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一章 一話

 私の栞は特別性で、その昔小樽に旅行に行った友達が私にくれたものだった。

 それは紫のステンドグラスに蝶があしらってあって幻想的。

 そんな紫色のステンドグラス越しに世界を見ると、世界が正しくない『なにか』なんだと、錯覚させられる。

薄紫に染まったきらきらした世界は、見ている風景をゆがませただけじゃなくて、そういう歪んだ考えも全てさらけ出させて、私へと届けてくれる、そんな気がする。

 だからかもしれない、この栞がお気に入りなのは。

 そう私は、ガラスの栞を本の上に置いた。本のタイトルは車輪の下。

 読み終わってしまった。

私は本を読み終えてしまったその時の感覚があまり好きじゃない、完結した、すっきりと終わったはずなのに、何か心にぽっかり穴が開いてしまったような、そんな感覚にさせられるからだ。

私の口から思いがけずため息が出て、それをごまかすように私は冷めかけのコーヒーを一口すする。

おいしい、そう感じる。香ばしくて、酸味が少なくて、ここのコーヒーはやっぱり冷めてもおいしい。

私はカップを置いて、視線をなんとなく店内に向ける。

するとだ、同じように周囲を眺めてている老人と目があって。見つめあってしまう。

そして次の瞬間、その老人が私にウインクを飛ばした。

彼はいつだってお茶目で、いたずら心を忘れない、整った身なりときれいな白髪を紳士風に整えた初老の男はこの店のオーナーだった。

「おかわり、百円だよ」

「従業員からもお金とるんですか?」

「従業員だからこそ、こんなに長い間居座るのを許しているんだよ?」

 そういたずらっぽく笑う老人。

 私は空になった珈琲カップを下げに席をたった。カウンターに静かに置き、投げ出してあった懐中時計を手に取る。

「三時間も待ってるじゃないか」

 オーナーが不思議そうに言った。私がこんなに暇そうにしているのが珍しいんだろう。

私としても帰って数学の問題集でも片付けたいのだけれど、そうはいかないのが私の現状と言ったところ。

「真昼ちゃんは、待ち合わせの時間や、約束なんかを破られたなら。ものすごく怒る性格だと思っていたが、ずいぶん律儀に待つじゃないか。そんなに大切な待ち合わせなのかい?」

「大切な待ち合わせですよ、そもそもその子は不測の事態が起きない限り遅刻なんてしない、だとしたら不測の事態が起きたってことで、きっと彼女は悪くない。それに覚悟はしていましたから。そういうこともあるかもって」

 実際、この待ち合わせは成立するか怪しい。最悪来なくてもしょうがないくらいに私は思っていた。

「お? 来たんじゃないかい」

 私がコーヒーのおかわりを注ごうかどうしようか迷っていたその時、老人がドアの方を見やりそういった、土を蹴るわずかな音だけで人の来訪を予測するのはオーナーの得意技で、オーナーの指折りカウントにぴったり合わせて、ドアベルがリリリリンと激しくなった。

