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君の好きなところ

作者: 水木麻衣

「……ひっく、……うぅ……っ」


「みおちゃんなかないで?」


 家の玄関先で幼い少女が大粒の涙を流す。こぼれ落ちた涙は次から次へとワンピースに染みて不揃いな模様を作って行く。

 少女の後ろには少女の母親が眉を下げて立っていて、目の前には同じ年の幼い少年が向き合っている。


「ひじりくん、いっちゃやだぁ……!」


「我が儘言わないの。お父さんのお仕事だからしかたないのよ?」


「だって、だって、あえなくなっちゃうっ」


「みおちゃん……」


 少年の服の袖をつかみ訴え始めて十分程。なだめようとする母親に嫌々と首を振り、長い黒髪を背中で揺らす。

 少年もまた瞳を潤ませて少女を見つめていたが、つかまれていないほうの手を強く握る事で耐えしのいでいた。


(ほんとうはいっしょにいたい! でもっ)


 少年は泣き続ける少女に抱きつきたい衝動を必死に我慢する。

 父の仕事の都合による引っ越しは子供である彼にとってどうすることも出来ず、ごめんねと繰り返す両親を困らせる事は出来なかった。


(はやくおとなになりたい。そしたらみおちゃんといられるのに……!)


 目尻ににじむ涙を荒く拭い、少年は今の自分に出来る精一杯の笑顔を浮かべた。

 大人である少女の母親にはきっと笑顔だとは思われないとしても、目の前で悲しむ大切な人にとって最後まで頼れる存在でいたかった。ドア越しにノックの音が何度か聞こえ、時間が迫るのを感じて小さな胸が痛くなる。


「――みおちゃん、やくそくしよう?」


「やくそく……?」


 丸い目を瞬かせる少女の眼前に、少年は指切りの形に作った手を見せる。意識がそれ、袖を離した手を強く握り頷いて。


「ボクがおおきくなったらぜったいあいにくる。だからなかないで?」


「ほんとうにまたあえる?」


「うん。やくそくするよ」


(ぜったいあいにくる。ぜったいわすれるもんか……!)


 少年は少女のことが大好きで、少女が泣く時はいつだって自分を頼ってくれて嬉しかった。泣かないでと慰めながら少女の頭を撫でるのが好きだった。

 しかし、それも今日まで。幼いけれど確かに育っていた思いは胸に秘めたまま。


「それじゃあずーっとまってるね!」


 やっと見せてくれた笑顔を眺め、少年は指を絡ませる。いつか少女の笑顔を守れる人になりたい、そう胸に誓いを立てながら――。






 月日は流れ、小学校低学年だった幼い少女はこの春高校二年生へと成長していた。変わらず黒髪を背中で揺らし、同じ色の丸い瞳が窓の外の景色を映す。

 朝のショートホームルーム前の賑やかな教室で、窓際の席に井上美桜いのうえみおは座っていた。

 いつもはパッチリと開かれている目が、時折瞬きとは違う動きを見せている。


(今朝は懐かしい夢を見たなー……)


 幼なじみとの別れを経験した、懐かしくも悲しい日の夢。

 美桜は別れた日以降泣く回数は減り、気がつけば涙を見せない真面目な子と言われるようになっていた。

 泣かなければきっと彼に会えると願い続けて気がつけば十年弱の月日が経っていて、願いはいつからか夢へと変わりつつある。

 それでも佐々木聖ささきひじりと言う名前を忘れる事はなく、似たような名前を見聞きする度に胸が高鳴った。


(元気かな。聖くんも同い年だから高二か……。あ、先生が来た)


「ホームルーム始めるぞー」


 扉を勢いよく開けて担任教師が教卓へと向かう。いつもはいない連れ人に教室のざわめきは収まらず、教師の隣に立つ人物に目を向けた美桜は目を見開いた。


(うそ……!)


 茶色気味のウェーブのかかった髪に同色の垂れた目、昔はかけていなかった眼鏡がよく似合い、背は男性教師の高さを超えている。

 女子生徒が囁き合っている中、美桜は目がそらせなくなった。


(聖君なの……?)


 これも夢なのだろうかと思い始めた美桜と視線が合った男子生徒は目尻を下げ、口を開く。


「佐々木聖です。親の都合で小さい時にいたこちらに戻って来ました。知っている人も初めて会う人もよろしくお願いします」


 ――別れが突然なら、再会もまた突然だった。







 休み時間に聖に声をかけようと腰を浮かせたが、美桜の席とは反対の扉側の一番後ろの席に座る彼の周りには数人の女子の姿。

 昼休みも女子に話しかけられてどこかへと連れ立って行き、浮かせた腰は何度も戻された。

 お弁当の玉子焼きを口に運ぶいつもより口数が少ない美桜を、向かい合わせにした席に座り同じようにお弁当のおかずを口に運んでいた友人が彼女をじっと見つめる。

 短い髪につり目の彼女は活発そうな印象だ。


「美桜どうしたの? 何か元気ないけど」


「んー、ちょっとね……」


「もしかして転校生?」


 友人の問いかけに美桜の箸が止まる。美桜が何かをごまかしても彼女にはいつも通用せず、今回も様子の変化に気づいて真っ直ぐ美桜を見つめる。彼女の力強い視線に貫かれると美桜はどうしても嘘がつけないのだ。


