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TESTAMENT  作者: 氷蒼シキ
第四章
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禁じられたソレムニス -17-

 ザインは愉しげに目を細め、ふわりと笑みを浮かべた。

 それを睨み返すヴァイの表情に覇気はなく、畏れすら滲んでいる。

 不本意とはいえザインと同化してから、聖教会へ対する破壊衝動、そこに属する聖職者への殺意を鮮明に感じるようになった。いや正確には、元来存在していたそれが望まぬ刺激を受け、遂に意識の奥底から無理矢理に引き摺り出されたに過ぎない。

 そして先刻も、騎士を手にかける正にその瞬間、歯止めの利かない衝動と欲望と、震えるような心の高揚が確かにヴァイの中に存在した。呼び覚まされた欲望は過去を取り戻そうと強く強くヴァイへ求めており、そこへ囁かれるザインの言葉はどこまでも甘美で陶酔的で、それはやがてヴァイの理性すら喰い荒らし、そう遠くない未来に“ああなる”ことを予見させるには十分過ぎる劇薬と化していた。

 凍り付いた空気の中、何かに縋るように泳いでいたヴァイの視線が、柔らかく笑うザインのそれと重なった。自分と同じ色の目が覗かせているのは、一度堕ちたなら決して抜け出すことの叶わない、深く妖艶な退廃の淵。


 ぞわ、


と鳥肌が立った。

 拒絶だった。

 恐怖か、嫌悪か、もっと本能的な要素によるものか。あるいは全てなのか。

 ヴァイの磨耗した理性に、“ああなる”ことへの強い拒否感が押し寄せた。同時に、自身にまだそう思えるだけの自我が残っていたことに酷く安堵した。

 ふー、と息を吐き、僅かに血の気の戻った唇を動かす。

「……確かに、貴様は俺の≪遺物(レリック)≫だ。だからこそ俺は、自分の不始末を正さなくてはならない」

 ザインに向けたと言うよりは、ヴァイ自身に言い聞かせるような口調。だが意外にも声が落ち着いていたのは、義務に似た使命感がと、ザインに対する拒否感が強く背中を押したからだ。動揺に比例して畏縮していたそれらはすぐに膨張を始め、失いかけていた戦意と自我を甦らせる。地面を踏み締める足にも、力が戻る。

「俺は貴様を消す! 絶対に!」

 低い叫びと共に、ヴァイは再び魔術を詠んだ。床に刻まれている魔法陣に、別の魔法陣が重なる。

「……!」

 その様子を後方で見守っていたシュネイが、弾かれたようにレーヴェの前へ移動した。そして状況を呑み込めていないであろうレーヴェに構わず、即座に魔法障壁を展開する。

「…………」

 見る見るうちに形を成す魔法陣を前に、ザインは無言で、僅かに寂しそうな、しかし憐憫とも取れる表情を浮かべていた。

 それに構うことなく、ヴァイを中心に刻まれた魔法陣が、発光する。

 先よりも直径の大きな魔法陣が、堰を切ったように闇の塊を吐き出した。黒と紫を空気で溶いて伸ばし、しかし全く希釈の意味をなさないそれに、瞬く間に視界が奪われる。

 魔法陣から出現した暗紫色の塊は標的を認識すると、それ以上は濃くならないであろう不透明な闇の色を更に濃く密度を上げた。

 輪郭の無い闇が、一斉にザインに襲い掛かる。

 風の無い室内の空気が流動し、ヴァイの纏う魔導着の裾を大きく翻した。酸素すら濃い闇に吸収されているのかと錯覚する息苦しさの中で、ザインの姿を覆い尽くした闇の塊がずるずると蠢く。

 不意に、その様を睨み付けていたヴァイの眉根が寄った。手応えがないのは予想してはいたが、反撃すらないことに強い違和感を憶えたのだ。次の魔術を即座に詠めるよう、身構える。