「いらっしゃい」

 息を切らせて閉めた戸に寄りかかる少女。急いできたんだろう、私はそれがすこしうれしく感じられた。

「ごめんなさい、真昼、私。連れてこようと思ったんだけど」

 そう、その少女の言葉尻がしぼむ、本当はひとり彼女の友人を連れてくるはずだったのだ、とても大切な友人を。

「無理だったんでしょ? なんとなくそんな気はしてたんだけど。ねぇ光、嫌がるならそっとしておいてあげるのも手だと思うよ」

 私はその小柄な少女の頭をぐしぐしと撫でる。光はふわふわとしたくせっけをふり乱して首を強くふった。

「逃げちゃって、追っかけてたの」

「まぁまぁ。落ち着いて。その話はゆっくり聞くから、まず座って」

 そう私はさっきまで自分の座っていた椅子まで光を案内し座らせる。

「ようこそ、鳳堂写真館へ。ご注文をどうぞ」

「今は、そんな場合じゃないよう、真昼」

 光が何かを言い切る前に老人が現れ、光にティーカップを手渡す、中にはミルクティーが入っていた。

「飲み干して」

「え?」

「いいから」

 黙ってそれを飲み干す光。

「おいしい」

 ここのミルクティーは甘さ控えめ香りが強めだ、一気に飲み干すと喉から紅茶のいい香りが上がってくる、ほっと一息つくにはもってこいだ。

「でしょ、だから次は味わって飲んでね」

 そう言って光のティーカップにおかわりのミルクティーを注ぎ、向かいの椅子を引いて私が座る。

「落ち着いた?」

「うん、でもこれ、おいくら?」

「この子の給料から引いておくから問題ない」

「オーナー」

 そう私は意識してオーナーをにらむ。

「……、すまない、そんな怖い顔しないでほしい」

そう、老人が離れていくのを見計らって、私は話を始める。

「あれほどばれないように気を付けてって言ったのに」

「私、なにも言ってないよ」

「光はすぐ顔に出ちゃうから。今だってすごく心配そうな顔してるわ」

「え……」

「私の約束を破ったことより、逃げた雪のことの方が心配なの?」

「……。うん」

「素直な子ね」

私は本を窓際の小さな本棚にしまう、そして光に向き直った。

今は話を聞いて彼女の不安を和らげるのが先決だろう、そう私は訊きの姿勢を作って、笑みを浮かべて見せた。


   *   *



   *


 私の朝は草木の目覚めと同じ時間だ、草木に朝日が当たれば光合成が始まり、部屋の空気が清潔なものに変わる。

 私は深く伸びをしてその空気を胸いっぱいにすいこんだ、胸にたまっていた淀んだ空気を吐き出すと、頭が冴えていくのを感じる。

 私はベッドから起き上がり。ドア付近に転がっている如雨露を手に取った、台所まで水に行った。

その時に家族が起きていれば、おはようをかかさない。

ちなみに私の家族構成を説明しておくと、母、兄、妹、おじいちゃんで。この家族を一言で表現するなら、大人しいだ。

特に騒がしい性格の人間もいないし、おじいちゃんの影響から家族全員が本が好きだ。そして母と兄は観葉植物をはじめ、花や野菜の苗を栽培して売る仕事をしている。

だからその影響で、私の部屋のいたるところに植物が置いてある。

私の部屋のドアを開けて真っ先に目に入るのは、大窓の周りに置かれた無数のサボテンたち、左右に首をふれば、日当たりのいいスペースには分厚い葉っぱの観葉植物。反対側には可愛らしい花や実をつける、家庭栽培の野菜たちだ。

植物は好き、だって朝にはいい香りを放って、部屋の温度を適温に調整してくれる

だけど悲しいことに、友人達にはあんまり理解されない。

やんわりと私の家で遊ぶのを避けられるようになったのが小学生のころ、その時から私は友達をなるべく入れないようにしていた、新しくできた友達でも、応接室でおしゃべりするか、妹の部屋を借りてゲームをするかして遊ぶ。

例外的に私の部屋に通す場合もあるが、それはあの部屋を面白がっている光くらいなもの。

 そんなこんなで如雨露が空になるまで水を撒いて三十分。ようやく私は朝の身支度に取り掛かる、土で汚れた指先、朝の運動で流した汗、眠気などをとめて洗い流すためにシャワーに入り。背中までかかる黒い髪をとかす、特に何もない日はポニーでまとめる。

 その工程を鏡など見ないで歩きながらやっていると、妹が私の足にじゃれ付いてきた。

「おねえちゃん、何で歩いて髪をとかしたりできるの?」

「慣れれば、夕奈でもできるよ」

 そう私の後ろをついてくるのは妹の夕奈、人懐っこくクラスメイトにも人気の夕奈は今年小学四年生になった。

「でも、まずは夕奈の髪を背中くらいまで伸ばさないとだめね」

「あたし、髪長いの好きじゃないの」

 そう間延びした声で話しかけながら、必死に私の歩幅についてこようとするその姿がとてもかわいい。私の癒しその2だ。

「よく櫛に引っかかったりしねぇよな」

「結構髪の毛のケアには気を使ってるから、簡単にはからまないんだよ、アサ兄ぃ」

 そう歯ブラシを口に突っ込んで、向かい側から歩いてきたのは兄の朝華。

「おまえを見てると、なんかせわしなくてやだね」

「お兄ちゃんは、出勤時間が遅いからのんびりしてられるけど、私はそうはいかないの。高校生は八時までに学校についてないとだめなのよ?」

「髪とかすくらいすぐできるだろ? それとも鏡見るのが嫌とか?」

 そう朝歌が歯ブラシをシャコシャコ動かしながらたずねる。反対の手は跳ねた髪を撫でつけるので忙しい。

「私、自分の顔嫌いなのよね」

「ぶすじゃねぇのに」

「怖いのよ、なんか無表情で、ぶすっとしてて」

「気づいてたのか」

「……朝から失礼な兄貴は、夕奈に嫌われればいいんだ」

 そのまま、家族全員でご飯を食べ、それから部屋に戻って制服に着替える。

机の隅に飾っているオジギソウに顔を近づけて、行ってきますと囁くと。天辺の葉っぱがさみしそうに頭を垂れた。

 この時点で七時ジャスト。まだまだ学生が家を出る時間には早いけれど、私には早めに学校に行ってやらなければならないことがあるから。

 思わず私はため息をついた、気持ちを引き締めるのには不思議とその動作がしっくりくるんだ。

 光からはよく、やめなさいいて言われてしまうけど。染みついた癖はなかなか取れないもんなんだ。

 私の家から学校までは徒歩で30分程度。

そして、この時間帯に学校に来ているのは、朝練のある部活に所属してる生徒、もしくは委員会活動に精を出す生徒たちで、私は委員会活動のために早めに来ている。

放課後に比べて活気の少ない校庭を横切って学校に入り、教室に荷物を置いて、私は裏庭に向かった。途中でクラスの女子達とすれ違い。「早くからご苦労様」「みんなも、ご苦労様」なんて言葉を交わす。