「前に幼なじみの話しをしたよね? 佐々木君がそうだと思うんだけど……」


「なら話しかければいいじゃん! わたしのこと覚えてる? ってさ」


「でもクラスの人が一杯いるし……」


「あー……」


 美桜のつぶやきに彼女は眉を寄せる。整った容姿を持つ聖は女子に大人気で、男子達もちらちら聖を見るが姿は女子に隠れて近づけそうになく。友人もまた聖が休み時間ごとに女子に囲まれる姿を見かけていた。


「確かにあれじゃあ話しかけにくいね。それなら放課後まで待ってみたら? 向こうから話しかけてくれるかもよ」


「うーん、そうだといいな」


 唐揚げを口に放り込んで口を動かしながら笑う友人に、美桜は曖昧に笑い返して再び箸を動かした。






 部活動に向かったり下校しようとする生徒の波の中、美桜は廊下を一人歩く。友人は部活のために教室で早々に手を振り、人にぶつからないように端を歩く肩は下がっていた。


(結局話しかけられなかったな)


 帰り際、今度こそ話しかけようと意気込んだ美桜の気持ちは聖の方を向いて一気にしぼんで行く。

 一緒に帰ろうと話しかける女子に彼は眉を下げながら笑っていて、その光景が美桜には印象的だった。

 長い月日は二人の距離を変えてしまったのだろうか。幼い時はいつも彼女のそばにいてくれた聖。人の輪は確実に広がり、いつも撫でてくれていた手が美桜には遠く見えた。


(我が儘言ったら駄目だよね。また会えただけでも贅沢なのに……)


 聖が引っ越した場所は美桜が住む所からは長距離になり、聖の父親が仕事で忙しいことも重なって会えたことは一度もなかった。姿を見られただけでも嬉しい事だと自分に言い聞かせる。

 指定の斜めがけ鞄を肩からかけながら、美桜は慣れた足取りで通学路を歩いて行く。この通学路は幼い美桜と聖が近くの小さな公園に行く時にもよく通っていた。

 聖が美桜の手を引いて転ばないように歩く速さを合わせてくれて。成長した今は視界が随分高くなって広がり、車道が狭く歩道がない道は小さい子供には安全とは言えない。

 美桜が安心して遊べたのは聖の優しさがあっての事だと気づいたのは小学校高学年の頃だった。


(そう言えば、お母さん今日出かけてるんだった)


 自宅にたどり着いた美桜はドアが開かない事に気づいて鞄から鍵を探す。


(あれ?)


 鞄を開けて探すも見慣れたキーホルダーのついた鍵の姿はなく、鞄を閉じた美桜は玄関前にしゃがむ。


(そう言えば、久々に寝坊して慌ててたから忘れてた……!)


 自分の失敗に後悔してもどうする事も出来ず、美桜は扉の前でしゃがんだままうなだれた。母親は午後六時半の帰宅を美桜に知らせており、ご飯の支度などは母がすると言っていたので問題はなかった。

 しかし、お金は持っておらず制服のまま、時間をつぶせる場所が思いつかない。


(どうしようかな……)


「――あら? もしかして美桜ちゃんじゃない?」


「え……?」


 かけられた声に美桜は顔を上げる。思わず首を傾げる美桜に、声をかけた小柄な女性が道で片手にビニール袋を持ちながら声を出して笑う。


「覚えてないかしら。聖の母よ!」


「聖君の……?」


「久し振りねー! 元気にしてた?」


「お、お久し振りです」


「もう、こんなに綺麗になっちゃって!」


 袋を持たない手をせわしなく動かす女性の姿に美桜の記憶がよみがえる。柔らかな髪に垂れた瞳。小柄で明るい性格と言う、聖の外見が似ていた彼の母親の姿だった。年を経て多少は年齢を感じさせるものの、明るい性格は健在だ。



 家に入れない事を伝えると家にいらっしゃいと聖の母に連れられ、美桜は佐々木家にお邪魔した。以前は美桜の家から数軒隣だったが、今はさらに歩いた距離だがそれ程離れてはいない。


「前の家は遠縁の人に貸しているのよ。まさか家族で戻って来れるとは思っていなくてね」


「そうですか……」


 リビングに通された美桜はソファーに座りジュースをご馳走になっている。好きだったわよねと出されたオレンジジュースに、美桜は覚えてもらえていた事が嬉しくて笑って受け取った。


