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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -18-

 正面から魔術を受けたシュネイの身体が宙に浮き、後方へと弾き飛ぶ。

 見開かれたヴァイの目は、その映像を酷くゆっくりと、まるで他人事のように捉えていた。

「クソ……!」

 代わりに動いたのは、レーヴェだった。

 咄嗟にシュネイの真後ろへと走り、小さな身体が壁に叩き付けられるよりも先に、その間へと滑り込む。そして寸前のところでシュネイを受け止めた。

 しかし完全には勢いを殺すことができずに、レーヴェは背中から壁に叩きつけられる。

「……っ」

 前後から加わる衝撃で肺が潰され、レーヴェの口から空気に近い声が漏れた。それでも腕の中にはしっかりとシュネイを抱え込んで離さず、しかしそのままの体勢でずるずると座り込む。

「お前……」

 何もできずに見ていたヴァイが、思わず呟いた。驚きに揺れる目には、レーヴェの姿が映っている。

「……その子も忠実だね。今のだって怪我するのを分かってて君の言いつけを守ってるんだからさ」

 感心と呆れを混在させたような薄笑いを浮かべたザインが、わざとらしい溜息に乗せて言った。その言葉に、はっ、として我に返ったヴァイが、不快感も顕わに睨め上げる。

 分かっている。

 ヴァイのせいだと言いたいのだ。

 シュネイに魔力の行使を許せば、あの程度の魔術は相殺するのも容易い。容易いが、魔力の行使そのものが負担となるシュネイの現状では、万一の時を除いてそれを許すわけにはいかないのも事実だった。

 だが、ザインはそのことを言っているのではないと、ヴァイも理解していた。

 シュネイの持つ“力”のことを言っているのだ。

 魔術を相殺するためには、魔術を発現させる必要があり、それには数秒の時間を要する。しかし、後者はその時間すら必要がなく、確実に魔術を避けることが可能だった。

 その確実性すら捨ててシュネイを負傷させたヴァイを、責めているのだ。

「…………」

 獰猛な殺意を滲ませるヴァイを見て、ザインは聞き分けのない子供に手を焼いたように、肩を竦めて酷く愉しそうに(ワラ)いかける。

「君が僕を消すより、僕が君達を嬲り殺す方がきっと早いよ? どうしよっか」



                  ◆


 レーヴェは、何度目かになる魔術の攻防の余波を呪物で凌いだ。

 絶え間なく繰り返される熾烈な魔術の応酬は、呪物による魔法障壁では全てを防ぐことができず、その度に浅い創傷が増えて真新しい血を滲ませた。千切れた愛用の赤いバンダナが、ボロボロになって床の上を転がっている。

 レーヴェは壁を背に座り込んだままの体勢で、その腕の中には意識を失ったシュネイがいた。気絶こそしているが、目立った外傷はない。そんなシュネイを庇うようにしっかりと抱きかかえ、ヴァイとザインの魔術合戦の行方を見守るしかできない自分に多少のもどかしさを感じていた。

「……やばいな」

 片手でシュネイを支え、もう片方の手で自身のポケットの中を探る。どうやら、手持ちの呪物を全て使い切ってしまったらしい。

 まずい。

 どっ、と焦りが広がる。

 魔術の才を持たないレーヴェは、呪物なくしては魔術に対し完全に無力だ。

 ひとまずシュネイを連れてこの場から離れるべきか。だがヴァイ一人を置いて行く事はどうしても気が引けて、決心が着かなかった。

「くそ、どうすれば良いんだよ……」

 焦るレーヴェの手が、こつんと何か硬いものに触れた。手元を見ると、シュネイがいつもベルトに下げているポーチが目に入った。

「……悪い」

 一瞬だけ躊躇いはしたが、レーヴェはポーチを開け、中を探った。

 中には形や大きさの異なる様々な呪物が入っていて、その中から魔法障壁を探し出して手に取った。ひやりとした呪物の温度を掌に感じながら、それを握る。

 これが最後のひとつだ。

 これを使ってしまえば、後がない。

 早く目を覚ましてくれと何度も心の中で叫びながら、腕の中の少女に目を落とす。今置かれている状況とこの少女の姿が、昔助けられなかった妹の姿と酷く重なって見えた。

「君がそんなだと、後ろの二人がどうなっても知らないよ?」

「く……っ」

 ザインの放った魔術を、辛うじてヴァイが相殺した。だが、余裕を感じさせる微笑を浮かべたザインに対し、肩で息をしているヴァイが追い込まれているのは、明白だった。

「そろそろ飽きてきちゃったな」

 無邪気に笑うザイン。その視線がヴァイではなく、自分に向いたことにレーヴェは気付いた。

 月影を逆光に受けて翳った表情に、二つの紫色が不穏に燦めく。

 ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け上がる。途端に全身が強張り、嫌な汗が額に浮き出ててきた。