それから、向かったのは、日当たりがいいだけのさびれた一角。

そこに小さな花壇があって。私はこの花壇を整える役をもらっていた。

私は花壇の前にしゃがみこみ。昨日の委員会で預かった袋を開く。

「なにこれ……」

 私はそのパッケージを眺めながら固まっていた、それはアネモネの球根、春先に咲く多年草で、グロテスクなまでに鮮やかな赤系の色が特徴だ。ちなみに花言葉は『恋の苦しみ』なんだけど。

 おそらくは、部長のちょっとしたいたずらだろう。

 季節外れのアネモネの花を、一人で植えるというあたりに悪意を感じる。

「だいたい、この花、毒があるのにいいの?」

 私はアネモネの球根をじっと見つめる、玉ねぎより二回りほど小さいそれは、確か適当に埋めていいわけではなかったはずだ。

「どっちが、上で、どっちが下?」

 こんなことなら家の手伝いくらいしておけばよかったかな、なんてできもしない想像をしながら、朝華が球根の植え方についてウンチクを語っていなかったかな、なんて記憶をあさる、朝華は花屋に努めてるだけあって、私にたくさんの植物を分けてくれるだけあって、草木の変な知識は披露してくれるが、こういう基本的なことについてはあまり語ってくれない。

たとえば、トリカブトの根はサラダにするとおいしいとかね。毒を抜くか、毒のないものを食べる風習があるとかないとか。

 ああダメだ、いくら思い出そうとしても余計な知識ばかりが思い出される。

そう私がスコップ片手に、球根片手にうんうんうなっていると。

不意に白い紙片のようなものが落ちてきた。 

見れば、花壇の隅っこの方に長方形の白い紙が突き刺さっている。

どうやら、何も印刷していない写真の現像用紙のようだった。

何だこれは。

それは手を伸ばせば届く距離にあった、私はそれをためらいもせずに抜き取った。やはりそれは何の変哲もない写真用紙。

「どうなってんの、これ」

そして次の瞬間には空から大量に同じものが降り注いでくる。

「これ、どこから」

 私はゆっくりと視線を持ち上げた、そうして真上を見上げた時、青空とともにそれが目に入った。

 羽根が舞っていたんだ。

 写真用紙ではなく。

 本物の真っ白い羽根が。

 そして、屋上に誰かいるのが見えた。逆光で黒い影にしか見えないけれど、その人物は羽根を掴みとろうとしているのか、屋上の鉄柵から身を乗り出して空に手を伸ばしている。

僅かに面影を読み取れた。大体同い年くらいの男の子だった。

 ここは学校だというのに不思議と彼は制服を着ていなかった、鮮やかなオレンジの民族風の上着に麻のパンツ。そしてざっくばらんに切られた髪が風に揺れている。

 その青年は、私が今まで接したことのある人間たちとは、かなり違う人種な気がした。何かこの世の法則から逸脱しているかのような印象を私は受ける。

直感的に思ったのだ。彼と自分は住む世界が違う、育った環境も違えば、価値観も違う、今こうしてたまたまお互いが干渉できる位置にいるけど、私は決して彼に手が届かない。

そんな感想を持った。

太陽の角度が変わり、わずかに彼の表情が見えた気がした。なんだか笑っているように見える。 

彼はいったいなんなんだろう。

 少し興味がわいた。彼はなんだかおもしろそうだという好奇心がわき出した。

 その次の瞬間。

「そこの人!」

 ……え、なんで。

 私は自分の行動に、自分で驚いた。

 私はを声を張り上げていたのだ

 そうすると青年は私の方へ視線を向ける、表情は見えないけど、私を見ているのだけはわかった。

「えっと、そこ立ち入り禁止だよ!」

 後先考えず声をかけてしまった私は言葉に詰まった。結局そんなセリフしか言えず。私は後悔することになる。

 いや、他司会に間違ってない。屋上に人がいること自体、学生服を着ていない人間が学校にいること自体おかしいから、注意を促す必要はあるんだけど。

 ああ、なんでだろう顔が熱い気がする。汗が滲み出る、握った手が湿ってきた。

 そんな風にテンパる私を見下ろす青年。その時少し太陽の角度がずれて、少しだけ青年の表情が読み取れるようになった。

 そして私は言葉を失った。

 口元は笑ってる。けど目がそれとはちぐはぐで。言ってしまえばそう。とても、冷たくて。

 私は思わず、息を飲んだ。

 まるで感情を感じさせないその目は、すぐに前髪に隠れて見えなくなってしまったけれど、目を閉じれば浮かんできそうなくらい鮮烈に、私の胸に焼きついた。

 およそ、人に向けるものとは思えない鋭利な視線。私がそれに怯み、二の句を注げなかった、私の動揺が伝わったんだろうか、青年は私から視線を外し、上着を翻して踵を返し歩き去ってしまう。

 私は、はじかれたように走り出した、アネモネの球根を投げ捨て。靴を履きかえるのも億劫だから裸足で。五階分の階段を駆け上がる、そして屋上の扉をあけ放つ。すると。

 そこには、誰もいなかった。いや一つだけ。靴が片方だけ置いてあった。

 まるで不完全な自殺現場のようなそれの光景を、私は、ただ茫然と見つめていた。




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