「所で美桜ちゃん、彼氏はいるの?」


「――ごほっ!」


 テーブルを挟んで同じようにソファーに座る彼女が笑顔で問う。急な質問に美桜は吹き出しそうなジュースを何とか飲み込んで口を開く。


「彼氏はいませんよ」


「そうなの? こんなに可愛いからいるのかと思ったのだけど」


 真っ直ぐぶつけられる言葉に美桜は眉を下げて戸惑う。お世辞でも嬉しい言葉ではあるが、言われ慣れない彼女にとってどうしても頬が熱を持ってしまうのだ。


「そんな事ないです。――聖君こそ背が高くて格好よかったですよ」


 教卓の横に立つ聖の姿を思い出す。すらりとした長身の姿は人の目を惹いていた。


「あの子なんて夫に似て背が伸びただけなのよ? 顔は私似でイマイチよ」


 大声を上げて笑う彼女に美桜は曖昧に笑う。周りからはよく見えても母親からすれば今一つらしい。


「あ、そうそう。聖にはもう会えたかしら?」


 言いながら、聖の母はケーキを箱から取り出して一つずつ皿に乗せる。

 ショートケーキが美桜の前に置かれ、彼女はまた嬉しくなった。


「ありがとうございます。聖君は同じクラスになりました」


「それならもう話したの?」


「いえ、いつも転校生は生徒に人気で……」


 言葉を濁していると扉の開閉音が聞こえて母がまた笑みを浮かべる。


「丁度帰って来たみたいだし、話してやって?」


「えっ」


 慌てる美桜に彼女は目を細める。今までとは違う穏やかな笑みが美桜には聖と重なって見えて胸が高鳴った。


「ただいま母さ、ん……」


 尻が途切れた言葉が聞こえ、次いで美桜の背後で重い物が落ちる音が床に響く。

 振り向こうとした体は勢いよく閉じ込められ、テーブルの上にあるフォークが音を奏でた。


「美桜ちゃん……!」


 声を震わせる大きな体に、美桜は体が動かない。聖の体越しに見えた母はあらあらと右手を頬に当てていた。


「こら聖。美桜ちゃんがビックリしてるでしょ?」


 離してあげなさい、と言う言葉に腕の力は強くなる。


「やっと……やっと――……っ」






「ごめんね、美桜ちゃん」


 数分後、落ち着いた聖は美桜を解放した。

 お互い我に返って頬を染める様子を母は黙って見つめ、母さんはご飯の準備をして来るわね、とリビングを後にして行った。

 美桜の隣に座り眉を下げて肩を落とす聖に首を振る。


「謝らないで? ビックリしたけど大丈夫だから」


「俺、学校でも話したかったんだけどなかなか話せなくて」


「大人気だったね」


 聖は苦笑いをして母が食べてと置いて行ったチョコレートケーキに視線を向ける。美桜もつられるようにテーブルへと視線を向けた。

 ショートケーキとオレンジジュース、チョコレートケーキとオレンジジュース。それは二人の好きな物で思い出を切り取ってそこにあるようだった。


「転校する度にだから慣れたほうだけど……。美桜ちゃんと話せなくて忘れられたのかと思った」


「聖君……」


 美桜に視線を戻した聖は、小さくてしなやかな手にそっと触れる。


「――約束、覚えてる?」


 大きな手は片手を包み込むように触れ、美桜は顔に熱が集まるのを感じて息を深く吐いた後に小さく頷く。

 聖は顔をくしゃりと歪ませて口もとを上げ、美桜は最後に見た笑顔によく似ていると思った。

 泣きたいけど笑っている、そう見えて美桜の胸は熱くなる。


「嬉しいよ。俺はずっと願ってた。また会えて本当に……」


「あ――」


 手を引かれ、再び広い胸に閉じ込められる。先程とは違い苦しいものではなかったが、安心する香りと温もりに夢を見ているようで。


「少しだけこのままで――」


 低く優しい声色に美桜は静かに目を閉じた。



「それで話せたんだ?」


「うん」


 翌日、賑やかな教室の中で友人が問えば美桜は笑って頷く。その様子に彼女は胸の内で安堵の息を吐いた。

 美桜は積極的なほうではなく、そんな彼女が昨日、他の女子に遠慮をしていたのは気づいていた。

 美桜の隣に笑顔で立っている人物に胸を撫で下ろし口もとをつり上げる。


「わたしは山本陽南やまもとはるな。よろしく!」


「佐々木聖です。こちらこそよろしくね」


 立ち上がり聖の肩を叩いて名前を言う陽南に目を瞬かせた後、聖も笑う。陽南が太陽のように弾ける笑顔なら聖は月のような静かな微笑みで、そんな二人に挟まれる美桜は嬉しくなって顔を綻ばせた。






 ゴールデンウィークが明けた後、放課後の教室で聖は美桜に二枚のチケットを見せている。

 目を丸くさせて見上げる彼女に聖は一枚を近づけた。


「遊園地のチケット?」


「母さんが知り合いにもらったんだ。よかったら次の休みに一緒にどうかな?」


「私でいいの?」


「もちろん。美桜ちゃんだから誘ったんだよ」


 瞳を揺らす美桜の手にチケットを持たせる。ありがとうと返す彼女があまりにも嬉しそうで、二人の影が重なり――。


「聖君?」


「――あ、ごめん。何でもないよ」


 呼びかけられた聖は髪に触れそうになった手を緩慢に引っ込める。長く艶やかで、揺れる度に鼻をくすぐる香りは思いを募らせるばかりで。気を抜けば直ぐにでも撫でてしまいそうだった。


「楽しみにしてる」


「私も楽しみにしてるね」


 聖はあふれそうな思いを笑顔に閉じ込めた。






「うわー、すごい人……」


「ゴールデンウィークは明けたけど休日だからね」


 快晴の下でたくさんの人の中、美桜は辺りを見回す。家族連れから男女の二人組み、中には友達同士なのか男性の集団もあったりと遊園地にいる人は様々だ。

 聞き取れないほどの声があふれ、混じっているだけで心は浮き立ち。遊園地に久しく来ていなかった美桜にとってアトラクションなども変わっていて未知の世界だった。


「何から乗るの?」


 パンフレットを片手に見上げる彼女に聖は腰を落として内容に目を通す。

 一日ではとても回れない数で人気の物は待ち時間も長い。


「どうしようか。美桜ちゃんは絶叫系も乗れたよね?」


「うん! そのためにジーンズで来たんだよ」


 美桜は丈の短いワンピースに下はジーンズの重ね着をしていた。対する聖もジーンズに薄手のパーカーとお互い動きやすさを重視している。また、眼鏡ではなくコンタクトレンズをしていた。