「ヴァイ、君にもいい加減、腹を括って貰おうか」

 そう言い放つザインからは今までの無邪気で人懐こい微笑は完全に消え、代わって顕れたのは(クラ)く攻撃的な悪意。強い退廃性を孕んだそれに呼応するように周囲の明度と温度が、すっ、と下がった。気がした。

 これほどまでに強烈な悪寒を纏う悪意を初めて目の当たりにしたレーヴェは、冷たい手で心臓をきつく掴まれたように思わず息が詰まった。

 つう、と妙な汗が頬を伝う。

 刹那、ザインの足元に巨大な魔法陣が出現した。蒼白い光を放つ魔法陣は、ザインの纏う外套をふわりと持ち上げながら、白い靄のようなものを大量に放出している。中心に立つザインの姿を覆い隠さんばかりの白は、その頭上に集束を始めた。

 薄く部屋中に蔓延した白い靄が肌に触れ、レーヴェはそれが強い冷気であることをようやく理解した。冷えた吸気が気道と肺に刺さる。

「貴様……させん!」

 赤い魔法陣を刻みながら叫ぶヴァイの声は必死で、焦燥すら感じられた。

 呪物を握る手にも、無意識に力が入る。

 その間にも濃密な冷気は集束、膨張を続け、何かを形成するように蠢いている。最初は背景を透かしていた冷気はやがて、はっきりとした存在を示すように獣の姿へと変貌した。蒼白く巨大な狼に見えるそれの輪郭を、周囲の冷気がぼかすことで幻想的にすら思えた。

 だが、余計なことを考える時間を与えてはくれない。ザインの頭上に作られた白狼は、一度小さく身を引くと、勢い良く空を蹴った。

「――――!」

 その標的がヴァイではなく、自分か、もしくはシュネイであると悟ったレーヴェは、手にしていた呪物を目の前の床に思い切り叩き付けた。

 硝子玉にも見える呪物は床に衝突し呆気なく砕け散ると、破壊音の代わりに、限界まで引っ張られた糸が立てるような、ぴん、という高い音を小さく鳴らした。同時に、半球状の魔法障壁が発現し、レーヴェを囲む。

 だが視線を正面に向けると、すでに白狼は目前に迫っていた。


 ――――防げるのかよ、これ……!


 焦りと恐怖に、反射的に身体が強張る。

 直後、視界が赤く染まった。

 赤は瞬く間に白を呑み込み、内部から抵抗を受けているのか不規則に大きく揺らめいている。

 その赤が炎だという事を理解するまで、レーヴェは少しの時間を要していた。今にもレーヴェの肌を撫で上げんばかりの距離で、赤く黄色く変色を繰り返しながら火勢を増している。

 炎の中では白狼が暴れているのだろう、のた打ち回るような動きに合わせて、炎が縦に横に収縮を繰り返す。

 それを見て、来るべき衝撃に硬くなっていた筋肉が、僅かに弛緩する。

 炎の向こうでは、ザインがワラっていた。


 ふっ、


 やがて炎が沈黙した。

 赤く照らされていた室内が夜の色を取り戻す。

 しかしレーヴェの視界は、再び巨大な白を捉えていた。

 原形すら分からないほどに全身をどろどろと融かしながら、白狼がまだそこに立っていた。辛うじて四足であることが認識できるような、見方によっては四つん這いの人間にも見えるような姿。融けた蝋が垂れて固まって、それを何度も繰り返したような波打った表皮。そこから滴り落ちる水滴が、熱で温められた床に触れて、じゅ、と蒸発した。

 その音を合図としたかのように、輪郭を歪めた白狼はレーヴェへと襲い掛かる。

「!」


 ぴし、

 ぱき、


 白狼の体当たりを受けた魔法障壁が、硝子に罅が入る時のそれに良く似た音を立てる。ぶつかった白狼は熱で柔らかくなっていたのか、衝突場所を基点にして半球状の魔法障壁を包むように、形をぐずぐずに崩して広がった。まるで白い粘土を叩き付けたかのような不定形の塊が、半球状にじわじわと広がりながら不気味に蠢いては、みしみしと魔法障壁を破壊しようと迫っている。

 視界を白に奪われたレーヴェは、シュネイに覆い被さるように身体を伏せた。

 直後、


 ぱりん。


 魔法障壁が破壊される音が、蠢く白が迫る音が、一斉に聴覚を襲った。

 痛いのか苦しいのか冷たいのか、訪れる衝撃が予測できない不安と恐怖が途端に湧き上がった。覚悟と言えたなら聞こえは良いが、生命の危機に対する極めて本能的で純粋な恐怖だった。

「…………」

 しかし、いつまで待っても何の衝撃も訪れず、不審に思って屈めていた上半身を恐る恐る持ち上げる。

「――――無様だな、レーヴェ」

 すぐ傍から降ってきた声に、今度こそ弾かれたように顔を上げた。






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