怖いと。
光のことは、心配だ。実際今すぐにでもなんとかしたいと思っている、けど。
泣いている光の、雪への思いを聞いて、うらやましいと私は感じていた。
私にはそんな大切な人はいない、きっと私は誰かのために涙なんて流せないと思う。そういう冷たい人間であることを私は自覚している。
だからろうか、普段あまり人の頼み事は受けない私が光の頼みごとを受けてしまった、一緒に雪が学校に来ない原因を突き止めてほしいというそのお願いを聞いてしまった。
次の日から私は、雪に関して調べられる情報を、とりあえず全部調べてみることにした。
生年月日、得意科目、好物から身長、体重。趣味、部活での立場、教室での立場。
調べれば調べるほど、彼に異常性は見当たらず。どこにでもいそうな高校生造が浮かび上がるだけ。
ただ一つ、普通でない点を挙げるなら、彼は絵を書く趣味があって、それはとても美しく鮮やかな油絵で。
何度も市のコンクールで賞を取っていた。そして私は彼の身辺調査のついでに彼の絵を見に行ったことがあるんだけど、あの絵は素人目に見てもすごいと思った。
それは評判通り、美しく鮮やかで。
そして想像以上に絶望的だった。
黒を基調とした絵を彼は多く書く、そのどれもが同じ黒を使っているそうだ、なのにどれも別の色に見えた。黒以外の配色、そして構図で黒を変化させ描くのは、どれも絶望だった。
羽根のない天使、空には帰れないと暗いどこかで涙を流す。
黒い卵から生まれた老人。表現したのは死への恐怖。
全部が全部強烈な印象を見るものに与え圧倒してきた。
そして絶望を感じさせた。きっともうどうにもならないんだろうなという衝撃を見るものに与えてくる。そんな絵を雪は書いていた。
それが彼の学校へ来ない原因と関わっているのかはわからない。
でも、私はすべてを調べ終わった結果、なんだか安心してしまった。
光が心配するようなことは実はないんじゃないか、そう思えたから。
雪は普通の、どこにでもいる高校生だ、そう思えるようになったから。
それでもやっぱり光が泣くから、最終手段として彼を問い詰めることにしたんだ。
そこから数日前の待ちぼうけ事件につながる。