「それなら最初はジェットコースターにしようか」


「そうだね。――聖君……?」


 聖は美桜からパンフレットを受け取って空いた手を差し出す。


「はぐれないように繋ごう?」


「でも……」


 頬を赤く染めてためらう彼女の手をつかんで軽く自分の方へ引く。

 想像よりも美桜の体が自分のほうへ引き寄せられて内心では驚きながらも表には出さない。


「みんな繋いでるから大丈夫だよ」


「確かにそうだけど……」


 辺りを見れば同じように仲良く手を繋ぐ人が通り過ぎて行き、中には腕を組む人もいた。


「ほら、早く行こう?」


「あ――」


 瞳が細められ手をさらに引かれる。強くはないけれど確かに自分を導いてくれる姿は幼い頃と重なり、そのまま連れられたくなるのは名残なのか違うのか。

 美桜には判断する術がなく、手を繋いだままうつむき加減で人の波に飲まれて行くのだった。






「次はどうしようかな?」


 ジェットコースターの他にフリーフォールや回転ブランコなど様々なアトラクションを楽しみ、いつの間にか手を引っ張るのは美桜になっていた。

 目を輝かせてパンフレットを眺め、そして聖を見上げる。繰り返されるパターンに聖は穏やかに返して。


「最後は観覧車にするって言ってたよね?」


「うん。最後はやっぱり観覧車かなって。駄目だった……?」


「ううん。俺も最後はそうしたいって思ってたから大丈夫。でも、帰る時間を考えると観覧車以外にあと一つかな……」


 パンフレットを眺める聖の目に一つのアトラクションが入る。


「美桜ちゃん、お化け屋敷は平気になった?」


「え……!」


 お化け屋敷と言う単語に美桜は体を強ばらせる。

 昔二人で親より先に入った時、聖とはぐれてしまい大泣き。泣き具合を不憫に思われたのかお化け役の従業員に出口まで連れて行かれた事は今でも覚えていた。


「あれ以来お化け屋敷は入った事ないんだ……」


「ここから一番近いからと思ったけど、苦手なら止めるよ?」


 美桜は頭を悩ませる。今いるエリアはメインのエリアから離れている場所で、近くのアトラクションは大体楽しんでしまった。

 今から他のエリアに行って並ぶには帰りの時間の都合で行けそうにない。


(もう高校生だし、きっと大丈夫だよね……)


「大丈夫。行ってみよう?」


「本当に大丈夫? 無理しなくていいんだよ?」


 気遣わしげに問う聖の手を引き美桜は歩みを進める。

 聖は引き止めたい一心だったが美桜の真っ直ぐな瞳を見てためらった。

 聖は幼い頃から美桜の真っ直ぐな視線が好きでもあり戸惑う事もありで。数少ない喧嘩をした時も涙を目に溜めながら真っ直ぐ自分を見つめて来て、上手く言葉が出なかった事もある。


(やっぱり君には勝てないな)


 心でつぶやきながらアトラクションに着くまでの間、小さな背中を眺めていた。



 係員の案内によりお化け屋敷の中に入ると、入り口近くから中は暗く、所々に光るライトが怪しさを醸し出している。

 どこからか聞こえる叫び声に美桜は体を震わせた。


「大丈夫?」


「だ、大丈夫……っ」


 震えた声を耳に入れ、聖は早速後悔する。

 二人が入ったお化け屋敷は出口までの距離が長く、どうしても耐えられない人はいくつかのポイントにある場所からリタイア出来る仕組みだった。

 内容としては係員に渡された一枚の紙に書かれているヒントを頼りに、設置されているスタンプを同じ紙に押して行くスタンプラリー式。

 出口の前にいる係員に全てのスタンプが押された用紙を渡してゴールとなる。


(とにかくはぐれないようにしないと)


 聖は繋いだ手に力を込める。


「美桜ちゃん、絶対手を離さないで」


「聖君」


「今度は俺が最後まで一緒に行くから」


(あの時のように一人にはさせたくない)


 胸に誓い聖は足を進めた。






――奥に向かう程お化けの数は増えて行く手を阻み、その度に美桜は短い悲鳴を上げていた。繋いでいた手は腕へと変わり、聖にしがみつくような体勢となっているが、美桜は姿勢を気にする程頭が回っていない。


(怖すぎる……!)


 出ては驚きを繰り返して美桜の神経はすり減り、叫ぶ事により体力も消費されている。

 美桜がライトが近く薄暗い中聖を見上げると、彼は美桜の腕と自分の腕を組みながら、前を見据えているようだった。


「美桜ちゃん頑張って。ここで最後みたいだよ」


「うん……」


 目の前には祠を模した物があり、開いた扉から内部に置かれたスタンプが見えている。


(これが最後なら出口は近いよね?)