 やがて、徐々に視界が晴れた先で、銀色の髪がさらりと揺れた。

「……僕を消す、か」

 ぽつり。

 ザインが呟いた。

「“あの時”から衰える一方の君の魔力じゃ、僕に傷を付けることも難しいと思うよ?」

 言葉自体は挑発的だが、言う表情は寂寞としていて、うっすらと湛えた笑みも困惑に近く、力ない。

 だがその真意はヴァイには伝わらない。以前であれば簡単に共有できたはずなのに、今は分厚い壁の向こう側。恐らくヴァイは、そのことさえ忘れている。

 その証左か、険しさを増した目でザインを睨んでいたヴァイは、既に次の魔術を詠み始めていた。

「……!」

 しかし発現を目前にして、ヴァイの足元に展開されていた魔法陣が唐突に光を失った。耳元を掠めた風切音に慌てて身を躱し、同時に、ぱしん、と何かが破裂するような感覚と共に集束していた魔力が掻き消える。

 窓から差し込むぼんやりとした明かりを背に、ザインが笑っていた。

「気持ちは分かるけど、無駄遣いだと思うよ。魔力の」

 困惑と申し訳なさの入り混じった表情で、少しだけ首を傾げて見せた。しかしそれは一瞬で、すぐに苛烈な悪意に満ちたものへと変貌を遂げた瞳が、上目にヴァイを覗き込む。

「そうだね……どうしてもって言うなら、その子を使えば話は別だと思うけど」

 妖しく細められた目は、ヴァイを通り過ぎ、更にその後方へと向いていた。

「……え?」

「…………」

 ザインの視線の行方を追ったのだろう、驚きを隠せていないレーヴェの声が背後から聞こえた。

「……シュネイを連れて来たのは、そのためではない」

 唸りにも似たヴァイの声。ザインはその理由を承知した上で言っているのだから、苛立ちが増すのも簡単だった。

「ふーん?」

 そんなヴァイの心の内を見透かすように、真っすぐに向けられていたザインの瞳が歪曲した好奇の色を宿し、口元には薄い笑みを形作る。

「じゃあ、これでも……?」

 背筋を凍り付かせるような(クラ)い響きを纏った声が、緩い弧を描いた唇の隙間から漏れた。

 直後、ザインの足元が緑色に光る。発現と同時に完成されていた魔法陣は、ヴァイに反応する時間すら与えずに魔術を放出する。

「貴様……!」

 ヴァイもすぐに魔術を詠むが、その表情は酷く逼迫していた。

 ザインの魔術は、微かに残っていた暗紫色の霧を巻き込みながら渦を巻く。透明だった風は全体を薄い暗紫色に染め上げ、目視を可能としていた。それは螺旋状に周囲の空気を巻き込みながら、刃のように鋭い矛先を向けてくる。

 それを迎え撃つヴァイの、左側の空間に魔法陣が刻まれ始めた。複雑な文字と図形は、傍目の印象よりも遥かに早く完成に導かれて一層強い光を宿す。

 それとほぼ同時に、暗紫色の風刃が衝突した。

 圧縮された空気が臨界を超えて破裂したかのような衝撃音が、鼓膜を震わせる。痛みすら憶える音に思わず顔を顰めたヴァイだったが、次に感じたのは頬のすぐ横を風が吹き抜ける感覚。

 魔法障壁が間に合っておらず、相殺しきれなかった魔術がヴァイの脇をすり抜けた。

「ち……!」

 舌打ちと共に振り返ると、驚きに目を見開いているシュネイの表情がそこにあった。

 だが本人は思ったよりも冷静なようで、

「レーヴェさん、下がってください!」

 短く叫ぶと、すぐに魔法障壁の展開を開始した。詠唱に従い、シュネイの正面にぼんやりと景色を滲ませる透明の膜のようなものが形成されてゆく。

 ヴァイの障壁で随分とその身を縮めた風刃は、しかし失速することなく未完成の障壁へ、その向こうのシュネイへと襲い掛かった。

 空間が引き裂かれる音と共に、不完全な障壁はいとも容易く破壊される。

「っ!」

 被術を悟ったシュネイが息を呑んだ。

 障壁で幾分か勢いこそ落としたものの、ザインの魔術はシュネイの小さな身体を弾き飛ばすには十分だった。

「シュネイ!」

 ヴァイが叫んだ。





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