 肩の力が少し抜けた美桜は、祠の近くにあるライトに照らされながらスタンプを押している聖の姿を見る。

 ――すると誰かが肩を軽く叩いているのに気づき、気を抜いた美桜は振り返ってしまった。


「きゃあぁぁぁ!」


「美桜ちゃん……!」


 振り返ると、焼けただれた顔で長い髪を乱した女性が美桜の肩をつかむ。

 不気味につり上がった口と上目遣いに美桜の恐怖は頂点に達した。

 ガクガクと震える足が立つことを止めてその場に座り込んでしまい、腕を組んでいた聖を巻き込んでしまう。

 聖はバランスを崩しながらも美桜に倒れ込む事を回避して座る。

 お化けは役目を終えたとばかりにうめき声を出しながら闇の中に消えて行くが、ライトに照らされる美桜は目に涙を浮かべて口を開けたまま固まってしまった。


「美桜ちゃん? 美桜ちゃん……!」


 組んでいた腕を離し、語気を強めて顔を覗き込む。するとようやく美桜は聖の姿を認識して口が動いた。


「――聖、くん……」


「大丈夫? 立てる?」


「ごめ、動けない……」


 美桜は足に力を入れようとするも上手く立ち上がれず、体を動かすだけになってしまう。

 近くには聖が持っていた紙が落ちていて美桜はうつむいた。


「ごめんね。最後まで驚いてばかりで……」


 用紙に触れ、美桜は鼻の奥がツンとするのを感じた。


(せっかく遊びに来たのに、聖君に迷惑かけてばっかり……!)


 徐々に視界がにじんで頬に温かい物が伝う。

 泣かない約束を破ってしまった、そう思うと余計にあふれて来て。美桜は声を必死に押し殺した。


「本当にごめんなさい……っ」


「顔を上げて?」


「――でも……っ!」


 泣き顔は見せたくないと渋る美桜の両頬が手に包まれ、顔を上に向かされる。

 歪む視界の近い距離に聖の顔があった。


「俺は迷惑なんて思ってないよ。美桜ちゃんと遊びに来れただけで嬉しいから、ね?」


 ゆっくりとした速さで落ち着かせるように言い、頬を伝う涙を親指で撫でた。

 聖の言葉と肌に感じるくすぐったさに美桜は感情が静まって行き、うん、と小声で返す。


「ありがとう」


「どういたしまして。――それじゃあ早く出ようか」


 聖は落ちていた紙を拾って折り、片手に持つと再び美桜との距離を縮める。


「三角座りは出来る?」


「うん……」


 美桜は震えながらも何とか足を動かしてその形を作る。


「そのまま少しじっとしててね」


「え――……っ!」


 美桜の背中と膝裏に触れる感触がしたと思った一瞬。体が浮き上がる感覚に息を飲んだ。

 視界はいつもより高くなり、聖の端麗な顔が近い。


「ひ、聖君!」


「目をつぶっててもいいよ。俺が出口まで連れて行くから」


「え……」


「――今度こそ、俺が守るから」


 先を見つめる強い眼差しに美桜は鼓動が高鳴り、全身が熱を持つ。

 聖の腕に横抱きにされ、彼の存在を近くに感じられる。それが美桜にはとても心強く感じて。


「うん――」


 口もとを上げて視界を閉じた。



 出口直前までお化けは現れたが、横抱きにされて目を閉じている美桜と、声の一つも出さずに突き進む聖の様子にお化け達はすごすごと持ち場に戻って行った。

 出口の前で待機していたスタンプを確認する係員が、抱かれていた姿を見て目を丸くした後に仲がいいんですね、と笑顔で。

 美桜は顔を真っ赤に染めて慌てて聖の腕から下りたのだが、聖は表情で答えていた。






 太陽の位置が下がって行く中、美桜と聖は観覧車に乗っていた。

 少しずつ視界が高くなり、美桜は窓から見える景色に釘づけになっている。

 お化け屋敷での出来事よりも今は小さくなる町並みに夢中で、向かいに座っている聖は小さく笑い声をもらした。

 横を向き外を見続ける美桜の黒髪に太陽の光が当たり輝いていて、誘われるように髪先へと触れる。

 指通りのいい髪は聖の指が絡まる事なくほどけて行った。触れられている事に気づいた美桜が正面を向けば、再度髪を撫でられて。


「髪、伸ばしてたんだね」


「あー、うん……。願かけみたいな物だよ?」


「願かけ?」


 美桜は視線を足もとに向け、膝に置いていたバックを両手でつかむ。

 小さい頃は寝相が悪いのか絡まり、櫛が引っかかれば切りたいと言っていた。その度に聖が綺麗な髪だからもったいないよと言ってくれたから、離れ離れになった後もある程度の長さから切る事はなかった。


「聖君がもったいないって言ってくれてたから、短くしたら会えないような気がして……。そんな事ないのにね?」


「――嬉しいよ。俺は美桜ちゃんの髪、綺麗で大好きだから」


「あ、ありがとう。伸ばしてた甲斐があってよかった」


 美桜の頬が熱を持つのは照れなのか太陽の光のせいなのか、聖はどちらでもいいと思った。

 彼女が自分のことを考えてくれている。それだけで長年の思いが報われた気がして息が苦しくなる。

 思いが届くように祈りを込め、もう一度だけ髪先に触れて。

 その後はお互いに離れていた間の話しをしながら、時折景色を眺めたのだった。







「井上さん」


 梅雨が明けた七月、選択授業のために一人で歩いていた美桜は廊下で呼び止められる。

 振り返れば面識のない女子生徒で、染色された長い髪に化粧が施された顔立ちは大人びて見えた。


「あたし、三年の篠崎って言うんだけど」


「はい……」


「これ同じクラスの佐々木くんに渡しといて!」


「あの……っ」


 片腕を引かれ、手に封筒を持たされる。

 急なことに美桜が目を丸くすると相手は封筒を持たせた手を軽く握り。


「頼んだからね!」


 大声で言い切り来た道を走って行った。


(頼むって……)


「――あっ、チャイム鳴ってる!」


 呆気に取られた美桜は予鈴の音に我に返り、手紙を持ったまま教室へと急いだ。






(どうしよう)


 放課後の教室で、美桜は椅子に座ったまま手紙を手に持ち眺めていた。

 薄い桃色の紙に丸く小さな文字で聖宛てと書かれていて、封筒を動かす度に微かに香りがする。


(渡すなら早くしないと……)


 誰かに頼まれた手紙を渡すなど美桜には初めてだった。

 女子の間でみんなに手紙を回すのはあったが特定の相手に頼まれた事はなく。


(これって告白だよね?)


 美桜は胸がもやもやとする感覚に眉を寄せた。

 聖は大切な幼なじみで、彼が幸せになるなら自分も幸せなはずだと考えるも胸の違和感は増えるばかりだ。


(頼まれたんだからとにかく渡さないと失礼だよね……!)


 胸の違和感を押し込めて美桜は席を立つ。教科書を入れ終えた鞄を肩にかけ、手紙は右手に持ったまま教室を後にした。






 教室から出て直ぐの所に聖の姿があり、美桜に気づいた彼が手を上げる。


「会えてよかった。職員室で先生の話が長引いたから、先に帰っていたかなって思ったんだ」


「聖君」


 美桜はうつむいて手紙を持つ手を聖の前に突き出した。


「……え?」


 一拍遅れて声を出す聖にさらに手紙を近づける。


「これっ、先輩から頼まれたの……!」


「――そう、なんだ……」


 唐突に下がった声のトーンに美桜は背筋を震わせる。しかし、渡さないわけにはいかないと持ち前の真面目さが勝り手紙を前に出し続ける。


「――それが美桜ちゃんの気持ちか……――」


「え?」


 小さい声に美桜が問いかけると、聖は何でもないと返して手紙を受け取った。

 顔を上げると背を向けていて、様子を窺う前に聖は歩き出す。


「ごめん。悪いけど今日は一人で帰るから」


「あ――」


 待ってと伸ばした手は空を切ってダラリと下がり。

 動けなくなる自分と振り返る事なく廊下を歩いて行く聖、彼の姿が目に焼きついて胸がざわつく。

 呼びかけに振り向いてもらえないのは初めてで、その後二人の距離は広がった――。






「佐々木君と喧嘩でもしたの?」


 七月中旬の休日、美桜は陽南と共に出かけ、ケーキ屋へと来ていた。

 白を基調とした席に着いて、フルーツタルトをつつきながら陽南は美桜を見るが、美桜はどう言っていいか分からず口の開閉を繰り返す。

 目の前にある大好きなショートケーキが甘い香りで誘っているのに気持ちは晴れないままで、フォークに触れては止めを繰り返す。


「分からないよ。先輩に頼まれた手紙を渡したから怒ったのかな……?」


「は? 手紙って女子からの?」


「うん。頼まれて受け取ったからには渡さないとって」


 陽南は理由を聞いて長く息を吐き、左手で頭を押さえた。


「美桜は真面目すぎ。自分で渡してって断ればいいじゃん!」


「だって急に渡されて走って行っちゃったから……」


「押しに弱いんだから!」


 陽南は雑にタルトを一口に切り口へと放り込む。甘酸っぱさを口内で味わいながら問題に頭を悩ませる。

 美桜と聖の異変はクラスの誰の目から見ても明らかだった。別々の登下校に始まり休み時間の会話はなし。昼食や選択が同じ移動教室も別で。

 クラス内でも喧嘩をしたならと聖を狙う女子の声が陽南の耳には入っていた。


「このままでいいの? ――美桜?」


 陽南が問いかけるも美桜は窓から店の外を見ていた。

 目を見開く様子に彼女も外へ顔を向けて言葉を失う。

 ガラスの向こうには聖と明るい髪色が目を惹きつける女子の姿。

手は繋いでいないが、笑顔で何かを話す姿は親密そうに見えた。


「――そっか。上手く行ったんだね……」


「美桜……」


 笑いながら流れる雫に陽南も泣きそうになる。

 高校に入学して直ぐに仲良くなった陽南が美桜の涙を見たのは初めてだった。

 昔は泣き虫だったと笑って話す美桜にそんな物だと返していたが、一緒に映画を観に行った時も派手に転んでしまった時も浮かんだ涙をこぼすことはなかった。そんな彼女が大粒の涙を次々にこぼしているのだ。

 ワンピースへと落ちる悲しみを見ていられなくて、陽南は美桜の顔を正面に向けさせてテーブルに置いていた自分のハンカチで涙を拭う。


「よし! ここはわたしのおごり!」


「陽南ちゃん……?」


「どこか行きたいとこがあるならさ、今日は何時でもつき合うから!」


 自分のことのように泣きそうになりながら涙を拭いてくれる陽南に、美桜は聖の姿が重なった。

 しかし、目を強くつぶってその残像を閉じ込めて。


「――あのね、一カ所だけ一緒に行ってくれる?」


 告げる行き先に陽南は問い返すが、美桜は決めたのだと眼差しで伝える。

 幼い自分とはさよならをするのだと――。



 陽南と出かけた翌日の月曜日、美桜は久しい感覚に違和感を感じながらも、首筋に触れる温い風に心は少しだけ軽くなっていた。

 陽南と行ったのは通い慣れた美容院で、ロングからボブへと髪を短く切った。

 馴染みの店員に何度も聞かれたが、気持ちの整理だからと押し通して切ってもらい。

 音が響く度、床へと舞い落ちる髪が思い出のようで寂しくなったが目をふせて振り切った。

 教室に入ればクラスの人に驚かれたが似合っていると笑顔で言われ、美桜はそれだけで救われた気がする。


「おはよー、美桜」


「おはよう。昨日はありがとう」


「気にしないで。でもさ、好きとかって直ぐにはなくせないと思うから、辛かったら言ってね」


「陽南ちゃん……」


「今度また買い物でも行こうよ。その髪型に似合う服選んであげる!」


「美桜、ちゃん……?」


 二人の会話に割って入るように低い声が聞こえて揃って顔を向けば、目を見開いて入り口に立ち尽くす聖の姿があった。

 彼は扉を開けたまま足早に近づいて来て、立っていた陽南が座っている美桜を隠すように立ちふさがる。


「佐々木君、何の用?」


 鋭く睨む陽南に聖は口を開こうとして閉ざす。

 彼女の後ろから見える美桜の髪は見間違いと思いたいほどに短くて、夢なら覚めてほしいと思う。

 しかし、握りしめる手の爪が肌に食い込み、その痛みが現実をつきつけた。


(美桜ちゃんはそんなに俺のことが嫌いだった……?)


 目の前に立つ彼女の友人を押しのけて美桜につめ寄る事は出来る。

 しかし、拒絶されたら自分の全てが否定されてしまうような気がして。

 衝動を抑えて自分の席に着くことが今出来る精一杯の行動だった。

 美桜が陽南の体越しに聖の様子を見るが、彼はうつむいてこちらを見る事はなく。

 二人の様子を見る陽南は静かに息を吐いたのだった。


 それから数日経った昼休み、美桜は呼び出され屋上へと来た。

 美桜達が通う高校は冬季以外の昼休みに限り生徒へ開放されているが、真夏は訪れる生徒の姿が少ない。

 アスファルトから熱気が上り、太陽光と相まって体感気温は上昇している。

 どこからか聞こえる蝉の声が暑さに拍車をかける中、フェンスに向いている生徒へと近づく。

 美桜が近づいて行くと柔らかな髪を風に揺らしながら振り返った。眼鏡越しの瞳が真っ直ぐに美桜の姿をとらえて、近づいた足は五歩ほどある距離で止まってしまう。


「来てくれてよかった」


「名前はなかったけど聖君だと思ったから……」


「覚えててくれたんだね」


 着いて行こうかと心配する陽南に大丈夫と告げてやって来たが、靴箱に置かれていた手紙の文末に書かれたイラストに見覚えがあった。


「私の名前の後ろによく桜の花を書いてくれてたから……。でもどうして私を呼んだの?」


「どうしてって、俺のほうが聞きたいよ。――何で急に髪を短くしたの」


 途中で声のトーンが下がり、目を細めて距離をつめる聖。

 初めて見る姿が別人のように感じられて言葉が出て来ず一歩後ずさる。

 なおも聖は表情を変えずに距離をなくして細い腕をつかんだ。

 強い力と熱に美桜の心臓は速く打ち、縫いつけられたように足が動かない。

 首筋を撫でる風が今は責めているかのようで落ち着かない。


「何でって……」


「遊園地で言ってくれたよね? 願かけみたいな物だって。――俺は嬉しかった。美桜ちゃんが俺を覚えててくれて、すごく、すごく」


 言葉を切った聖は空いている手で美桜の頭を撫でる。指通りのよさはそのままなのに髪先へは直ぐにたどり着き。

 行き場をなくした手は己の体の横に力なく帰り、こぶしとなる。


「――ボクはもういらない?」


 一つ、二つ。聖の足もとに雨が降る。

腕をつかんでいた手は腕を伝い、薄い肩をつかんで。


「ねえ美桜ちゃん、ボクはもう美桜ちゃんの一番にはなれないの……!」


 頬に筋を作り、美桜を己の体で閉じ込める。

 首から肩にかけた濡れる感覚に美桜はどうすればいいのか分からなくなった。

 いつも泣いていたのは自分のほうで、涙を流す聖を見たのは初めてで。

 気持ちを伝えたい、そう思った瞬間、美桜の脳裏には先日の光景が浮かび目尻に涙がにじむ。


「聖君こそ幼なじみの私はいらないんでしょう?」


「え……」


「この間見たんだから!」


 聖の胸を強く押して距離を作る。

 涙が残る目を丸くする彼に言う。


「先輩と笑いながら歩いてるの見たんだよ? だから、だから私……っ」


 忘れられない光景に制服の胸元をつかむ。


「それって――」


「佐々木くんいるー?」


 聖が言いかけた瞬間、屋上のドアが大きな音をたて開かれた。



 突然の事に揃って入り口へと視線を送ると、三年の篠崎が姿を見せた。

 中程まで足早に近づいて来たが、美桜と聖の様子に首を傾げる。


「……もしかして取り込み中だった?」


「すみません、私もう行きますから……っ」


「待って!」


 スカートを翻す美桜の手首をつかんで引き止める。

 振りほどこうと体を動かすが大きな手はつかんだまま。


「離して……っ」


「違うんだ! 篠崎先輩とは何もないから……!」


「え、あたし?」


「嘘っ、だって見たんだから! 二人が仲良くしてるの――!」


 言い争う二人の姿に篠崎は目を瞬かせ。次いで目を大きく開かせた後、近寄って顔の前で勢いよく手のひらを合わせた。


「井上さんごめん! あたし佐々木くんに頼みがあっただけだから!」


「頼み……?」


「佐々木くんの友達が気になって協力してもらっただけ!」


「本当だよ。――ほら、俺の隣に写っているのがそう」


 動きを止めた美桜の手首を離し、聖は制服のポケットから取り出したスマートフォンに指を滑らせて一枚の写真を見せる。

 笑顔を浮かべる聖と肩を組み、歯を見せて笑っている黒髪の男子生徒の姿があった。


「前の学校の友達で、六月にこっちに来る事があって遊んでたら篠崎先輩が俺達を街で見かけたって」


「そうそう。それで彼に一目惚れしちゃって、頼みの綱は佐々木くんだったの。直接話した事なかったから手紙にしたんだけど、紛らわしくてホントごめんね!」


「――それなら、どうして二人でいたんですか?」


「篠崎先輩の事を話したら、今月もこっちに来る予定があるから会ってみたいって返事が来たんだよ」


「初めから二人きりは緊張するから佐々木くんに連れて行ってもらっただけ。佐々木くんは直ぐに帰ったからさ」


「私の勘違い……?」


 美桜は暑いのに背中に冷たい汗が流れて行く。

 二人の関係を誤解し、しまいには髪を切ってしまった。


(私とんでもない事をしちゃった――)


「今も友達からって事で上手く行った報告をするのに探してただけだから……」


「先輩、また後でもいいですか……?」


「あ、うん。ホントごめんね!」


 篠崎はそう残して足早に屋上を去って行った。

 残り香が手紙に移った香りだと気づきながら、美桜は何かが絡みついているかのように動けない。


「美桜ちゃん」


 スマートフォンをしまった聖が美桜の肩に触れる。拘束がとけたように体を揺らし彼を見上げた。


「嫉妬、してくれたの……?」


「――え」


「先輩と俺が二人でいるのを見て驚いてくれたんだよね?」


「――うん、ビックリしたし悲しかった……」


「それで髪を切ったの?」


「先輩と上手く行ったんだって思って。それなら、……それなら、私は聖君を頼っちゃダメって、思って……っ」


「美桜ちゃん……」


 聖が肩から静かに美桜を引き寄せる。にじむ涙は黒い生地へと染み込んで二つの香りが混じり合う。


「好きだよ。今も昔も、俺が一番好きな女の子は美桜ちゃんだけだ」


「聖君……」


 名を呼ぶ美桜の体を少し離し、右手で左頬を包む。そして鼻先が触れそうな程に近づき、互いの呼吸を感じ合って。


「美桜ちゃんは?」


「わ、私も、っ」


 どもる彼女の赤い頬に聖はキスを送り、横目で見やる。


「幼なじみとして? それともこんな事をしてもいいと思ってくれる?」


「あのっ」


「俺はしたいよ。美桜ちゃんが俺に手紙を渡したあの時から、もう待てそうにないんだ――」


 聖は再び抱きしめて、肩に顔を乗せる。柔らかい髪を頬に感じながら美桜は目を閉じて。


「私も、多分好き……」


「……多分?」


「うん……。聖君がそばにいなくなるのは寂しいって思うけど、そう言う好きなのか分からない……」


「うーん、困ったな……。俺はね……?」


 聖は再び美桜と向き合って目尻を下げる。


「美桜ちゃんの泣き虫だった所も、笑った顔も。真面目な所も恥ずかしがるしぐさも――」


 言葉を止めて右手で黒髪へと触れる。


「短くなったとしてもこの髪だって。全部全部大好きだよ」


「私……」


「今無理にはっきりとした答えは出さなくてもいいけど、俺はもう待つのは止めたから。そばにいたい時はいるし、色んな場所に連れて行ったりもするよ? もちろんこうやって」


「あ……」


「手を繋いだりもね」


 美桜の手をしっかり繋ぎ、目を細めて口もとを上げる聖の表情が幼い頃とは重ならず美桜は首を傾ける。


「聖君、どこか変わった……?」


「そうかな? そう見えるのはきっと美桜ちゃんの見方が変わったからだよ」


「そうなのかな――あ、予鈴……」


 チャイムの音が二人の邪魔をし、聖は苦笑う。


「残念、時間切れだ」


 聖は手を繋いだまま、扉へ向けて歩き出す。


「取りあえず、今日からまた一緒に帰ろうね」


 前を向いたまま言われ、美桜は二音で頷いた。




ここまでお読みいただきありがとうございます。


今回は今までに投稿している短編よりも長い内容になりました。


屋上開放の話しや遊園地の話しなど、想像しながら書かせていただいたので、あまり深く考えないでいただけると助かります。


今後も少しでも上達していけるように取り組みたいと思いますので、またご縁がありましたらよろしくお願いします。


それでは、最後までありがとうございました!

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